『 通常は5キロ、時に10キロを走る。
その間に、何人かの方とすれ違う。
登校中の子ども、自転車で出勤するスーツ姿、
愛犬と散歩する女性、そして、私を追い抜いていくランナー等々。
その出逢いが、朝のジョギングをさらに楽しくしている。
今まで何度も、その一瞬のふとしたやり取りに、心が動かされ、
時に励まされ、時に豊かさを頂いてきた。
スローでも走っている私と、歩道で交わすわずかな会話だ。
それに、どんな思いがこもっているだろうか。
違和感を覚える方もいるに違いない。
まさに『冷暖自知』(れいだんじち)だ。
「冷たいか温かいかは、自分で触ってみないとわからない。」
それと同様、私だけが知る体験なのかも・・。』
上述は、昨年9月の本ブログ『冷暖自知~夏のすれ違い』の前置きである。
今回は第2話として、のどかな秋のすれ違いをスケッチする。
▼ 我が家を出て、すぐの緩い坂道には、
『嘉右衛門坂』と言う名が付いている。
その名の由来は、今も知らない。
真っ直ぐに約2キロも続く坂の先は、
噴火湾につながっている。
両側に歩道がある舗装路だ。
快晴の朝、その下り坂を走り始めると、
空と同じ色の海が、道のむこうに広がり、
私に向かって、せり上がった壁のように見えた。
そして、少し進むと、
今度は、右脇にある伊達高校のナナカマドが、
この季節、全ての葉を赤く染めていた。
あまりの綺麗さに、つい見とれながら横を通過する。
空は澄み渡り、広くて高い。
その上、まったく風がない。
「いい天気だ。よし、この坂を下りきり、
いつもの10キロを走ろう。」
そう決めた時だ。
左手前方のやや遠くから、
突然、消防車のサイレンが聞こえてきた。
物静かな朝である。
そのサイレンは、異常を伝えるのに十分な響きだった。
走りながら、耳も目もどんな事態かを知ろうとした。
サイレンはやや左方向だが、
海の方へ向かっているように感じた。
そちらへ目が向いた。
市街地のはずれ辺り、まだ住宅地と思える所から、
真っ黒な煙が、一気にモックモックとせり上がった。
その有り様は、尋常ではなかった。
一瞬、足が止まりそうになった。
しかし、大きな黒煙は遠い。
様子を見ながら、坂道を進んだ。
煙は勢いを増し、高く高く膨らんだ。
その様子を、目で追った。
すると今度は、消防車のサイレンに混じって、
防災無線のやや低いサイレンも聞こえだした。
聞き慣れない音響が重なったり、途切れたりをくり返した。
野次馬ではないが、走るコースを変えて、
黒煙へ向かおうかと迷った。
数分が過ぎただろうか。
煙は一気に、白く漂うようなものに変わっていった。
ほっと息をはき、気持ちも落ち着いた。
ところが、ここからが大変だった。
異常を知らせるサイレンは、まだ鳴り続いていた。
それを自宅で聞いた方たちだろう。
1人2人と、自宅前の歩道や車道にまで出て、
異常な事態を知ろうとしていた。
走ってくる私を見て、これはとばかり訊いてきた。
「あのサイレン、何かあったの?」。
「火事のようです。でも、黒い煙が消えましたから。」
「どこなの?」
「F町の方、みたいですけど・・。」
かけ足足踏みをしながら、私は応じた。
そして、納得した表情を確かめて、走り出した。
すると、10メートルも進まないうちに、
また呼び止められた。
「何のサイレン?」
「火事だったようですよ。」
「もう消えたの?」
「さあ、でも煙は見えなくなりましたから。」
「そうなの。」
ここでも、かけ足足踏みで応じてから、再び走った。
少し進むと次は、
「火事かい?」
私を呼び止めた年寄りに、遠慮はなかった。
私が足踏みしながらでも、
前方の住人に応じていたのを見ていたからに違いない。
「そのようですよ。
F町の方で、一時真っ黒な煙が上がりましたから。」
この男性は、次を続けた。
「そうかい。もう大丈夫なのかい。
鎮火したのかい?」。
「そこまでは、わかりません。」
「えっ、分からないの。」
「はい、走りながら見ただけですから。」
「そうかそうか。ごめんごめん。」
男性は、私が走り出すよりも早く、
安心したように、自宅の玄関に向かった。
一人一人、その問いかけ方は違った。
しかし、走り寄るランナーは貴重な情報源だった。
だから、私に訊いた。
それが、消防車と防災無線のサイレンが消えるまで、
10人では治まらなかった。
突然のことだったが、
その1つ1つの問いに、できるだけ気さくに応じた。
しかし、いつもの5キロで折り返し、
同じ道へ戻った時、もう、そこには人影1つなく、
道路脇の庭先に、小菊の黄色だけが静かに咲いていた。
ランニングがこんな風に役立つとは、フフフ・・。
▼ 自宅からスタートして、3、5キロ付近からは、
胆振線跡を整備したサイクリングロードになる。
春は満開の桜並木、夏は緑一面の田園に心躍らせながら、
澄んだ風を感じながら走る。
私の大好きな往復10キロのランニングコースだ。
稲刈りが終わった秋は、
殺風景になってしまうその道だが、
それでも、ついつい足が向いてしまう。
その理由の1つは、白鳥の到来である。
シベリアからたどり着いた白鳥は、
長流川の河口付近をネグラにし、一冬を越す。
秋口は決まって、ネグラに近いこの道の田んぼをエサ場にする。
だから、走りながら、いち早く白鳥をウオッチできる。
落ち穂をついばむ白鳥の群れは、
何年見ても色あせることがない。
もう1つは、鮭の遡上だ。
伊達の川では、鮭の遡上を身近で見ることが出来る。
中でも、長流川にかかるサイクリングロードの「ちりりん橋」からは、
圧巻である。
日によっては、おびただしい群れが、この橋までやってくる。
中には、そこで産卵し、死を迎える。
そして、あるものは、より上流を目指し、まんまと捕獲の罠にはまる。
「ちりりん橋」は、そんな鮭の顛末を目撃させる。
決して、ジーッといつまでも見てなんかいられない。
せつなさで胸が詰まる。
しかし、毎年、その力強い生命のリレーには、
勇気づけられる。
秋晴れの朝だった。
きっと遡上が見られると「ちりりん橋」を目指して走った。
案の定だ。
やや離れた所からも、遡上の兆候が伺えた。
遡上が続くと、ホッチャレ(鮭の死骸)を目当てに、
カモメやカラスが集まってくる。
その日は、橋の欄干の両側に、
真っ黒なカラスが整列しているのが見えた。
橋まで来ると、眼下の鮭よりも、
欄干のカラスの数に一瞬驚いた。
片側だけで30羽はいただろうか。
ちりりん橋の幅は、歩道橋程度である。
その両側に、ずらっとカラスが止まっていたのだ。
ここまで淡々と走ってきた。
この橋を渡ってから、Uターンの予定だ。
だが、このカラスの群れに足がすくんだ。
渡るのをためらった。
その時、橋の先方に目がいった。
橋の向こうで、立ちすくむ2人づれがいた。
私を見ていた。
その目は、私がカラスの列の間を通過するかどうかを、
推しはかっているかのように思えた。
ここでひるむ訳にはいかなかった。
意を決し、橋を走った。
カラスは、私に気づき、1羽ずつ欄干から少し飛び立ち、
私が通過すると、また元にもどった。
案ずることはなかった。
途中からは、眼下の鮭を見る余裕かあった。
そして、2人づれの所まで近づいた。
私と同世代の男女だった。
通り抜けるわずかな時間だが、会話が聞こえてきた。
男性が先に話し始めた。
「ほら、何もしないだろう。大丈夫だよ。」
「でも・・」
「見てただろう。近づくと飛ぶから・・。」
そこまではいい。次だ。
「さあ、行こう。」
「待って・・。
あれは男だったからなのよ。
私は、女よ。
もしかしたら、カラスが除けないかも・・。」
やっとの思いで笑いをこらえ、2人の横を通過した。
しばらく走ってから、振り返ってみた。
2人は、仲よく手をつないで、橋を歩いていた。
カラスは、1羽ずつ飛び立ち、元にもどった。
カラスは、男性が一緒だったから、
それともそんなのは関係なく、そうしたの・・?
また、笑いがこみ上げてくる。
春を思わせる散策路 明日からは雪らしい
その間に、何人かの方とすれ違う。
登校中の子ども、自転車で出勤するスーツ姿、
愛犬と散歩する女性、そして、私を追い抜いていくランナー等々。
その出逢いが、朝のジョギングをさらに楽しくしている。
今まで何度も、その一瞬のふとしたやり取りに、心が動かされ、
時に励まされ、時に豊かさを頂いてきた。
スローでも走っている私と、歩道で交わすわずかな会話だ。
それに、どんな思いがこもっているだろうか。
違和感を覚える方もいるに違いない。
まさに『冷暖自知』(れいだんじち)だ。
「冷たいか温かいかは、自分で触ってみないとわからない。」
それと同様、私だけが知る体験なのかも・・。』
上述は、昨年9月の本ブログ『冷暖自知~夏のすれ違い』の前置きである。
今回は第2話として、のどかな秋のすれ違いをスケッチする。
▼ 我が家を出て、すぐの緩い坂道には、
『嘉右衛門坂』と言う名が付いている。
その名の由来は、今も知らない。
真っ直ぐに約2キロも続く坂の先は、
噴火湾につながっている。
両側に歩道がある舗装路だ。
快晴の朝、その下り坂を走り始めると、
空と同じ色の海が、道のむこうに広がり、
私に向かって、せり上がった壁のように見えた。
そして、少し進むと、
今度は、右脇にある伊達高校のナナカマドが、
この季節、全ての葉を赤く染めていた。
あまりの綺麗さに、つい見とれながら横を通過する。
空は澄み渡り、広くて高い。
その上、まったく風がない。
「いい天気だ。よし、この坂を下りきり、
いつもの10キロを走ろう。」
そう決めた時だ。
左手前方のやや遠くから、
突然、消防車のサイレンが聞こえてきた。
物静かな朝である。
そのサイレンは、異常を伝えるのに十分な響きだった。
走りながら、耳も目もどんな事態かを知ろうとした。
サイレンはやや左方向だが、
海の方へ向かっているように感じた。
そちらへ目が向いた。
市街地のはずれ辺り、まだ住宅地と思える所から、
真っ黒な煙が、一気にモックモックとせり上がった。
その有り様は、尋常ではなかった。
一瞬、足が止まりそうになった。
しかし、大きな黒煙は遠い。
様子を見ながら、坂道を進んだ。
煙は勢いを増し、高く高く膨らんだ。
その様子を、目で追った。
すると今度は、消防車のサイレンに混じって、
防災無線のやや低いサイレンも聞こえだした。
聞き慣れない音響が重なったり、途切れたりをくり返した。
野次馬ではないが、走るコースを変えて、
黒煙へ向かおうかと迷った。
数分が過ぎただろうか。
煙は一気に、白く漂うようなものに変わっていった。
ほっと息をはき、気持ちも落ち着いた。
ところが、ここからが大変だった。
異常を知らせるサイレンは、まだ鳴り続いていた。
それを自宅で聞いた方たちだろう。
1人2人と、自宅前の歩道や車道にまで出て、
異常な事態を知ろうとしていた。
走ってくる私を見て、これはとばかり訊いてきた。
「あのサイレン、何かあったの?」。
「火事のようです。でも、黒い煙が消えましたから。」
「どこなの?」
「F町の方、みたいですけど・・。」
かけ足足踏みをしながら、私は応じた。
そして、納得した表情を確かめて、走り出した。
すると、10メートルも進まないうちに、
また呼び止められた。
「何のサイレン?」
「火事だったようですよ。」
「もう消えたの?」
「さあ、でも煙は見えなくなりましたから。」
「そうなの。」
ここでも、かけ足足踏みで応じてから、再び走った。
少し進むと次は、
「火事かい?」
私を呼び止めた年寄りに、遠慮はなかった。
私が足踏みしながらでも、
前方の住人に応じていたのを見ていたからに違いない。
「そのようですよ。
F町の方で、一時真っ黒な煙が上がりましたから。」
この男性は、次を続けた。
「そうかい。もう大丈夫なのかい。
鎮火したのかい?」。
「そこまでは、わかりません。」
「えっ、分からないの。」
「はい、走りながら見ただけですから。」
「そうかそうか。ごめんごめん。」
男性は、私が走り出すよりも早く、
安心したように、自宅の玄関に向かった。
一人一人、その問いかけ方は違った。
しかし、走り寄るランナーは貴重な情報源だった。
だから、私に訊いた。
それが、消防車と防災無線のサイレンが消えるまで、
10人では治まらなかった。
突然のことだったが、
その1つ1つの問いに、できるだけ気さくに応じた。
しかし、いつもの5キロで折り返し、
同じ道へ戻った時、もう、そこには人影1つなく、
道路脇の庭先に、小菊の黄色だけが静かに咲いていた。
ランニングがこんな風に役立つとは、フフフ・・。
▼ 自宅からスタートして、3、5キロ付近からは、
胆振線跡を整備したサイクリングロードになる。
春は満開の桜並木、夏は緑一面の田園に心躍らせながら、
澄んだ風を感じながら走る。
私の大好きな往復10キロのランニングコースだ。
稲刈りが終わった秋は、
殺風景になってしまうその道だが、
それでも、ついつい足が向いてしまう。
その理由の1つは、白鳥の到来である。
シベリアからたどり着いた白鳥は、
長流川の河口付近をネグラにし、一冬を越す。
秋口は決まって、ネグラに近いこの道の田んぼをエサ場にする。
だから、走りながら、いち早く白鳥をウオッチできる。
落ち穂をついばむ白鳥の群れは、
何年見ても色あせることがない。
もう1つは、鮭の遡上だ。
伊達の川では、鮭の遡上を身近で見ることが出来る。
中でも、長流川にかかるサイクリングロードの「ちりりん橋」からは、
圧巻である。
日によっては、おびただしい群れが、この橋までやってくる。
中には、そこで産卵し、死を迎える。
そして、あるものは、より上流を目指し、まんまと捕獲の罠にはまる。
「ちりりん橋」は、そんな鮭の顛末を目撃させる。
決して、ジーッといつまでも見てなんかいられない。
せつなさで胸が詰まる。
しかし、毎年、その力強い生命のリレーには、
勇気づけられる。
秋晴れの朝だった。
きっと遡上が見られると「ちりりん橋」を目指して走った。
案の定だ。
やや離れた所からも、遡上の兆候が伺えた。
遡上が続くと、ホッチャレ(鮭の死骸)を目当てに、
カモメやカラスが集まってくる。
その日は、橋の欄干の両側に、
真っ黒なカラスが整列しているのが見えた。
橋まで来ると、眼下の鮭よりも、
欄干のカラスの数に一瞬驚いた。
片側だけで30羽はいただろうか。
ちりりん橋の幅は、歩道橋程度である。
その両側に、ずらっとカラスが止まっていたのだ。
ここまで淡々と走ってきた。
この橋を渡ってから、Uターンの予定だ。
だが、このカラスの群れに足がすくんだ。
渡るのをためらった。
その時、橋の先方に目がいった。
橋の向こうで、立ちすくむ2人づれがいた。
私を見ていた。
その目は、私がカラスの列の間を通過するかどうかを、
推しはかっているかのように思えた。
ここでひるむ訳にはいかなかった。
意を決し、橋を走った。
カラスは、私に気づき、1羽ずつ欄干から少し飛び立ち、
私が通過すると、また元にもどった。
案ずることはなかった。
途中からは、眼下の鮭を見る余裕かあった。
そして、2人づれの所まで近づいた。
私と同世代の男女だった。
通り抜けるわずかな時間だが、会話が聞こえてきた。
男性が先に話し始めた。
「ほら、何もしないだろう。大丈夫だよ。」
「でも・・」
「見てただろう。近づくと飛ぶから・・。」
そこまではいい。次だ。
「さあ、行こう。」
「待って・・。
あれは男だったからなのよ。
私は、女よ。
もしかしたら、カラスが除けないかも・・。」
やっとの思いで笑いをこらえ、2人の横を通過した。
しばらく走ってから、振り返ってみた。
2人は、仲よく手をつないで、橋を歩いていた。
カラスは、1羽ずつ飛び立ち、元にもどった。
カラスは、男性が一緒だったから、
それともそんなのは関係なく、そうしたの・・?
また、笑いがこみ上げてくる。
春を思わせる散策路 明日からは雪らしい
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