5年生を担任した。
年度初めの家庭訪問で、その子のお母さんは、
「手を挙げているうちの子を、一度でいいから見たいです。」
と、言った。
とてもシャイな女の子だった。
私と言葉を交わす時も、
少しも目を合わせなかった。
いつだって、私の正面に立つことを避けているようだった。
小綺麗な服装をしていた。
自分によく似合う色合いやデザインが分かっているようだった。
丸顔の可愛い子だった。
確かに手を挙げることはなかった。
でも、指名すると二言三言の簡単な返答はした。
休み時間は、2,3人の女の子と校庭に行くが、
どこで何をしているのか、目立たなかった。
授業中、気に掛けて見ていると、
私が話したり、友だちが意見を言ったりすると、
時々、納得したような表情や困惑したような表情をした。
そんなことから、心の動きを窺うことができた。
ある時の作文に、
『手を挙げて、意見や感想を言ってみたいけど、
私にはできません。』と、書いてあった。
『いつか、できるようになるといいね。』
と、書き添えた覚えがある。
その子も、もう40歳を越えているだろう。
今も、シャイなのだろうか。
手を挙げる経験は、どうなったのだろう。
時々、思い出したりする。
長い教職生活であった。
毎年毎年、色々な子どもと、
それこそ、一つとして同じではない素敵な出会いがあった。
その全てが、私の宝物である。
しかし、中には、あの時のあのことが、
ずっと心にあって、
気になったまま、今も重たい気持ちでいることがある。
たわいもないことと思ってもらえたらいいのだが、
そんな2つを記す。
◆ まだかけ出しの教員だった頃だ。
同じ地区の近隣5校の高学年が集まって、
9月に水泳大会、10月に陸上大会があった。
いずれも、代表の子どもが選手になり、
それぞれの種目で力を競った。
6年担任をしていた。
夏休み明け前から、水泳大会に向け特別練習をした。
泳力のある子が、毎日2、3時間の練習を続けた。
どの子も、約2週間、大会のため意欲的に取り組んだ。
大会の3日前には、出場選手が決まった。
できるだけ多くの子に出場機会をあげるようにした。
学級の半分が選手になった。残りの半分は、応援にまわった。
選手の一人にY君がいた。
運動能力があり、水泳に限らず
体育の時間はいつも注目されていた。
大会では、花形の50メートル自由形に出場することになった。
私もクラスメイトも、その種目の1位を期待した。
順位は、出場者全員の1回きりのタイムで決まった。
5校の子ども達の大きな声援の中、Y君は飛び込んだ。
飛び込んですぐ、彼は異変に気づいた。
自分への期待の大きさに、緊張しきっていたのだろうか。
水着の腰紐を結び忘れていた。
飛び込んだ勢いで、水着がずり下がってしまった。
彼は泳ぎをやめて立ち上がり、水中で水着を上げた。
そして、再び泳ぎ始めた。
プールサイドの応援席は、一瞬静まりかえった。
結果は、言うまでもない。1位どころではなかった。
大会を終え、会場から学校までの道々、
頭を垂れる彼に、誰も近づこうとしなかった。
そんな彼の肩に手を添えて、私は明るく言った。
「来月には、陸上大会があるじゃないか。
今日の悔しさは、そこではらそうよ。」
陸上大会の3週間前から、早朝の特別練習が始まった。
彼は、真っ先に登校し、
率先して校庭のライン引きや用具の準備をした。
そして、熱心に練習した。
私は、希望を受け入れて、
50メートルハードル走に、彼をエントリーさせた。
先生方のアドバイスをよく聞き、
彼はハードリングをくり返しくり返し練習した。
水泳大会の悔しさが、きっとそうさせているのだと思った。
1位でなくてもいい、好成績をとってほしいと願った。
大会当日、自分への期待もあったのだろうか、
とびっきり明るいY君だった。
声援も人一倍声を張り上げていた。
いよいよ彼のレースになった。
1位で通過すると、準決勝に進める。
私は、1位通過を確信していた。
スタートの合図が鳴った。
6人が一斉に走り出した。
案の定、第1ハードル、第2ハードルと、
トップで越えていった。
そして最終ハードル。
彼の足が、ハードルを蹴ってしまった。
物凄い音でハードルが倒れた。
そして彼はころんだ。
スローモーションを見ているようだった。
グランドにころがった彼を、
5人のランナーが追い抜いていった。
彼は、体育着の土をはらいながら、ゴールまで進んだ。
その日も、会場から学校までの道々、
頭を垂れる彼に、誰も近づこうとしなかった。
実は、私もその一人になっていた。
Y君に近づくことができなかった。
肩を抱いて、何か言ってあげたかった。
グランドで転倒したその時から、必死に、言葉を探していた。
今なら、言葉など要らない、
そっと肩を抱いて一緒に歩くだけでいいと思える。
しかし、あの頃の私は、それに気づかなかった。
励ます言葉が見つからず、彼をそのままにしてしまった。
Y君は、トボトボと学校まで戻り、
そして、消えるように下校していった。
何もできなかった。
申し訳ない気持ちだけがいつまでも残った。
今も、それは変わらない。
◆ 私は、4年生担任の経験がない。
3年生担任は1度だけある。
だから、貴重な中学年担任、
つまり3年生との思い出には、特別なものがある。
1,2年生とも、5,6年生とも違い、
3年生は、とにかく底抜けに明るく、
元気がいいと言った印象である。
毎日が、楽しかった。
その中で、学級で一番の人気者だった
Aちゃんのことは記憶から離れない。
Aちゃんは、学級一小さな子だった。
いつもニコニコしていて、言うことにも、
一つ一つのしぐさにも、ユーモアがあった。
学級のみんなは、Aちゃんと一緒にいることが、
大好きだった。
お母さんによると、家でも全く同じようで、
いつもお父さんお母さんを明るくしていた。
Aちゃんは、一人っ子で兄弟がいなかった。
なので、時折一人でポツンと、
寂しそうにしていることがあったらしい。
「それだけが、気がかりなんです。」
と、お母さんは言っていた。
だからよけいに学校では、
みんなとワイワイガヤガヤするのが、
好きなんだと私は思った。
私は、よくAちゃんをからかった。
Aちゃんは、出席番号が一番だった。
ある日、毎朝の出席確認で、
わざとAちゃんを飛ばし、2番の子から呼名した。
そして一番最後にAちゃんの名を呼んだ。
Aちゃんは、
「ぼくが一番なのに、しょうがない先生だ。」
と、言ってから、ハイと手を挙げた。
そこで、みんなはドッと笑った。
「Aちゃん、間違えてごめんなさい。」
私が、おおげさにあやまる。
「今度から、気をつけて下さいね。」
と、若干すねた表情で切り換えされた。
翌日、もう一度同じ事をする。すると、
「昨日も同じ事をして、もう、しょうがない先生だ。」
と言って、みんなで大笑いをする。
明るい一日が、そうして始まった。
Aちゃんを中心に、
いつも笑いの絶えない1年間が過ぎた。
4年生に進んでも、学級編制替えがなかった。
そのまま担任をしたかった。
しかし、次の年、私は5年生の担任になった。
残念ながら、Aちゃんたちと別れた。
1ヶ月が過ぎた。5月の連休があけてすぐ、
5,6年合同の遠足があった。
夕方4時過ぎ、遠足を終え、
高学年と一緒に、学校近くまで帰ってきた。
私は、その列の先頭を歩いていた。
すると同じ歩道の前方から、Aちゃんが一人、
お使いにでも行く途中だったのか、
私たちの列に近づいてきた。
久しぶりのAちゃんだった。
Aちゃんは私を見て、ニコニコした。
私もニコッと明るい顔になった。目と目があった。
すごく嬉しい表情のまま、すれ違った。
「久しぶりだね。元気にやってる?」と、言えばよかった。
なのに、その時私は、
「あれ、君、誰だったっけ?」
と、目をそらしたのだった。
すぐ、冗談が過ぎたと思った。
しかし、そのままAちゃんをやり過ごした。
振り向くこともしなかった。
ちょっとの時間があった。
急に、後ろの方から叫び声が届いた。
「先生、僕はA川T雄です。忘れないで下さい。
A川T雄です。」
胸がつまった。さっと振り向いてた。
Aちゃんが、ポツンと立っていた。
大声で言った。
「Aちゃん、ごめん。忘れてなんかいないよ。」
再びAちゃんの声が届いた。、
「先生、僕はA川T雄です。忘れないで下さい」
今度は、すこし涙声だった。
列から離れて、Aちゃんを追いかけて行けばよかった。
でも、そうしないまま、学校に向かった。
翌日、Aちゃんを廊下で見つけた。
「Aちゃんのこと、忘れてないよ。
なのに、ゴメンんなさい。」
心から頭をさげた。
「そうか。でも、忘れないで下さい。」
また言われてしまった。
綺麗な心を汚してしまった。
申し訳ない気持ちは、今も、残ったままだ。
近くの畑で ジャガイモの花が咲いた
年度初めの家庭訪問で、その子のお母さんは、
「手を挙げているうちの子を、一度でいいから見たいです。」
と、言った。
とてもシャイな女の子だった。
私と言葉を交わす時も、
少しも目を合わせなかった。
いつだって、私の正面に立つことを避けているようだった。
小綺麗な服装をしていた。
自分によく似合う色合いやデザインが分かっているようだった。
丸顔の可愛い子だった。
確かに手を挙げることはなかった。
でも、指名すると二言三言の簡単な返答はした。
休み時間は、2,3人の女の子と校庭に行くが、
どこで何をしているのか、目立たなかった。
授業中、気に掛けて見ていると、
私が話したり、友だちが意見を言ったりすると、
時々、納得したような表情や困惑したような表情をした。
そんなことから、心の動きを窺うことができた。
ある時の作文に、
『手を挙げて、意見や感想を言ってみたいけど、
私にはできません。』と、書いてあった。
『いつか、できるようになるといいね。』
と、書き添えた覚えがある。
その子も、もう40歳を越えているだろう。
今も、シャイなのだろうか。
手を挙げる経験は、どうなったのだろう。
時々、思い出したりする。
長い教職生活であった。
毎年毎年、色々な子どもと、
それこそ、一つとして同じではない素敵な出会いがあった。
その全てが、私の宝物である。
しかし、中には、あの時のあのことが、
ずっと心にあって、
気になったまま、今も重たい気持ちでいることがある。
たわいもないことと思ってもらえたらいいのだが、
そんな2つを記す。
◆ まだかけ出しの教員だった頃だ。
同じ地区の近隣5校の高学年が集まって、
9月に水泳大会、10月に陸上大会があった。
いずれも、代表の子どもが選手になり、
それぞれの種目で力を競った。
6年担任をしていた。
夏休み明け前から、水泳大会に向け特別練習をした。
泳力のある子が、毎日2、3時間の練習を続けた。
どの子も、約2週間、大会のため意欲的に取り組んだ。
大会の3日前には、出場選手が決まった。
できるだけ多くの子に出場機会をあげるようにした。
学級の半分が選手になった。残りの半分は、応援にまわった。
選手の一人にY君がいた。
運動能力があり、水泳に限らず
体育の時間はいつも注目されていた。
大会では、花形の50メートル自由形に出場することになった。
私もクラスメイトも、その種目の1位を期待した。
順位は、出場者全員の1回きりのタイムで決まった。
5校の子ども達の大きな声援の中、Y君は飛び込んだ。
飛び込んですぐ、彼は異変に気づいた。
自分への期待の大きさに、緊張しきっていたのだろうか。
水着の腰紐を結び忘れていた。
飛び込んだ勢いで、水着がずり下がってしまった。
彼は泳ぎをやめて立ち上がり、水中で水着を上げた。
そして、再び泳ぎ始めた。
プールサイドの応援席は、一瞬静まりかえった。
結果は、言うまでもない。1位どころではなかった。
大会を終え、会場から学校までの道々、
頭を垂れる彼に、誰も近づこうとしなかった。
そんな彼の肩に手を添えて、私は明るく言った。
「来月には、陸上大会があるじゃないか。
今日の悔しさは、そこではらそうよ。」
陸上大会の3週間前から、早朝の特別練習が始まった。
彼は、真っ先に登校し、
率先して校庭のライン引きや用具の準備をした。
そして、熱心に練習した。
私は、希望を受け入れて、
50メートルハードル走に、彼をエントリーさせた。
先生方のアドバイスをよく聞き、
彼はハードリングをくり返しくり返し練習した。
水泳大会の悔しさが、きっとそうさせているのだと思った。
1位でなくてもいい、好成績をとってほしいと願った。
大会当日、自分への期待もあったのだろうか、
とびっきり明るいY君だった。
声援も人一倍声を張り上げていた。
いよいよ彼のレースになった。
1位で通過すると、準決勝に進める。
私は、1位通過を確信していた。
スタートの合図が鳴った。
6人が一斉に走り出した。
案の定、第1ハードル、第2ハードルと、
トップで越えていった。
そして最終ハードル。
彼の足が、ハードルを蹴ってしまった。
物凄い音でハードルが倒れた。
そして彼はころんだ。
スローモーションを見ているようだった。
グランドにころがった彼を、
5人のランナーが追い抜いていった。
彼は、体育着の土をはらいながら、ゴールまで進んだ。
その日も、会場から学校までの道々、
頭を垂れる彼に、誰も近づこうとしなかった。
実は、私もその一人になっていた。
Y君に近づくことができなかった。
肩を抱いて、何か言ってあげたかった。
グランドで転倒したその時から、必死に、言葉を探していた。
今なら、言葉など要らない、
そっと肩を抱いて一緒に歩くだけでいいと思える。
しかし、あの頃の私は、それに気づかなかった。
励ます言葉が見つからず、彼をそのままにしてしまった。
Y君は、トボトボと学校まで戻り、
そして、消えるように下校していった。
何もできなかった。
申し訳ない気持ちだけがいつまでも残った。
今も、それは変わらない。
◆ 私は、4年生担任の経験がない。
3年生担任は1度だけある。
だから、貴重な中学年担任、
つまり3年生との思い出には、特別なものがある。
1,2年生とも、5,6年生とも違い、
3年生は、とにかく底抜けに明るく、
元気がいいと言った印象である。
毎日が、楽しかった。
その中で、学級で一番の人気者だった
Aちゃんのことは記憶から離れない。
Aちゃんは、学級一小さな子だった。
いつもニコニコしていて、言うことにも、
一つ一つのしぐさにも、ユーモアがあった。
学級のみんなは、Aちゃんと一緒にいることが、
大好きだった。
お母さんによると、家でも全く同じようで、
いつもお父さんお母さんを明るくしていた。
Aちゃんは、一人っ子で兄弟がいなかった。
なので、時折一人でポツンと、
寂しそうにしていることがあったらしい。
「それだけが、気がかりなんです。」
と、お母さんは言っていた。
だからよけいに学校では、
みんなとワイワイガヤガヤするのが、
好きなんだと私は思った。
私は、よくAちゃんをからかった。
Aちゃんは、出席番号が一番だった。
ある日、毎朝の出席確認で、
わざとAちゃんを飛ばし、2番の子から呼名した。
そして一番最後にAちゃんの名を呼んだ。
Aちゃんは、
「ぼくが一番なのに、しょうがない先生だ。」
と、言ってから、ハイと手を挙げた。
そこで、みんなはドッと笑った。
「Aちゃん、間違えてごめんなさい。」
私が、おおげさにあやまる。
「今度から、気をつけて下さいね。」
と、若干すねた表情で切り換えされた。
翌日、もう一度同じ事をする。すると、
「昨日も同じ事をして、もう、しょうがない先生だ。」
と言って、みんなで大笑いをする。
明るい一日が、そうして始まった。
Aちゃんを中心に、
いつも笑いの絶えない1年間が過ぎた。
4年生に進んでも、学級編制替えがなかった。
そのまま担任をしたかった。
しかし、次の年、私は5年生の担任になった。
残念ながら、Aちゃんたちと別れた。
1ヶ月が過ぎた。5月の連休があけてすぐ、
5,6年合同の遠足があった。
夕方4時過ぎ、遠足を終え、
高学年と一緒に、学校近くまで帰ってきた。
私は、その列の先頭を歩いていた。
すると同じ歩道の前方から、Aちゃんが一人、
お使いにでも行く途中だったのか、
私たちの列に近づいてきた。
久しぶりのAちゃんだった。
Aちゃんは私を見て、ニコニコした。
私もニコッと明るい顔になった。目と目があった。
すごく嬉しい表情のまま、すれ違った。
「久しぶりだね。元気にやってる?」と、言えばよかった。
なのに、その時私は、
「あれ、君、誰だったっけ?」
と、目をそらしたのだった。
すぐ、冗談が過ぎたと思った。
しかし、そのままAちゃんをやり過ごした。
振り向くこともしなかった。
ちょっとの時間があった。
急に、後ろの方から叫び声が届いた。
「先生、僕はA川T雄です。忘れないで下さい。
A川T雄です。」
胸がつまった。さっと振り向いてた。
Aちゃんが、ポツンと立っていた。
大声で言った。
「Aちゃん、ごめん。忘れてなんかいないよ。」
再びAちゃんの声が届いた。、
「先生、僕はA川T雄です。忘れないで下さい」
今度は、すこし涙声だった。
列から離れて、Aちゃんを追いかけて行けばよかった。
でも、そうしないまま、学校に向かった。
翌日、Aちゃんを廊下で見つけた。
「Aちゃんのこと、忘れてないよ。
なのに、ゴメンんなさい。」
心から頭をさげた。
「そうか。でも、忘れないで下さい。」
また言われてしまった。
綺麗な心を汚してしまった。
申し訳ない気持ちは、今も、残ったままだ。
近くの畑で ジャガイモの花が咲いた
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