中学2年になってから、毎朝、Rチャンが迎えに来てくれた。
帰りも一緒で、我が家の玄関先で別れた。
私にとって、初めてできた特定の友だちだった。
Rチャンは、物静かで口数も少なかった。
登下校の道々、さほど多くの言葉を交わした覚えはない。
それでも、Rチャンの何とはなくの、おだやかさが心地よく、
私は一緒にいる時間が好きだった。
1学期末の定期試験の時だったと思う。
私は自分の勉強不足を棚に上げ、
試験のできの悪さに、イライラした気持ちで学校を出た。
通学路を少し外れた所に小さな沼があった。
私は無言でその沼に向かった。
平らな小石を拾い、沼辺から水面めがけ水切り投げをした。
石は1回だけ水面を跳ね、沼に沈んだ。
2度3度と繰り返した。何度やっても1回だけしか石は跳ねなかった。
Rチャンは、だまって私の後をついてきて見ていた。
しばらくして、カバンを置き、水切り投げをした。
同じように何故か石は1回しか水面を跳ねなかった。
何回も何回も同じだった。
私は、すっかり試験の不出来を忘れてしまった。
そして、二人そろって、1回しか跳ねないことに
可笑しさがこみ上げ、大笑いをした。
夏の終わりだったと思う。
Rチャンの家に事件がおきた。
会社勤めをしていたRチャンのお父さんが、
病気で大きな病院に入院した。
数日して、10歳年上の兄が、どこから聞いてきたのか、
『Rチャンのお父さんは、ガンで後1ヶ月の命だ。』
と、母と小声で話していた。
私は、胸がドキドキした。
Rチャンのお父さんは、
入院から3ヶ月後に息をひきとった。
母に「一緒にいってあげるから。」と、言われ、
私はお通夜にも、そして学校を早退して告別式にも行った。
二日ともRチャンがすごく遠くに感じた。
特に告別式は風の強い日で、
Rチャンはお父さんの遺影を抱いて、人混みの前に立っていた。
私は、沢山の大人たちの後ろの方にいた。
Rチャンが、やけに小さく見えた。
すごく可哀想で、唇をかみしめ必死で涙をこらえた。
横にいた母に、
「近くに行って、顔を見せてあげたら。」
と、背中を押されたが、一歩も動けなかった。
小学3年の妹が、Rチャンにぴったりと寄り添っていた。
私は、
「せめて、この強い風だけでも弱まってくれ。」
と、精一杯願った。
それから数日した朝、
Rチャンは、いつもと同じように私を迎えに来てくれた。
その日、珍しく、母が玄関先まで出て、Rチャンに
「いろいろと大変だったね。」
と、声をかけた。
Rチャンは、深々と頭を下げ、はっきりとした声で、
「いろいろと、ありがとうございました。」
と、言った。
Rチャンに比べ、私はなんて子どもなんだろうと思った。
学校までの道々、私は何も言えなかった。
ただ、ややうつむき加減で、並んで歩いた。
突然、Rちゃんが、
「ガンだったんだ。知らなかったんだ。」
兄と母の会話を思い出した。
「知っていたら、もっともっとお見舞いに行ったのに。」
Rちゃんの言葉で、心が痛さを感じた。
「もっと、話を聞きたかった。」
しばらくして
「父さんのこと、俺、なんにも知らないんだよ。」
肩を並べて歩くのがようやくだった。
「知っていた人、いっぱいいたのに。誰か教えてくれたって…。」
つぶやくような声だった。
目まいがする程のつらさが私を襲った。
Rチャンを慰めたり、励ましたり、言い訳したり、
私には、どんな言葉もなかった。
ただ、決してRチャンから離れず並んで歩こう、それだけを思った。
Rチャンは、もう何も言わなかった。
私は、次第次第に間近になった学校を見ながら、自分を責めた。
兄と母のひそひそ話から、誰にも話してはいけないと思った。
だた、それしか考えなかった自分を責めた。
「知っていたら、もっとお見舞いに…」
「話が聞きたかった…」
の、声がくり返しくり返し私の心を襲った。
足下も、すぐそこの学校の玄関も涙で潤んだ。
「Rチャン、ちょっと先に。」
と、私は小走りで、玄関から階段へ曲がった。
声をたてて泣きたかった。
3月末、Rチャンは、お母さんの実家がある遠い田舎へと旅だった。
もう二度と会えないだろうと思った。
列車に乗り込むRチャンを見送りに行った。
妹の手をしっかりとひいていたRチャン。
人との別れの悲しさを初めて知った。
私は、そんな胸の内を知られるのが恥ずかしくて、
見送りにきた人たちの後ろの方にいた。
Rチャンは、私を見つけて、ニコッと微笑んでくれた。
「Rチャン、本当はお父さんのこと知っていたのに、ごめんね。」
と、言いたかった。
それなのに、ついニコッと私も微笑んだ。
とうとう 散策路も 雪化粧
帰りも一緒で、我が家の玄関先で別れた。
私にとって、初めてできた特定の友だちだった。
Rチャンは、物静かで口数も少なかった。
登下校の道々、さほど多くの言葉を交わした覚えはない。
それでも、Rチャンの何とはなくの、おだやかさが心地よく、
私は一緒にいる時間が好きだった。
1学期末の定期試験の時だったと思う。
私は自分の勉強不足を棚に上げ、
試験のできの悪さに、イライラした気持ちで学校を出た。
通学路を少し外れた所に小さな沼があった。
私は無言でその沼に向かった。
平らな小石を拾い、沼辺から水面めがけ水切り投げをした。
石は1回だけ水面を跳ね、沼に沈んだ。
2度3度と繰り返した。何度やっても1回だけしか石は跳ねなかった。
Rチャンは、だまって私の後をついてきて見ていた。
しばらくして、カバンを置き、水切り投げをした。
同じように何故か石は1回しか水面を跳ねなかった。
何回も何回も同じだった。
私は、すっかり試験の不出来を忘れてしまった。
そして、二人そろって、1回しか跳ねないことに
可笑しさがこみ上げ、大笑いをした。
夏の終わりだったと思う。
Rチャンの家に事件がおきた。
会社勤めをしていたRチャンのお父さんが、
病気で大きな病院に入院した。
数日して、10歳年上の兄が、どこから聞いてきたのか、
『Rチャンのお父さんは、ガンで後1ヶ月の命だ。』
と、母と小声で話していた。
私は、胸がドキドキした。
Rチャンのお父さんは、
入院から3ヶ月後に息をひきとった。
母に「一緒にいってあげるから。」と、言われ、
私はお通夜にも、そして学校を早退して告別式にも行った。
二日ともRチャンがすごく遠くに感じた。
特に告別式は風の強い日で、
Rチャンはお父さんの遺影を抱いて、人混みの前に立っていた。
私は、沢山の大人たちの後ろの方にいた。
Rチャンが、やけに小さく見えた。
すごく可哀想で、唇をかみしめ必死で涙をこらえた。
横にいた母に、
「近くに行って、顔を見せてあげたら。」
と、背中を押されたが、一歩も動けなかった。
小学3年の妹が、Rチャンにぴったりと寄り添っていた。
私は、
「せめて、この強い風だけでも弱まってくれ。」
と、精一杯願った。
それから数日した朝、
Rチャンは、いつもと同じように私を迎えに来てくれた。
その日、珍しく、母が玄関先まで出て、Rチャンに
「いろいろと大変だったね。」
と、声をかけた。
Rチャンは、深々と頭を下げ、はっきりとした声で、
「いろいろと、ありがとうございました。」
と、言った。
Rチャンに比べ、私はなんて子どもなんだろうと思った。
学校までの道々、私は何も言えなかった。
ただ、ややうつむき加減で、並んで歩いた。
突然、Rちゃんが、
「ガンだったんだ。知らなかったんだ。」
兄と母の会話を思い出した。
「知っていたら、もっともっとお見舞いに行ったのに。」
Rちゃんの言葉で、心が痛さを感じた。
「もっと、話を聞きたかった。」
しばらくして
「父さんのこと、俺、なんにも知らないんだよ。」
肩を並べて歩くのがようやくだった。
「知っていた人、いっぱいいたのに。誰か教えてくれたって…。」
つぶやくような声だった。
目まいがする程のつらさが私を襲った。
Rチャンを慰めたり、励ましたり、言い訳したり、
私には、どんな言葉もなかった。
ただ、決してRチャンから離れず並んで歩こう、それだけを思った。
Rチャンは、もう何も言わなかった。
私は、次第次第に間近になった学校を見ながら、自分を責めた。
兄と母のひそひそ話から、誰にも話してはいけないと思った。
だた、それしか考えなかった自分を責めた。
「知っていたら、もっとお見舞いに…」
「話が聞きたかった…」
の、声がくり返しくり返し私の心を襲った。
足下も、すぐそこの学校の玄関も涙で潤んだ。
「Rチャン、ちょっと先に。」
と、私は小走りで、玄関から階段へ曲がった。
声をたてて泣きたかった。
3月末、Rチャンは、お母さんの実家がある遠い田舎へと旅だった。
もう二度と会えないだろうと思った。
列車に乗り込むRチャンを見送りに行った。
妹の手をしっかりとひいていたRチャン。
人との別れの悲しさを初めて知った。
私は、そんな胸の内を知られるのが恥ずかしくて、
見送りにきた人たちの後ろの方にいた。
Rチャンは、私を見つけて、ニコッと微笑んでくれた。
「Rチャン、本当はお父さんのこと知っていたのに、ごめんね。」
と、言いたかった。
それなのに、ついニコッと私も微笑んだ。
とうとう 散策路も 雪化粧
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