地元の方に『伊達メセナ協会』を教えてもらったのは、
移住してすぐのことだった。
私にとって『メセナ』という言葉は、聞き慣れないものだった。
早速調べてみると、
フランス語で芸術文化活動の支援を意味しており、
古くは紀元前のローマ帝国皇帝アウゲストゥスの家臣アエケナスが、
時の芸術家を擁護したところに由来するものらしい。
日本では、1990年頃普及しはじめたようで、
主には企業が資金を提供して、芸術文化活動を支援する「企業メセナ」が主流であった。
すかいらーくが東京交響楽団の公演を支援したり、
サントリーがサントリーホールの運営をする等は、
よく知られているところである。
しかし、伊達のメセナは、若干おもむきが違い
「市民メセナ」と称されるものである。
伊達市民が育てる芸術文化の振興を目的とした組織で、
現在、この活動に参加している市民会員は約200名、地元法人会員は約40社・団体である。
早速、私もその末席に加えてもらっている。
この協会が、今年創立20周年を迎えた。
その記念公演が、昨年10月にあった。なんと、人形浄瑠璃「文楽」である。
伊達で、「文楽」の観劇など思ってもみなかった。
私をはじめ、多くの市民にとって初めてだろうと察してか、
公演に先駆けて、その道の方から30分程度「文楽」について解説があった。
すっかり文楽は見るものと思っていたが、
「見るとは言わず、『文楽は聴く』と言う。」
と、教えられ、私はその時点でもう深く感銘を受けていた。
演目は2つであったが、
太夫の義太夫節と太棹三味線の迫力。
その響きが文楽ならではの世界観を創り出し、
その雰囲気の中、三人一組で一体の人形を操る、
その様は人形ならではの素晴らしさを演出していた。
あの喜び、あの悲しみ、あの躍動感、
静寂とともに織りなすあの絵画のような一瞬のポーズ。
全てが今も目に焼き付いている。
そして、その場面に重なる深みのある声、音色に心がおどった。
私は、ただただ伝統芸能の凄さを心ゆくまで堪能した。
20周年記念公演と言う機会に恵まれ、感謝の一語である。
伊達ならではのことであった。
さて、伊達メセナ協会では、
毎年数回の演劇やコンサート等を企画してくれる。
その中の一つとして、昨年4月に“山崎まさよしコンサート”があった。
若者達に人気のシンガーだと知ってはいたが、
それでも、メセナ主催だからとチケットを求め、前列から3番目の中央席を確保した。
伊達にこんなにも沢山の若者がいるのかと思えるほど、
会場は熱気に包まれていた。
指定の席に着こうとしたら、
隣の席の、高校生らしい娘さんに、上から下まで異様な者を見るような目で見られ、
場違いな所に来てしまったと直感した。
しかし、そこは年の功。めげずに席に着いたものの、
バラード調のオープニングが終わると、会場は一変。
全員総立ちでノリノリのコンサートになった。
私も家内も座っているわけにはいかず、
立ち上がり、中々のれないリズムにそれでも無理に体を動かした。
翌日、ブログの書き込みを見ると、
沢山の若者が、「山崎さん、わざわざ伊達まで来てくれてありがとう。」と記していた。
その中に、きっと二階席にいたのだろう、
「前の方の席にいたお年寄りも、みんなと同じように体を動かし、楽しそうだった。」
とあった。
何故か嬉しいような、気恥ずかしいような、
それでも、その書き込みに「ありがとう。伊達の若者。」と言いたくなった。
このコンサートでもう一つ、嬉しいことがあった。
山崎まさよしさん一行は、どうやら列車で伊達紋別駅に降りたらしい。
駅前は、実に閑散としている。
彼は、トークの場面でその驚きに触れ、
「ここには、飲み屋さんはあるの?」と言い出した。
すかざず、遠くの席から
「あるよ。錦町にいけば・・・!」
と、若い女子の声が返ってきた。
そして、彼は
「そうそう聞いたよ。伊達の名物。キンキの飯寿司(いずし)だって。
どうやって食べるの。夕食の時、毎晩食べるの。」
しばらくの静寂があった。そして、再び若い女子のかわいらしい声、
「ちがうの、お歳暮とかでもらうの。」
私は、可笑しさを堪えきれず笑ってしまった。
質問したシンガーは、コメントもなく次の曲へと移っていった。
キンキは、超高級魚である。易々とは食卓にはのらない。
キンキの飯寿司も同じである。
だから、その女子の答えはその通りである。
それにしても、伊達ならではのやりとりである。
コンサートの熱気をよそに、清々しい気分が私を包んでくれた。
私のジョギングルートのそばに 白鳥
移住してすぐのことだった。
私にとって『メセナ』という言葉は、聞き慣れないものだった。
早速調べてみると、
フランス語で芸術文化活動の支援を意味しており、
古くは紀元前のローマ帝国皇帝アウゲストゥスの家臣アエケナスが、
時の芸術家を擁護したところに由来するものらしい。
日本では、1990年頃普及しはじめたようで、
主には企業が資金を提供して、芸術文化活動を支援する「企業メセナ」が主流であった。
すかいらーくが東京交響楽団の公演を支援したり、
サントリーがサントリーホールの運営をする等は、
よく知られているところである。
しかし、伊達のメセナは、若干おもむきが違い
「市民メセナ」と称されるものである。
伊達市民が育てる芸術文化の振興を目的とした組織で、
現在、この活動に参加している市民会員は約200名、地元法人会員は約40社・団体である。
早速、私もその末席に加えてもらっている。
この協会が、今年創立20周年を迎えた。
その記念公演が、昨年10月にあった。なんと、人形浄瑠璃「文楽」である。
伊達で、「文楽」の観劇など思ってもみなかった。
私をはじめ、多くの市民にとって初めてだろうと察してか、
公演に先駆けて、その道の方から30分程度「文楽」について解説があった。
すっかり文楽は見るものと思っていたが、
「見るとは言わず、『文楽は聴く』と言う。」
と、教えられ、私はその時点でもう深く感銘を受けていた。
演目は2つであったが、
太夫の義太夫節と太棹三味線の迫力。
その響きが文楽ならではの世界観を創り出し、
その雰囲気の中、三人一組で一体の人形を操る、
その様は人形ならではの素晴らしさを演出していた。
あの喜び、あの悲しみ、あの躍動感、
静寂とともに織りなすあの絵画のような一瞬のポーズ。
全てが今も目に焼き付いている。
そして、その場面に重なる深みのある声、音色に心がおどった。
私は、ただただ伝統芸能の凄さを心ゆくまで堪能した。
20周年記念公演と言う機会に恵まれ、感謝の一語である。
伊達ならではのことであった。
さて、伊達メセナ協会では、
毎年数回の演劇やコンサート等を企画してくれる。
その中の一つとして、昨年4月に“山崎まさよしコンサート”があった。
若者達に人気のシンガーだと知ってはいたが、
それでも、メセナ主催だからとチケットを求め、前列から3番目の中央席を確保した。
伊達にこんなにも沢山の若者がいるのかと思えるほど、
会場は熱気に包まれていた。
指定の席に着こうとしたら、
隣の席の、高校生らしい娘さんに、上から下まで異様な者を見るような目で見られ、
場違いな所に来てしまったと直感した。
しかし、そこは年の功。めげずに席に着いたものの、
バラード調のオープニングが終わると、会場は一変。
全員総立ちでノリノリのコンサートになった。
私も家内も座っているわけにはいかず、
立ち上がり、中々のれないリズムにそれでも無理に体を動かした。
翌日、ブログの書き込みを見ると、
沢山の若者が、「山崎さん、わざわざ伊達まで来てくれてありがとう。」と記していた。
その中に、きっと二階席にいたのだろう、
「前の方の席にいたお年寄りも、みんなと同じように体を動かし、楽しそうだった。」
とあった。
何故か嬉しいような、気恥ずかしいような、
それでも、その書き込みに「ありがとう。伊達の若者。」と言いたくなった。
このコンサートでもう一つ、嬉しいことがあった。
山崎まさよしさん一行は、どうやら列車で伊達紋別駅に降りたらしい。
駅前は、実に閑散としている。
彼は、トークの場面でその驚きに触れ、
「ここには、飲み屋さんはあるの?」と言い出した。
すかざず、遠くの席から
「あるよ。錦町にいけば・・・!」
と、若い女子の声が返ってきた。
そして、彼は
「そうそう聞いたよ。伊達の名物。キンキの飯寿司(いずし)だって。
どうやって食べるの。夕食の時、毎晩食べるの。」
しばらくの静寂があった。そして、再び若い女子のかわいらしい声、
「ちがうの、お歳暮とかでもらうの。」
私は、可笑しさを堪えきれず笑ってしまった。
質問したシンガーは、コメントもなく次の曲へと移っていった。
キンキは、超高級魚である。易々とは食卓にはのらない。
キンキの飯寿司も同じである。
だから、その女子の答えはその通りである。
それにしても、伊達ならではのやりとりである。
コンサートの熱気をよそに、清々しい気分が私を包んでくれた。
私のジョギングルートのそばに 白鳥
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