ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

『冷暖自知』・・・? ~秋のすれ違いから

2020-02-15 17:47:37 | 北の湘南・伊達
 『 通常は5キロ、時に10キロを走る。
その間に、何人かの方とすれ違う。
 登校中の子ども、自転車で出勤するスーツ姿、
愛犬と散歩する女性、そして、私を追い抜いていくランナー等々。
 その出逢いが、朝のジョギングをさらに楽しくしている。
 
 今まで何度も、その一瞬のふとしたやり取りに、心が動かされ、
時に励まされ、時に豊かさを頂いてきた。

 スローでも走っている私と、歩道で交わすわずかな会話だ。
それに、どんな思いがこもっているだろうか。
 違和感を覚える方もいるに違いない。

 まさに『冷暖自知』(れいだんじち)だ。
「冷たいか温かいかは、自分で触ってみないとわからない。」
 それと同様、私だけが知る体験なのかも・・。』

 上述は、昨年9月の本ブログ『冷暖自知~夏のすれ違い』の前置きである。
今回は第2話として、のどかな秋のすれ違いをスケッチする。  

 ▼ 我が家を出て、すぐの緩い坂道には、
『嘉右衛門坂』と言う名が付いている。
 その名の由来は、今も知らない。

 真っ直ぐに約2キロも続く坂の先は、
噴火湾につながっている。
 両側に歩道がある舗装路だ。

 快晴の朝、その下り坂を走り始めると、
空と同じ色の海が、道のむこうに広がり、
私に向かって、せり上がった壁のように見えた。

 そして、少し進むと、
今度は、右脇にある伊達高校のナナカマドが、
この季節、全ての葉を赤く染めていた。
 あまりの綺麗さに、つい見とれながら横を通過する。

 空は澄み渡り、広くて高い。
その上、まったく風がない。
 「いい天気だ。よし、この坂を下りきり、
いつもの10キロを走ろう。」

 そう決めた時だ。
左手前方のやや遠くから、
突然、消防車のサイレンが聞こえてきた。

 物静かな朝である。
そのサイレンは、異常を伝えるのに十分な響きだった。
 
 走りながら、耳も目もどんな事態かを知ろうとした。
サイレンはやや左方向だが、
海の方へ向かっているように感じた。

 そちらへ目が向いた。
市街地のはずれ辺り、まだ住宅地と思える所から、
真っ黒な煙が、一気にモックモックとせり上がった。
 その有り様は、尋常ではなかった。

 一瞬、足が止まりそうになった。
しかし、大きな黒煙は遠い。
 様子を見ながら、坂道を進んだ。

 煙は勢いを増し、高く高く膨らんだ。
その様子を、目で追った。
 
 すると今度は、消防車のサイレンに混じって、
防災無線のやや低いサイレンも聞こえだした。
 聞き慣れない音響が重なったり、途切れたりをくり返した。

 野次馬ではないが、走るコースを変えて、
黒煙へ向かおうかと迷った。

 数分が過ぎただろうか。
煙は一気に、白く漂うようなものに変わっていった。
 ほっと息をはき、気持ちも落ち着いた。

 ところが、ここからが大変だった。
異常を知らせるサイレンは、まだ鳴り続いていた。

 それを自宅で聞いた方たちだろう。
1人2人と、自宅前の歩道や車道にまで出て、
異常な事態を知ろうとしていた。

 走ってくる私を見て、これはとばかり訊いてきた。
「あのサイレン、何かあったの?」。
 「火事のようです。でも、黒い煙が消えましたから。」
「どこなの?」
 「F町の方、みたいですけど・・。」
 かけ足足踏みをしながら、私は応じた。
そして、納得した表情を確かめて、走り出した。

 すると、10メートルも進まないうちに、
また呼び止められた。
 「何のサイレン?」
「火事だったようですよ。」
 「もう消えたの?」
「さあ、でも煙は見えなくなりましたから。」
 「そうなの。」
ここでも、かけ足足踏みで応じてから、再び走った。

 少し進むと次は、
「火事かい?」
 私を呼び止めた年寄りに、遠慮はなかった。
私が足踏みしながらでも、
前方の住人に応じていたのを見ていたからに違いない。

 「そのようですよ。
F町の方で、一時真っ黒な煙が上がりましたから。」
 この男性は、次を続けた。
「そうかい。もう大丈夫なのかい。
鎮火したのかい?」。
 「そこまでは、わかりません。」
「えっ、分からないの。」
 「はい、走りながら見ただけですから。」
「そうかそうか。ごめんごめん。」
 男性は、私が走り出すよりも早く、
安心したように、自宅の玄関に向かった。
 
 一人一人、その問いかけ方は違った。
しかし、走り寄るランナーは貴重な情報源だった。
 だから、私に訊いた。
それが、消防車と防災無線のサイレンが消えるまで、
10人では治まらなかった。

 突然のことだったが、
その1つ1つの問いに、できるだけ気さくに応じた。

 しかし、いつもの5キロで折り返し、
同じ道へ戻った時、もう、そこには人影1つなく、
道路脇の庭先に、小菊の黄色だけが静かに咲いていた。

 ランニングがこんな風に役立つとは、フフフ・・。

 ▼ 自宅からスタートして、3、5キロ付近からは、
胆振線跡を整備したサイクリングロードになる。
 春は満開の桜並木、夏は緑一面の田園に心躍らせながら、
澄んだ風を感じながら走る。
 私の大好きな往復10キロのランニングコースだ。  

 稲刈りが終わった秋は、
殺風景になってしまうその道だが、
それでも、ついつい足が向いてしまう。

 その理由の1つは、白鳥の到来である。
シベリアからたどり着いた白鳥は、
長流川の河口付近をネグラにし、一冬を越す。
 秋口は決まって、ネグラに近いこの道の田んぼをエサ場にする。
だから、走りながら、いち早く白鳥をウオッチできる。
 落ち穂をついばむ白鳥の群れは、
何年見ても色あせることがない。

 もう1つは、鮭の遡上だ。
伊達の川では、鮭の遡上を身近で見ることが出来る。
 中でも、長流川にかかるサイクリングロードの「ちりりん橋」からは、
圧巻である。

 日によっては、おびただしい群れが、この橋までやってくる。
中には、そこで産卵し、死を迎える。
 そして、あるものは、より上流を目指し、まんまと捕獲の罠にはまる。
「ちりりん橋」は、そんな鮭の顛末を目撃させる。

 決して、ジーッといつまでも見てなんかいられない。
せつなさで胸が詰まる。
 しかし、毎年、その力強い生命のリレーには、
勇気づけられる。

 秋晴れの朝だった。
きっと遡上が見られると「ちりりん橋」を目指して走った。
 案の定だ。
やや離れた所からも、遡上の兆候が伺えた。
   
 遡上が続くと、ホッチャレ(鮭の死骸)を目当てに、
カモメやカラスが集まってくる。
 その日は、橋の欄干の両側に、
真っ黒なカラスが整列しているのが見えた。

 橋まで来ると、眼下の鮭よりも、
欄干のカラスの数に一瞬驚いた。
 片側だけで30羽はいただろうか。

 ちりりん橋の幅は、歩道橋程度である。
その両側に、ずらっとカラスが止まっていたのだ。

 ここまで淡々と走ってきた。
この橋を渡ってから、Uターンの予定だ。
 だが、このカラスの群れに足がすくんだ。
渡るのをためらった。

 その時、橋の先方に目がいった。
橋の向こうで、立ちすくむ2人づれがいた。

 私を見ていた。
その目は、私がカラスの列の間を通過するかどうかを、
推しはかっているかのように思えた。

 ここでひるむ訳にはいかなかった。
意を決し、橋を走った。
 カラスは、私に気づき、1羽ずつ欄干から少し飛び立ち、
私が通過すると、また元にもどった。
 案ずることはなかった。
途中からは、眼下の鮭を見る余裕かあった。

 そして、2人づれの所まで近づいた。
私と同世代の男女だった。
 通り抜けるわずかな時間だが、会話が聞こえてきた。

 男性が先に話し始めた。
「ほら、何もしないだろう。大丈夫だよ。」
 「でも・・」
「見てただろう。近づくと飛ぶから・・。」

 そこまではいい。次だ。
「さあ、行こう。」
 「待って・・。
あれは男だったからなのよ。
 私は、女よ。
もしかしたら、カラスが除けないかも・・。」

 やっとの思いで笑いをこらえ、2人の横を通過した。
しばらく走ってから、振り返ってみた。

 2人は、仲よく手をつないで、橋を歩いていた。
カラスは、1羽ずつ飛び立ち、元にもどった。

 カラスは、男性が一緒だったから、
それともそんなのは関係なく、そうしたの・・?
 また、笑いがこみ上げてくる。

 


春を思わせる散策路 明日からは雪らしい   

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