前回のブロクで、私の教育エッセイ『優しくなければ』から、2つを掲載した。
その駄文集の冒頭に、こんな一文がある。
文化の香り
私が中学校2年生の時のことです。
すでに若干多感な時期を迎えていた私でしたが、
音楽のT先生に密かに惹かれていました。
それは決して私だけではなく、
多くの男子生徒が同じ思いを持っていたはずです。
ですから、それまでさほど好きでも嫌いでもなかった音楽の時間を、
どの子もやけに待ち遠しい時間に感じていました。
変声期と併せて楽器音痴だった私なのに、
打楽器ならと進んで手を挙げてみたり、
それは今思い出すと滑稽そのものです。
そのT先生について忘れられないことがあります。
音楽鑑賞の時間のことです。
バッハだ、モーツアルトだと言われても、
坂本九の『上を向いて歩こう』が、一番と思っていた私に、
それはどうでもいいことでしたが、
先生を困らせてはと、おとなしく話を聞くでもなく聞いていました。
先生は、鑑賞のたびに作曲家や曲の解説を丁寧にした後、
「では、これからレコードをかけますね。」
と、おもむろにLPレコードをジャケットから取り出すのです。
それはそれは、そのレコードを大事そうに、
左手の手のひらをめいっぱい指までひろげて片手でもち、
もう一方の手にスプレーを持って、
レコード盤にシューと吹く付けるのです。
そして、専用の赤いスポンジブラシでやさしく、
ゆっくりとレコード盤をそっとふくのです。
私たちは、そんな先生の一連のしぐさをじっと見つめ、
レコード盤がプレーヤーに収まるまで見届けるのです。
先生は、きっと雑音のない美しい澄んだ音色を聞かせようと、
そうしてくれたのだと思います。
しかし、そのスプレーがそれ程効果があるものかどうか、
少なくとも私の耳には、それはどうでもよかったのです。
だが、音楽鑑賞の時のこの一連のT先生のしぐさに、
「文化という香り」を、私は感じてしまったのです。
私には分からないことでしたが、
音楽を本当に聞き分けることができる先生にとっては、
あのスプレーはすごく重要なことだったのでしょう。
そう思うと、「T先生のその行動はまさに文化なんだ。
文化ってそういうものなんだ。」
私は、何にも分からない思春期の初めに、
そうやって文化という言葉と出会ったのです。
≪ 結 ≫
くり返しになるが、思春期の入口で出会った一コマである。
T先生は、今どうされているのか、全く分からない。
T先生との出会い、そして、T先生を通して私がハーッと気づいたことは、
今でも、貴重なことだったように思う。
さて、付け加えたいことがある。
その曲は、初めて聴いたクラシックではない。
しかし、私の心に残った最初のクラシック音楽である。
「協奏曲と言って、いつものオーケストラ演奏とは違う音楽です。」
T先生は、そんな説明をしてくださったように思う。
私は、その曲が始まってすぐに聴き入ってしまった。
今となっては、そのあら筋を思い出すことは難しいが、
その曲を聴きながら、勝手に物語を思い描いていた。
ストーリーが曲の流れと一緒に浮かんだ。
勝手に、その曲からイメージが膨らんだ。
恋心のようなワクワクする場面が迫ってきた。
心地よい風が吹いていた。青空に真綿のような雲が浮かんでいた。
かと思うと、真っ赤なドレスをまとった女性が、優雅に踊っており、
そこに恋がたきが登場したりもした。
私は、その曲が流れている間中、自分の居場所も忘れ、
ただ頬杖をつき、放心したように、その劇中にいたように思う。
演奏が終わりT先生は、「どうでしたか。」と感想を求めたようだった。
何人かが挙手をし、思いを言っていたようだが、
私の耳には届いていなかった。
そんなことより、私には、その曲の流れるような音色が残っていた。
そして、その曲と一緒に思い描いた物語の映像が、脳裏にあった。
先生は何を思ったのだろう。突然、私を指名した。
私は、ハッとする間もなく立ち上がり、
「いろいろな物語や場面が浮かんできた。」と口をついた。
T先生はすかさず、
「聴いていて、笑顔になったり、悲しくて涙が出たりすることがあります。
物語なんで素敵ですね。」
と、私に言ってくださった。
その日、下校はいつもより心も体も軽かった。
その曲は、メンデルスゾーン作曲の『ヴァイオリン協奏曲』だったが、
その時、たった一度しか聴いていない。なのにしっかりと心に残った。
いつ頃だろう、成人してからだと思う。町角か、店先か、レストランか、
どこかで有線からその曲が流れた。
当時、私に何があったのか、思い出すことはできないが、
間違いなく暗くて重たい気分の時だった。
一瞬にして、心が高ぶった。晴れた。
久しぶりに聴くその曲に、こみ上げるものがあった。
あれから、一度も耳にしていないのに、旋律をありありと思い出せた。
力が湧いた。しっかりと励まされた。音楽には力があると感じた。
以来、たびたびこの曲を思い出した。
決まって、私の力になってくれた。
つい先日、昨年の暮れのことだ。
今、話題になっている山田洋次監督の映画・『母と暮せば』を観た。
長崎の原爆で、息子を失った母の、その後の物語である。
母・信子と、亡霊で登場する息子・浩二のもっぱらの話題は、
結婚を約束していた町子のことだった。
浩二と町子には思い出の曲があった。
それが、なんと『メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲』だった。
劇場に何度も、ヴァイオリンの澄んだ音色が流れた。
町子はやがて、生き残って戦地から戻った黒ちゃんと呼ぶ同僚と結ばれるが、
その二人の最初の出会いにも、この曲があった。
私は、この曲のドラマチックさと
ヴァイオリンの繊細で流れるような美しい調べが、
心を揺り動かし、歩を前へ進める力になることを体験的に知っている。
だが、山田監督が『井上ひさし氏に捧ぐ』とした映画である。
そのストーリーの柱に、あまたある名曲から
「この曲に。」としたことに、映画を観ながら
驚きと共に、震えるような感動を覚えた。
監督とこの映画の音楽担当をした坂本龍一氏に、
この曲を用いた経過を尋ねるすべはないが、
私の初めてのクラシックに、新しいページが加わったのは確かである。
だて歴史の杜公園の 『大手門』
その駄文集の冒頭に、こんな一文がある。
文化の香り
私が中学校2年生の時のことです。
すでに若干多感な時期を迎えていた私でしたが、
音楽のT先生に密かに惹かれていました。
それは決して私だけではなく、
多くの男子生徒が同じ思いを持っていたはずです。
ですから、それまでさほど好きでも嫌いでもなかった音楽の時間を、
どの子もやけに待ち遠しい時間に感じていました。
変声期と併せて楽器音痴だった私なのに、
打楽器ならと進んで手を挙げてみたり、
それは今思い出すと滑稽そのものです。
そのT先生について忘れられないことがあります。
音楽鑑賞の時間のことです。
バッハだ、モーツアルトだと言われても、
坂本九の『上を向いて歩こう』が、一番と思っていた私に、
それはどうでもいいことでしたが、
先生を困らせてはと、おとなしく話を聞くでもなく聞いていました。
先生は、鑑賞のたびに作曲家や曲の解説を丁寧にした後、
「では、これからレコードをかけますね。」
と、おもむろにLPレコードをジャケットから取り出すのです。
それはそれは、そのレコードを大事そうに、
左手の手のひらをめいっぱい指までひろげて片手でもち、
もう一方の手にスプレーを持って、
レコード盤にシューと吹く付けるのです。
そして、専用の赤いスポンジブラシでやさしく、
ゆっくりとレコード盤をそっとふくのです。
私たちは、そんな先生の一連のしぐさをじっと見つめ、
レコード盤がプレーヤーに収まるまで見届けるのです。
先生は、きっと雑音のない美しい澄んだ音色を聞かせようと、
そうしてくれたのだと思います。
しかし、そのスプレーがそれ程効果があるものかどうか、
少なくとも私の耳には、それはどうでもよかったのです。
だが、音楽鑑賞の時のこの一連のT先生のしぐさに、
「文化という香り」を、私は感じてしまったのです。
私には分からないことでしたが、
音楽を本当に聞き分けることができる先生にとっては、
あのスプレーはすごく重要なことだったのでしょう。
そう思うと、「T先生のその行動はまさに文化なんだ。
文化ってそういうものなんだ。」
私は、何にも分からない思春期の初めに、
そうやって文化という言葉と出会ったのです。
≪ 結 ≫
くり返しになるが、思春期の入口で出会った一コマである。
T先生は、今どうされているのか、全く分からない。
T先生との出会い、そして、T先生を通して私がハーッと気づいたことは、
今でも、貴重なことだったように思う。
さて、付け加えたいことがある。
その曲は、初めて聴いたクラシックではない。
しかし、私の心に残った最初のクラシック音楽である。
「協奏曲と言って、いつものオーケストラ演奏とは違う音楽です。」
T先生は、そんな説明をしてくださったように思う。
私は、その曲が始まってすぐに聴き入ってしまった。
今となっては、そのあら筋を思い出すことは難しいが、
その曲を聴きながら、勝手に物語を思い描いていた。
ストーリーが曲の流れと一緒に浮かんだ。
勝手に、その曲からイメージが膨らんだ。
恋心のようなワクワクする場面が迫ってきた。
心地よい風が吹いていた。青空に真綿のような雲が浮かんでいた。
かと思うと、真っ赤なドレスをまとった女性が、優雅に踊っており、
そこに恋がたきが登場したりもした。
私は、その曲が流れている間中、自分の居場所も忘れ、
ただ頬杖をつき、放心したように、その劇中にいたように思う。
演奏が終わりT先生は、「どうでしたか。」と感想を求めたようだった。
何人かが挙手をし、思いを言っていたようだが、
私の耳には届いていなかった。
そんなことより、私には、その曲の流れるような音色が残っていた。
そして、その曲と一緒に思い描いた物語の映像が、脳裏にあった。
先生は何を思ったのだろう。突然、私を指名した。
私は、ハッとする間もなく立ち上がり、
「いろいろな物語や場面が浮かんできた。」と口をついた。
T先生はすかさず、
「聴いていて、笑顔になったり、悲しくて涙が出たりすることがあります。
物語なんで素敵ですね。」
と、私に言ってくださった。
その日、下校はいつもより心も体も軽かった。
その曲は、メンデルスゾーン作曲の『ヴァイオリン協奏曲』だったが、
その時、たった一度しか聴いていない。なのにしっかりと心に残った。
いつ頃だろう、成人してからだと思う。町角か、店先か、レストランか、
どこかで有線からその曲が流れた。
当時、私に何があったのか、思い出すことはできないが、
間違いなく暗くて重たい気分の時だった。
一瞬にして、心が高ぶった。晴れた。
久しぶりに聴くその曲に、こみ上げるものがあった。
あれから、一度も耳にしていないのに、旋律をありありと思い出せた。
力が湧いた。しっかりと励まされた。音楽には力があると感じた。
以来、たびたびこの曲を思い出した。
決まって、私の力になってくれた。
つい先日、昨年の暮れのことだ。
今、話題になっている山田洋次監督の映画・『母と暮せば』を観た。
長崎の原爆で、息子を失った母の、その後の物語である。
母・信子と、亡霊で登場する息子・浩二のもっぱらの話題は、
結婚を約束していた町子のことだった。
浩二と町子には思い出の曲があった。
それが、なんと『メンデルスゾーンのヴァイオリン協奏曲』だった。
劇場に何度も、ヴァイオリンの澄んだ音色が流れた。
町子はやがて、生き残って戦地から戻った黒ちゃんと呼ぶ同僚と結ばれるが、
その二人の最初の出会いにも、この曲があった。
私は、この曲のドラマチックさと
ヴァイオリンの繊細で流れるような美しい調べが、
心を揺り動かし、歩を前へ進める力になることを体験的に知っている。
だが、山田監督が『井上ひさし氏に捧ぐ』とした映画である。
そのストーリーの柱に、あまたある名曲から
「この曲に。」としたことに、映画を観ながら
驚きと共に、震えるような感動を覚えた。
監督とこの映画の音楽担当をした坂本龍一氏に、
この曲を用いた経過を尋ねるすべはないが、
私の初めてのクラシックに、新しいページが加わったのは確かである。
だて歴史の杜公園の 『大手門』
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます