▼ だて歴史の杜公園の一角に、
『だて歴史の杜食育センター』が新築された。
始動したのは、平成30年1月だった。
ここでは、伊達市と壮瞥町の小中学校17校、
約3000人(教職員を含む)の給食を作っている。
加えて、センター内に食育レストランが併設されている。
全国的にも珍しいそうだが、その日の給食を、
誰でも500円で食べることができる。
その他、災害時には1日当たり最大9900食の炊き出しが、
3日間可能な施設となっている。
このセンターが、自宅から遠くないからか、
お昼間近に、センターの配送車をよく見かける。
「今日も、美味しい給食を心待ちにしている子ども達のもとへ・・」。
そう思って配送車を見送るだけで、つい笑顔になるのは、
まだ教職の血を忘れていないからなのだろうか。
時には、現職の頃の、
給食にまつわる出来事を思い出し苦笑する。
▼ 東京都内23区の小中学校の給食は、
給食センター方式ではなく、自校給食方式である。
それだけに、給食への管理職、特に教頭の関わりは大きい。
教頭職は、3年間ずつ2校で経験した。
1校目には、ベテランの栄養士がいた。
手慣れているだけでなく、
献立にも調理室にも気配りができた。
私は、全幅の信頼を寄せていた。
給食後、午後の作業中だった。
調理師が食器洗浄中のふやけた手で、
食洗台の排水栓を抜こうとした。
さほと鋭利でないその鎖だったが、
手を深く切ってしまった。
私も一緒に、病院へ駆け込んだ。
何針も時間をかけて縫ってもらった。
医者からは、全治3週間と言われた。
まずはホッとした。
ところがだ。
病院から戻るなり、
いつも穏やかな栄養士が、怪我した調理師へ語気を荒げた。
「だから、あの栓を抜く時はって、
言ったでしょう。
水で手がふやけてるんだからって、何遍も言ったよね。
素手じゃダメって・・。もう・・。」
指の様子などより、作業ミスを責めた。
怪我をした調理師は、言い訳もできないまま、
頭を下げ続けた。
翌日から、給食調理は欠員1での作業となった。
3週間を何とかそれでやらなければならないのだ。
私は労災申請の慣れない事務手続きをしながら、
同じ学校内であっても、教室とは全く違う厳しさが、
あの給食調理室にはあることを初めて知った。
▼ 教頭として着任した2校目には、
栄養士がいなかった。
驚いたことに、先生方数人が手分けして、
給食食材の発注や支払いを行っていた。
その事務作業のほとんどは、
自宅での夜なべ仕事だと聞いた。
教頭の私は、自校給食のトップだった。
だから、月1回の給食献立会議で、
翌月の最終献立を決めた。
そして、毎朝、調理師4名と作業手順の確認をした。
前任校で栄養士がしていた多くを、
私がすることになっていた。
しかしだ。
5,6年の家庭科で調理の授業はした。
それだけで、自宅では朝夕の食事は、全て家内まかせ。
全く料理とは縁遠い暮らしだった。
そんな私が、給食を仕切るのだ。
「時には旬の果物をつけてあげたいわね。」
「じゃ、4等分した梨なんてどう。」
食材発注の先生たちが言う。
すると、調理師が遠慮がちに言い出す。
「4等分はいいけど、芯を取るのは・・。」
「そうね。400個の芯取りは大変ね。どうする。」
「梨を出すの、やめにしようか。」
先生たちは、遠慮がちに提案を取り下げようとする。
「ねえ、がんばろう。10分早く来ればできるから、
梨を食べさせてあげようよ。」
調理師の1人が言う。他の4人がうなずき、同意する。
実は、その話に私はついていけなかった。
4等分した梨を献立に加えることの大変さが、理解できないのだ。
芯をとる手間にとれだけの時間と労力を要するか、
わからなかった。
万事が、大同小異。こんな有り様だった。
でも、秋にはこんなことがあった。
サンマを煮て骨まで食べてもらおうと、
調理師さんが朝から張りきっていた。
調理室前の廊下まで、煮魚の美味しそうな臭いが漂った。
私は、出来具合が知りたくて、調理室を覗いた。
丁度、給食用の巨大鍋から教室用のバットへ、
煮上がったサンマのブツ切りを取り分けるところだった。
当然と言えばそれまでだ。
しかし、私はその作業にビックリした。
巨大鍋から、さい箸で、ブツ切りサンマの1つ1つを
教室用バットに移しているのだ。
私は思わず叫んだ。
「いっぺんにバットに移せないの?」。
「先生、そんなことしたら、
柔らかいサンマの形が崩れてしまうのよ。
美味しくなくなるでしょう。」
笑顔の調理師さんからの答えに、
私は子供に変わって、「ありがとう」と返した。
調理室を離れながら、何かがこみ上げてきていた。
こんなことのくり返しが、給食への理解を助けた。
▼ 今日も、市内を食育センターの配送車が走る。
その荷台には、
「安心安全の上に、美味しい給食を子ども達へ」。
そんな調理師さんらの素敵な心意気が、
詰まっていることを、私は知っている。
一面のタンポポ と 有珠山
『だて歴史の杜食育センター』が新築された。
始動したのは、平成30年1月だった。
ここでは、伊達市と壮瞥町の小中学校17校、
約3000人(教職員を含む)の給食を作っている。
加えて、センター内に食育レストランが併設されている。
全国的にも珍しいそうだが、その日の給食を、
誰でも500円で食べることができる。
その他、災害時には1日当たり最大9900食の炊き出しが、
3日間可能な施設となっている。
このセンターが、自宅から遠くないからか、
お昼間近に、センターの配送車をよく見かける。
「今日も、美味しい給食を心待ちにしている子ども達のもとへ・・」。
そう思って配送車を見送るだけで、つい笑顔になるのは、
まだ教職の血を忘れていないからなのだろうか。
時には、現職の頃の、
給食にまつわる出来事を思い出し苦笑する。
▼ 東京都内23区の小中学校の給食は、
給食センター方式ではなく、自校給食方式である。
それだけに、給食への管理職、特に教頭の関わりは大きい。
教頭職は、3年間ずつ2校で経験した。
1校目には、ベテランの栄養士がいた。
手慣れているだけでなく、
献立にも調理室にも気配りができた。
私は、全幅の信頼を寄せていた。
給食後、午後の作業中だった。
調理師が食器洗浄中のふやけた手で、
食洗台の排水栓を抜こうとした。
さほと鋭利でないその鎖だったが、
手を深く切ってしまった。
私も一緒に、病院へ駆け込んだ。
何針も時間をかけて縫ってもらった。
医者からは、全治3週間と言われた。
まずはホッとした。
ところがだ。
病院から戻るなり、
いつも穏やかな栄養士が、怪我した調理師へ語気を荒げた。
「だから、あの栓を抜く時はって、
言ったでしょう。
水で手がふやけてるんだからって、何遍も言ったよね。
素手じゃダメって・・。もう・・。」
指の様子などより、作業ミスを責めた。
怪我をした調理師は、言い訳もできないまま、
頭を下げ続けた。
翌日から、給食調理は欠員1での作業となった。
3週間を何とかそれでやらなければならないのだ。
私は労災申請の慣れない事務手続きをしながら、
同じ学校内であっても、教室とは全く違う厳しさが、
あの給食調理室にはあることを初めて知った。
▼ 教頭として着任した2校目には、
栄養士がいなかった。
驚いたことに、先生方数人が手分けして、
給食食材の発注や支払いを行っていた。
その事務作業のほとんどは、
自宅での夜なべ仕事だと聞いた。
教頭の私は、自校給食のトップだった。
だから、月1回の給食献立会議で、
翌月の最終献立を決めた。
そして、毎朝、調理師4名と作業手順の確認をした。
前任校で栄養士がしていた多くを、
私がすることになっていた。
しかしだ。
5,6年の家庭科で調理の授業はした。
それだけで、自宅では朝夕の食事は、全て家内まかせ。
全く料理とは縁遠い暮らしだった。
そんな私が、給食を仕切るのだ。
「時には旬の果物をつけてあげたいわね。」
「じゃ、4等分した梨なんてどう。」
食材発注の先生たちが言う。
すると、調理師が遠慮がちに言い出す。
「4等分はいいけど、芯を取るのは・・。」
「そうね。400個の芯取りは大変ね。どうする。」
「梨を出すの、やめにしようか。」
先生たちは、遠慮がちに提案を取り下げようとする。
「ねえ、がんばろう。10分早く来ればできるから、
梨を食べさせてあげようよ。」
調理師の1人が言う。他の4人がうなずき、同意する。
実は、その話に私はついていけなかった。
4等分した梨を献立に加えることの大変さが、理解できないのだ。
芯をとる手間にとれだけの時間と労力を要するか、
わからなかった。
万事が、大同小異。こんな有り様だった。
でも、秋にはこんなことがあった。
サンマを煮て骨まで食べてもらおうと、
調理師さんが朝から張りきっていた。
調理室前の廊下まで、煮魚の美味しそうな臭いが漂った。
私は、出来具合が知りたくて、調理室を覗いた。
丁度、給食用の巨大鍋から教室用のバットへ、
煮上がったサンマのブツ切りを取り分けるところだった。
当然と言えばそれまでだ。
しかし、私はその作業にビックリした。
巨大鍋から、さい箸で、ブツ切りサンマの1つ1つを
教室用バットに移しているのだ。
私は思わず叫んだ。
「いっぺんにバットに移せないの?」。
「先生、そんなことしたら、
柔らかいサンマの形が崩れてしまうのよ。
美味しくなくなるでしょう。」
笑顔の調理師さんからの答えに、
私は子供に変わって、「ありがとう」と返した。
調理室を離れながら、何かがこみ上げてきていた。
こんなことのくり返しが、給食への理解を助けた。
▼ 今日も、市内を食育センターの配送車が走る。
その荷台には、
「安心安全の上に、美味しい給食を子ども達へ」。
そんな調理師さんらの素敵な心意気が、
詰まっていることを、私は知っている。
一面のタンポポ と 有珠山
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