☆ 2019年の年の瀬である。
今年も、思いがけないドラマに、
いくつも出会うことができた。
そんな日常だから、
70才を過ぎてもなお、前を向き続けているのだろう。
そうです。
出会いの1つ1つが、私を勇気づけたり、
励ましたり、叱ったりした。
それが、この1年も心を耕してくれた。
☆ まずは、さり気ない朝の1コマから。
秋も終わりの頃のこと、いつものように、
『ガードランナーズ』の腕章を左腕に巻き、
5キロのジョギングに出た。
公園の広い道で、ゆっくりと頼りない足どりで、
両手にポールを持ち、
ノルディックウオーキングをするお婆さんに出逢った。
私を見るなり、腕章を指さし、
「それ、何?」と唇が動いた。
走るのを止めて、応じた。
「これですか。」
お婆さんは、私の左腕を見ながらうなずいた。
「走りながら、
子ども達やお年寄りの見守りをしてるんです。」
「あらそうなの!」
お婆さんはちょっと驚いた顔をしたが、
その後一礼して、ゆっくりと歩きだした。
それを見て、再び走り始めた私の背中に、
お婆さんの元気な声が届いた。
「頑張ってください!」
「はーいっ!」。
私も元気な声で答えたが、
「見守っているのは、どっちなんだ?!」
不思議な気持ちになってしまった。
お婆さんも、いや私も、
時として年齢を忘れていたのかも・・。
「それでいい。それで!」
小さくつぶやきながら、自宅まで走った。
☆ 続いて、春真っ盛りの季節のことだ。
だて歴史の杜公園の野草園は、
次から次と春の花が咲き、心を弾ませてくれる。
花の名前も、年々分かるようになり、
それが、私と草花の距離を縮めている。
野草園の中央にある小さな池の片隅に、
あざやかな緑の葉に囲まれた黄色の花が咲いていた。
その可憐さが、好きになった。
1年前だ。
その近くで、ボランティアの女性が、
手入れに余念がなかった。
意を決して、花の名を尋ねた。
「これかい。エゾノリュウキンカ。
この池は湧き水だから、
この花は水がキレイでないとダメなの。
なのに、今年も一株盗まれた。
悪い奴がいるもんだね。」
綺麗な水と可憐な黄色の花に合点がいった。
なのにそれを盗むとは、心に小さな汚点が残った。
散歩がてら、今年もあの池のほとりの、
エゾノリュウキンカを探した。
きっと手入れのお陰でしょう。
株の数も花も、倍以上に増えていた。
腰をかがめて、その美しさに見入っていると、
同じように散歩途中の女性が、
私の横で立ち止まった。
突然、話しかけられた。
「綺麗ですね。」
嬉しくなって、花を見ながらつい語った。
「エゾノリュウキンカって言うんです。
別の名をヤチブキとも言って、
湯がいて食べるらしいですよ。」
綺麗な水が育てることを話せば良かった。
なのに、先日、又聞きしたことを、
誇らしげに受け売りしてしまった。
なんて、心が貧しいんだろう。
女性は遠慮がちに言った。
「食べるんですか。これを!。
そうですか・・。」
曇った表情を浮かべ、一礼すると、
足早に去って行った。
後姿を追いながら、女性にもエゾノリュウキンカにも、
申し訳ない気持ちが膨らんだ。
ぽつりとひとり、凹んでしまった。
汚点を作ってしまったことを悔いた。
☆ さて、こんな私の背中を、
何気なく押してくれるものがある。
その1つが、毎朝の新聞のコラムだ。
今年も、スクラップブックが増えた。
最近の朝日新聞から、
①11月18日『天声人語』と、
②12月4日『折々のことば』が心に残った。
①
借景とは、遠くの山や隣家の木々などを自分の庭の一部に見立て、
楽しむことをいう。
ぶらぶら歩きで目を喜ばせるのも、
同じようなものかもしれない。
きのう、サザンカの赤い花がほころんでいるのを見た
▼冬の始まりを告げるようにサザンカが咲き、
寒さが厳しくなってくれば、
お仲間のツバキの出番となる。
わざわざ寒い季節を選んで咲くのには理由があると、
植物学者、多田多恵子さんの著書『したたかな植物たち』に教わった。
鳥たちをうまく誘うためだという
▼サザンカと同じくツバキも、
虫ではなく、鳥に花粉を運んでもらう鳥媒花である。
鳥のエサとなる虫がいなくなる冬はむしろ狙い目で、
たくさんの密を用意し、ヒヨドリやツグミなどを待つ。
何より赤は、鳥たちを引き付ける色なのだという。
▼冬を彩る赤といえば、
マンリョウの小さな実もある。
色で鳥を誘うのは同じだが、
味はいま一つらしい。
実の赤さにつられて食べるものの、まずくて飛び去る。
だからこそ種子を遠くまで運んでもらえると、
多田さんは書いている
▼この季節に、あの色に、
ひとつひとつ意味を込めているのかと思うと、
植物たちがいじらしく思えてくる。
<万両の万の瞳の息づきて>永方裕子
▼冬は、自然の風景だけでなく、
人の服装もモノトーンになりがちで、
まちなかには黒っぽいコートが目立つようになる。
だからセーターだけ、
ネクタイだけでも鮮やかな色を身につけるのも悪くない。
何よりも、自分の目を楽しませるために。
* * *
先日、久しぶりに散髪に行った。
理容店の明かりとりの四角い窓を、
街路樹の真っ赤なナナカマドの枝が覗いていた。
青い空と枝先の赤い実が、額に納まって見えた。
これも借景かと、しばらく目が釘付けになった。
そして、冬の赤い実のいじらしさを思い出した。
店を出て、ナナカマドの下を歩いた。
その健気さが、心に浸みていった。
急に、冬の赤に憧れた。
「よし、今年の冬は、あの赤のダウンジャケットにする。」
セーターだけネクタイだけでは、済まさない。
何年もしまい込んでいたが、
早速、クローゼットの端から引っ張り出した。
②
蜘蛛が上れば蜘蛛の糸は残らない。あえかな
糸のひとすじの残光だけ、そこにある。
小池光
体内から分泌した粘液で糸を縒って、精
緻な網を編み、ひっかかった虫を捕食する。
蜘蛛のその姿に「ものを食うとはかくも苦
心のいることか」と、歌人は「身につまさ
れ」る。しかもそのか細い糸の大半を、蜘
蛛はふたたびきちんと体内にしまい込みつ
つ、姿を消す。なんと折り目正しい生き方、
気品のあるふるまい! 詩歌に詠われた動
物をめぐる随想集『うたの動物記』から。
* * *
夏になると、我が家の軒下にも、蜘蛛が巣を張る。
それを時々、柄の長い竹箒で乱暴にはらい除ける。
その緻密な網の目に驚き、箒を止めたことはある。
だが、いつも「こんなところに蜘蛛の巣」と、
邪魔物を取り払うかのように、遠慮なく箒の柄をふるった。
歌人は、蜘蛛の糸を『あえかな糸』と称した。
「頼りなく弱々しい糸」とでも言うのだろうか。
そして、「身につまされる」ほど、
蜘蛛の「苦心」に共感している。
それだけじゃない。
初めて知って、心が騒いだが、
蜘蛛は姿を消す時、その糸を残さない。
『ふたたびきちんと体内にしまい込』むとは・・・。
このコラムを書いている鷲田さんに念を押された。
『なんと折り目正しい行き方、
気品のあるふるまい!』
若い頃からのツケがまわっている。
ずっと気にかけながらも、置き忘れたままにしてきたことだ。
蜘蛛が羨ましい。
「今からでも・・」と、密かに私に語りかける。
蜘蛛のように、
折り目正しく、気品あるふるまいを!
伊達からの昭和新山 スペースマウンテンのよう?
※次回のブロク更新予定は、3週間後の1月18日(土)です。
今年も、思いがけないドラマに、
いくつも出会うことができた。
そんな日常だから、
70才を過ぎてもなお、前を向き続けているのだろう。
そうです。
出会いの1つ1つが、私を勇気づけたり、
励ましたり、叱ったりした。
それが、この1年も心を耕してくれた。
☆ まずは、さり気ない朝の1コマから。
秋も終わりの頃のこと、いつものように、
『ガードランナーズ』の腕章を左腕に巻き、
5キロのジョギングに出た。
公園の広い道で、ゆっくりと頼りない足どりで、
両手にポールを持ち、
ノルディックウオーキングをするお婆さんに出逢った。
私を見るなり、腕章を指さし、
「それ、何?」と唇が動いた。
走るのを止めて、応じた。
「これですか。」
お婆さんは、私の左腕を見ながらうなずいた。
「走りながら、
子ども達やお年寄りの見守りをしてるんです。」
「あらそうなの!」
お婆さんはちょっと驚いた顔をしたが、
その後一礼して、ゆっくりと歩きだした。
それを見て、再び走り始めた私の背中に、
お婆さんの元気な声が届いた。
「頑張ってください!」
「はーいっ!」。
私も元気な声で答えたが、
「見守っているのは、どっちなんだ?!」
不思議な気持ちになってしまった。
お婆さんも、いや私も、
時として年齢を忘れていたのかも・・。
「それでいい。それで!」
小さくつぶやきながら、自宅まで走った。
☆ 続いて、春真っ盛りの季節のことだ。
だて歴史の杜公園の野草園は、
次から次と春の花が咲き、心を弾ませてくれる。
花の名前も、年々分かるようになり、
それが、私と草花の距離を縮めている。
野草園の中央にある小さな池の片隅に、
あざやかな緑の葉に囲まれた黄色の花が咲いていた。
その可憐さが、好きになった。
1年前だ。
その近くで、ボランティアの女性が、
手入れに余念がなかった。
意を決して、花の名を尋ねた。
「これかい。エゾノリュウキンカ。
この池は湧き水だから、
この花は水がキレイでないとダメなの。
なのに、今年も一株盗まれた。
悪い奴がいるもんだね。」
綺麗な水と可憐な黄色の花に合点がいった。
なのにそれを盗むとは、心に小さな汚点が残った。
散歩がてら、今年もあの池のほとりの、
エゾノリュウキンカを探した。
きっと手入れのお陰でしょう。
株の数も花も、倍以上に増えていた。
腰をかがめて、その美しさに見入っていると、
同じように散歩途中の女性が、
私の横で立ち止まった。
突然、話しかけられた。
「綺麗ですね。」
嬉しくなって、花を見ながらつい語った。
「エゾノリュウキンカって言うんです。
別の名をヤチブキとも言って、
湯がいて食べるらしいですよ。」
綺麗な水が育てることを話せば良かった。
なのに、先日、又聞きしたことを、
誇らしげに受け売りしてしまった。
なんて、心が貧しいんだろう。
女性は遠慮がちに言った。
「食べるんですか。これを!。
そうですか・・。」
曇った表情を浮かべ、一礼すると、
足早に去って行った。
後姿を追いながら、女性にもエゾノリュウキンカにも、
申し訳ない気持ちが膨らんだ。
ぽつりとひとり、凹んでしまった。
汚点を作ってしまったことを悔いた。
☆ さて、こんな私の背中を、
何気なく押してくれるものがある。
その1つが、毎朝の新聞のコラムだ。
今年も、スクラップブックが増えた。
最近の朝日新聞から、
①11月18日『天声人語』と、
②12月4日『折々のことば』が心に残った。
①
借景とは、遠くの山や隣家の木々などを自分の庭の一部に見立て、
楽しむことをいう。
ぶらぶら歩きで目を喜ばせるのも、
同じようなものかもしれない。
きのう、サザンカの赤い花がほころんでいるのを見た
▼冬の始まりを告げるようにサザンカが咲き、
寒さが厳しくなってくれば、
お仲間のツバキの出番となる。
わざわざ寒い季節を選んで咲くのには理由があると、
植物学者、多田多恵子さんの著書『したたかな植物たち』に教わった。
鳥たちをうまく誘うためだという
▼サザンカと同じくツバキも、
虫ではなく、鳥に花粉を運んでもらう鳥媒花である。
鳥のエサとなる虫がいなくなる冬はむしろ狙い目で、
たくさんの密を用意し、ヒヨドリやツグミなどを待つ。
何より赤は、鳥たちを引き付ける色なのだという。
▼冬を彩る赤といえば、
マンリョウの小さな実もある。
色で鳥を誘うのは同じだが、
味はいま一つらしい。
実の赤さにつられて食べるものの、まずくて飛び去る。
だからこそ種子を遠くまで運んでもらえると、
多田さんは書いている
▼この季節に、あの色に、
ひとつひとつ意味を込めているのかと思うと、
植物たちがいじらしく思えてくる。
<万両の万の瞳の息づきて>永方裕子
▼冬は、自然の風景だけでなく、
人の服装もモノトーンになりがちで、
まちなかには黒っぽいコートが目立つようになる。
だからセーターだけ、
ネクタイだけでも鮮やかな色を身につけるのも悪くない。
何よりも、自分の目を楽しませるために。
* * *
先日、久しぶりに散髪に行った。
理容店の明かりとりの四角い窓を、
街路樹の真っ赤なナナカマドの枝が覗いていた。
青い空と枝先の赤い実が、額に納まって見えた。
これも借景かと、しばらく目が釘付けになった。
そして、冬の赤い実のいじらしさを思い出した。
店を出て、ナナカマドの下を歩いた。
その健気さが、心に浸みていった。
急に、冬の赤に憧れた。
「よし、今年の冬は、あの赤のダウンジャケットにする。」
セーターだけネクタイだけでは、済まさない。
何年もしまい込んでいたが、
早速、クローゼットの端から引っ張り出した。
②
蜘蛛が上れば蜘蛛の糸は残らない。あえかな
糸のひとすじの残光だけ、そこにある。
小池光
体内から分泌した粘液で糸を縒って、精
緻な網を編み、ひっかかった虫を捕食する。
蜘蛛のその姿に「ものを食うとはかくも苦
心のいることか」と、歌人は「身につまさ
れ」る。しかもそのか細い糸の大半を、蜘
蛛はふたたびきちんと体内にしまい込みつ
つ、姿を消す。なんと折り目正しい生き方、
気品のあるふるまい! 詩歌に詠われた動
物をめぐる随想集『うたの動物記』から。
* * *
夏になると、我が家の軒下にも、蜘蛛が巣を張る。
それを時々、柄の長い竹箒で乱暴にはらい除ける。
その緻密な網の目に驚き、箒を止めたことはある。
だが、いつも「こんなところに蜘蛛の巣」と、
邪魔物を取り払うかのように、遠慮なく箒の柄をふるった。
歌人は、蜘蛛の糸を『あえかな糸』と称した。
「頼りなく弱々しい糸」とでも言うのだろうか。
そして、「身につまされる」ほど、
蜘蛛の「苦心」に共感している。
それだけじゃない。
初めて知って、心が騒いだが、
蜘蛛は姿を消す時、その糸を残さない。
『ふたたびきちんと体内にしまい込』むとは・・・。
このコラムを書いている鷲田さんに念を押された。
『なんと折り目正しい行き方、
気品のあるふるまい!』
若い頃からのツケがまわっている。
ずっと気にかけながらも、置き忘れたままにしてきたことだ。
蜘蛛が羨ましい。
「今からでも・・」と、密かに私に語りかける。
蜘蛛のように、
折り目正しく、気品あるふるまいを!
伊達からの昭和新山 スペースマウンテンのよう?
※次回のブロク更新予定は、3週間後の1月18日(土)です。
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