1ヶ月ぶりにゴルフをした。
朝のランニングもした。
ゴルフができることが、走ることが、
こんなに嬉しいとは・・。
今までにはない特別な感情だった。
例年この時期は、ゴルフ三昧で、
東京からゴルフ友達が来たりして、
『ゴルフ!ゴルフ!』で過ごす。
だが、コロナで自粛。
それだけが理由ではなかった。
朝ランには最高の季節だ。
秋のマラソン大会に向けて、
やや長い距離を走る。
半袖シャツにハーフパンツ姿。
軽快に風を切る爽快感がたまらない。
それが、無理だった。
実は、ようやくゴルフができる体になった。
走る体力が、やっと戻った。
6月に入って間もなく、
突然、喉が痛くなった。
かかりつけの内科医へ行った。
微熱もあって、軽い風邪との診断だった。
「葛根湯」などの薬が処方された。
しかし、1日1日痛みが激しくなった。
その箇所も扁桃腺の辺りより奥の方だ。
その上、時間をおいて耳にまで痛みが襲った。
ついに、痛さで深夜に目が覚めた。
3日後、意を決して耳鼻咽喉科へ行った。
耳には異常がなかった。
「喉の痛みが耳にまで伝播しているのでしょう。」
そう診断し、喉の炎症を抑えるため、
抗生剤や痛み止めなど1週間分の薬を処方してくれた。
ところが、その後2夜、
痛みに耐えても改善は見られなかった。
再び耳鼻咽喉科を頼った。
早々医師は、内視鏡で奥の方の喉を診た。
そこには、3つ4つと水ほうがあった。
「これは痛かったでしょう。
喉にできた帯状疱疹ではないかと思います。」
ようやく痛みの正体が分かった。
薬も変更になり、
その上強い痛みに効く頓服薬まで頂いた。
「これで、きちんと薬を飲んでいれば治る。」
そう胸をなで下ろした。
なのに、痛みが続いた。
仕方なく、頓服薬にまで手を伸ばした。
ずっと喉と耳の痛みが続いた。
37度以上にはならないが微熱も下がらなかった。
その上に、次第に頭痛までが加わった。
体もだるく、昼間もベットにふせた。
2日が過ぎた朝だ。
「最近、高血圧気味だから」
と、家内は朝夕に計測をしていた。
「もしかして、頭痛の原因が血圧かも?」
と、私も測定器に向かった。
いつもより20も高く150を越えていた。
翌朝も症状に大きな変化はなかった。
やや頭痛がひどくなったようにも思った。
血圧を測定してみた。
また20程上がって、170もあった。
腑に落ちなかった。
そして、4日目、予約していた耳鼻科への通院の日だ。
血圧は180を越えていた。
再び、内視鏡で喉の奥を診た。
水ほうが薄くなっていたのが、私にも分かった。
少し安心した。
医師に、血圧の上昇を伝えた。
早々薬の副作用を疑い調べてくれたが、
それは否定された。
そして、内科の受診を進められた。
3日分、同じ薬が新たに処方された。
その日もベットに伏せたままだった。
痛さが変わらなかった。
頭痛だけはさらにひどくなったように思い、
就寝時にもう1度、血圧を測った。
198になっていた。
その上、いつもは60程度の心拍数が102もあった。
「明らかに何かがおかしい!」。
「これはまずい!」。
なのに、応急の対処が思い当たらなかった。
よく考えることができなかった。
今、振り返ると、すでにうつろだったのだろう。
ひたすら朝だけを待っていた。
「朝になったら、いつものS医院へ行こう。」
ベットに横になりながら、
「眠ったら、そのまま目が開かなくなるのでは・・」。
そんな不安が、何度もよぎった。
高い木々が林立する深い森に、
小道があった。
木漏れ日が幾筋も斜めに差していた。
突然、フラフラとそこを進む私がいた。
「行っちゃダメ!!」。
慌てて目を覚ました。
鼓動の激しさに、息がついていかなかった。
「眠ったら、そのまま・・・」
そう思いつつ、
また木漏れ日が差す森の小道を進んていた。
それに気づき、ハッと目を覚ます。
くり返しくり返し、同じ映像を見た。
それを中断させ、荒い息をしていた。
喉が渇いた。寝汗をかいた。
そして、ようやく長い夜が明けた。
受付時間を待って、家内の車で
かかりつけの内科医院へ行った。
すでに10人を越える方が、待合室にいた。
得体の知れない不安が、家内に付き添ってほしいと願った。
しかし、座る席がうまる程混雑してきた。
「診察が終わったら、連絡するから。」
1人、ボーとしたまま待つことにした。
しばらくして看護師さんが問診に来た。
耳鼻咽喉科での診断のこと、
数日前から血圧が上昇していることを伝えた。
看護師さんは、その場に血圧計を持ってきた。
測定を終え、看護師さんの表情が一瞬変わった。
「歩けますか。」
「あっ、ハイ。」
「別室のベットへ行きましょう。
横になりましょう。」
思考が前へ進まない私に比べ、
看護師さんの行動は素早く感じた。
私の腕を抱え、立たせると、
そのままゆっくりと処置室のベットへ導いてくれた。
ベットで横になった。
タオルケットをかけてくれた。
「すぐに先生を呼びますからね。お待ち下さい。
ここに呼び出しボタンを置きます。
遠慮しないで押してくださいね。」
急な状況の変化についていけないまま、
カーテンの仕切りが閉じた。
「きっと血圧は200を越えていたんだ。」
「俺はどうなるのだろう。」
「ここでも眠ると、あの森も小道がでてくるのだろうか。」
不安が、ゆっくりとかけめぐった。
10分も待たなかったと思う。
いつものように、穏やかな表情の医師が現れた。
「血圧が高いですね。すぐに処置しますからね。」
私の目を見てそれだけを言って、仕切りのカーテンを閉めた。
すぐに、同じ処置室にいた看護師さんへの指示が聞こえた。
穏やかな声のはずが、尖っていた。
「すぐにS薬を飲ませて、それからB点滴を始めて、
O注射も追加してくださいね。」
「はい、分かりました。」
看護師さんの返事は、速かった。
医師の足音が去るのと同時に、
看護師さんが打つキーボードの早くて強い音が聞こえた。
カシャカシャ、カシャ。カシャカ・・。
「急ぎ対処しているんだ」。
頭と喉、耳から押し寄せる痛みの中で、
漠然とだが、その音が急を告げているように聞こえた。
「多くの患者さんが待つ中で、
特段の対処してくれている」。
不安と向き合いながら、
何かが込み上げてくるのを感じていた。
時間を置かず、薬1錠と冷たい水が届いた。
そして、点滴もすぐだった。
看護婦さんは、再び言った。
「ここに呼び出しボタンがあります。
遠慮しないで押して下さい。」
「わかりました。」
彼女を安心させたくて、ハッキリと即答した。
それから、1時間後、点滴を終え診察室に呼ばれた。
血圧は160まで下がっていた。
「この後は、徐々に下げていく薬を飲んで様子を診ましょう。」
いつもの穏やかな先生だった。
予断になるが、ずっと気になっていることを訊いてみた。
「耳鼻科で頂いた痛み止めの頓服薬は、飲まない方がいいのでしょうか。」
「お医者さんが、必要だと思ってお出しした薬です。
また血圧が上がったら、今日のように下げればいいんです。」
毅然とした回答に、医師の矜持を感じた。
でも、あの頓服はもう飲まないと勝手に決めた。
さて、その後だが、血圧は4日後には元に戻った。
同時に頭痛も消えた。
やがて耳の痛みも忘れた。
1週間後には平熱になった。
喉の違和感は今も残っているが、
私の日常は、ほぼ元に戻った。
異常な6月が去った。
時々、くり返し目を覚ましたあの夜を思い出す。
頼りない思考力と、激しい鼓動のまま、
死を予感しそうになっていた私だった。
しかし実は、一方で、
「もし、また元気になれたら、
俺は、こんなもんじゃ済まさない!」。
そう強がっていた。
収穫のときは間近 秋蒔き小麦
朝のランニングもした。
ゴルフができることが、走ることが、
こんなに嬉しいとは・・。
今までにはない特別な感情だった。
例年この時期は、ゴルフ三昧で、
東京からゴルフ友達が来たりして、
『ゴルフ!ゴルフ!』で過ごす。
だが、コロナで自粛。
それだけが理由ではなかった。
朝ランには最高の季節だ。
秋のマラソン大会に向けて、
やや長い距離を走る。
半袖シャツにハーフパンツ姿。
軽快に風を切る爽快感がたまらない。
それが、無理だった。
実は、ようやくゴルフができる体になった。
走る体力が、やっと戻った。
6月に入って間もなく、
突然、喉が痛くなった。
かかりつけの内科医へ行った。
微熱もあって、軽い風邪との診断だった。
「葛根湯」などの薬が処方された。
しかし、1日1日痛みが激しくなった。
その箇所も扁桃腺の辺りより奥の方だ。
その上、時間をおいて耳にまで痛みが襲った。
ついに、痛さで深夜に目が覚めた。
3日後、意を決して耳鼻咽喉科へ行った。
耳には異常がなかった。
「喉の痛みが耳にまで伝播しているのでしょう。」
そう診断し、喉の炎症を抑えるため、
抗生剤や痛み止めなど1週間分の薬を処方してくれた。
ところが、その後2夜、
痛みに耐えても改善は見られなかった。
再び耳鼻咽喉科を頼った。
早々医師は、内視鏡で奥の方の喉を診た。
そこには、3つ4つと水ほうがあった。
「これは痛かったでしょう。
喉にできた帯状疱疹ではないかと思います。」
ようやく痛みの正体が分かった。
薬も変更になり、
その上強い痛みに効く頓服薬まで頂いた。
「これで、きちんと薬を飲んでいれば治る。」
そう胸をなで下ろした。
なのに、痛みが続いた。
仕方なく、頓服薬にまで手を伸ばした。
ずっと喉と耳の痛みが続いた。
37度以上にはならないが微熱も下がらなかった。
その上に、次第に頭痛までが加わった。
体もだるく、昼間もベットにふせた。
2日が過ぎた朝だ。
「最近、高血圧気味だから」
と、家内は朝夕に計測をしていた。
「もしかして、頭痛の原因が血圧かも?」
と、私も測定器に向かった。
いつもより20も高く150を越えていた。
翌朝も症状に大きな変化はなかった。
やや頭痛がひどくなったようにも思った。
血圧を測定してみた。
また20程上がって、170もあった。
腑に落ちなかった。
そして、4日目、予約していた耳鼻科への通院の日だ。
血圧は180を越えていた。
再び、内視鏡で喉の奥を診た。
水ほうが薄くなっていたのが、私にも分かった。
少し安心した。
医師に、血圧の上昇を伝えた。
早々薬の副作用を疑い調べてくれたが、
それは否定された。
そして、内科の受診を進められた。
3日分、同じ薬が新たに処方された。
その日もベットに伏せたままだった。
痛さが変わらなかった。
頭痛だけはさらにひどくなったように思い、
就寝時にもう1度、血圧を測った。
198になっていた。
その上、いつもは60程度の心拍数が102もあった。
「明らかに何かがおかしい!」。
「これはまずい!」。
なのに、応急の対処が思い当たらなかった。
よく考えることができなかった。
今、振り返ると、すでにうつろだったのだろう。
ひたすら朝だけを待っていた。
「朝になったら、いつものS医院へ行こう。」
ベットに横になりながら、
「眠ったら、そのまま目が開かなくなるのでは・・」。
そんな不安が、何度もよぎった。
高い木々が林立する深い森に、
小道があった。
木漏れ日が幾筋も斜めに差していた。
突然、フラフラとそこを進む私がいた。
「行っちゃダメ!!」。
慌てて目を覚ました。
鼓動の激しさに、息がついていかなかった。
「眠ったら、そのまま・・・」
そう思いつつ、
また木漏れ日が差す森の小道を進んていた。
それに気づき、ハッと目を覚ます。
くり返しくり返し、同じ映像を見た。
それを中断させ、荒い息をしていた。
喉が渇いた。寝汗をかいた。
そして、ようやく長い夜が明けた。
受付時間を待って、家内の車で
かかりつけの内科医院へ行った。
すでに10人を越える方が、待合室にいた。
得体の知れない不安が、家内に付き添ってほしいと願った。
しかし、座る席がうまる程混雑してきた。
「診察が終わったら、連絡するから。」
1人、ボーとしたまま待つことにした。
しばらくして看護師さんが問診に来た。
耳鼻咽喉科での診断のこと、
数日前から血圧が上昇していることを伝えた。
看護師さんは、その場に血圧計を持ってきた。
測定を終え、看護師さんの表情が一瞬変わった。
「歩けますか。」
「あっ、ハイ。」
「別室のベットへ行きましょう。
横になりましょう。」
思考が前へ進まない私に比べ、
看護師さんの行動は素早く感じた。
私の腕を抱え、立たせると、
そのままゆっくりと処置室のベットへ導いてくれた。
ベットで横になった。
タオルケットをかけてくれた。
「すぐに先生を呼びますからね。お待ち下さい。
ここに呼び出しボタンを置きます。
遠慮しないで押してくださいね。」
急な状況の変化についていけないまま、
カーテンの仕切りが閉じた。
「きっと血圧は200を越えていたんだ。」
「俺はどうなるのだろう。」
「ここでも眠ると、あの森も小道がでてくるのだろうか。」
不安が、ゆっくりとかけめぐった。
10分も待たなかったと思う。
いつものように、穏やかな表情の医師が現れた。
「血圧が高いですね。すぐに処置しますからね。」
私の目を見てそれだけを言って、仕切りのカーテンを閉めた。
すぐに、同じ処置室にいた看護師さんへの指示が聞こえた。
穏やかな声のはずが、尖っていた。
「すぐにS薬を飲ませて、それからB点滴を始めて、
O注射も追加してくださいね。」
「はい、分かりました。」
看護師さんの返事は、速かった。
医師の足音が去るのと同時に、
看護師さんが打つキーボードの早くて強い音が聞こえた。
カシャカシャ、カシャ。カシャカ・・。
「急ぎ対処しているんだ」。
頭と喉、耳から押し寄せる痛みの中で、
漠然とだが、その音が急を告げているように聞こえた。
「多くの患者さんが待つ中で、
特段の対処してくれている」。
不安と向き合いながら、
何かが込み上げてくるのを感じていた。
時間を置かず、薬1錠と冷たい水が届いた。
そして、点滴もすぐだった。
看護婦さんは、再び言った。
「ここに呼び出しボタンがあります。
遠慮しないで押して下さい。」
「わかりました。」
彼女を安心させたくて、ハッキリと即答した。
それから、1時間後、点滴を終え診察室に呼ばれた。
血圧は160まで下がっていた。
「この後は、徐々に下げていく薬を飲んで様子を診ましょう。」
いつもの穏やかな先生だった。
予断になるが、ずっと気になっていることを訊いてみた。
「耳鼻科で頂いた痛み止めの頓服薬は、飲まない方がいいのでしょうか。」
「お医者さんが、必要だと思ってお出しした薬です。
また血圧が上がったら、今日のように下げればいいんです。」
毅然とした回答に、医師の矜持を感じた。
でも、あの頓服はもう飲まないと勝手に決めた。
さて、その後だが、血圧は4日後には元に戻った。
同時に頭痛も消えた。
やがて耳の痛みも忘れた。
1週間後には平熱になった。
喉の違和感は今も残っているが、
私の日常は、ほぼ元に戻った。
異常な6月が去った。
時々、くり返し目を覚ましたあの夜を思い出す。
頼りない思考力と、激しい鼓動のまま、
死を予感しそうになっていた私だった。
しかし実は、一方で、
「もし、また元気になれたら、
俺は、こんなもんじゃ済まさない!」。
そう強がっていた。
収穫のときは間近 秋蒔き小麦
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