10年前になる。
当地へ転居する時に、
それまでの縁を多少なりとも繋いでおこうと、
某OBの会へ籍を置くことにした。
年数回の集まりは、当然東京都内が会場のため出席できず、
唯一参加できるのは、年1回発行される会誌への執筆だった。
先日、今年の会誌が届いた。
会員各位の近況を知ることができ、
小誌の隅々まで目を懲らした。
ふと、暇に任せ、今までの会誌を取り出し、
私自身の一筆を読んでみた。
どんな想いで書き記したのか、その時々が蘇った。
会誌を通して振り返ると、
あっと言う間だと思っていた歳月を、
1つ1つ私らしく歩んでいたように思えた。
貴重な『証』と言えそうだ。
◆2013年
移住して1年
冬を越えてからでなければ伊達への移住の是非は決められない。
ようやく顔馴染みになった地元の方々からそんな声を聞き、
1年が過ぎた。
1日中、降り積もる雪を、朝と夜2回も
玄関先、ガレージ、自宅前の歩道と雪を掻く。
氷点下の寒さに頭から手足の先まで完全防寒し、
最小限の外出で済ませる日が続く。
予想以上の過酷さにただただ呆れる。
しかし、芽吹きの春を迎え、
一斉に草木の開花が訪れ、その色彩の鮮やかさに心を奪われ、
そして今、盛夏の時。
山々は濃い緑に覆われ、北の大地の本当の逞しさを教えられる。
そう、私にとって移住は正解だったと思う。
◆2014年
ジューンベリー
伊達への引っ越しは6月だった。
その日初めて、完成した我が家と庭を見た。
その庭で迎えてくれたのが、
穏やかな風に揺れるジューンベリーの樹だった。
私にとって6月は、かねてより1年の中でも
思い出のある特別な月であった。
まさにシンボルツリーにふさわしい樹との出会いだった。
『ジューンベリー・・・?』
それは通常6月に赤紫色の実がなることからの命名のようだ。
伊達では、7月初旬に実をつける。
今年も、ジャムにし、ご近所にも配った。
(ブログ『ジューンベリーに忘れ物』抜粋)
◆2015年
ブログ『南吉ワールド2』抜粋
『ジューンベリーに忘れ物』という面倒なタイトルをつけたブログも、
週1の更新をくり返し、1年が過ぎた。
この間、57編におよぶ私の想いを、その週その週、
遠慮なく記させてもらった。
今日も、このブログを開き、目を通してくださる方々の存在が、
大きな励みになっている。
心からお礼を申し上げたい。
さて、昨年10月18日『南吉ワールド』の題で、
そのブログに新美南吉の代表作と言える
『てぶくろを買いに』と『ごんぎつね』について触れた。
優れたストーリー性に魅了されるが、
人間への不信とも思える冷ややかさに、
私は釈然としない読後感をもった。
◆2016年
ついに そして まだまだ
毎日をサンデーにしないため始めたジョギング。
四季折々変化する伊達の景色に風を感じ、楽しさを知った。
そして、地元開催の大会へ参加。
それを皮切りに5キロ、10キロ、ハーフと
年々挑戦する距離を伸ばし、自己記録にチャレンジ。
そんな積み重ねが、
ついに今年、フルマラソンにトライ。
5時間13分で完走。
きっとゴールしたら、喜びの涙がと思いきや、
究極の疲れがそんな感情さえ忘れさせてしまった。
でも、充実感がたまらない。
今度は5時間を切る。
その意気込みで、今日も走っている。
私はまだまだチャレンジャーなの・・?
◆2017年
北に 魅せられ
移住してすぐに気づいた。
伊達には都会の喧騒とは無縁な空気が流れていた。
朝に漂う爽やかな風と共に出会う大人も子どもも、
朝の挨拶を欠かさない。
スーパーに並ぶ野菜も魚も、
ひと目でその新鮮さが私にも分かった。
そして、何よりも私は北海道が彩る四季の折々の表情に、
すっかり心を奪われた。
そんな日々と暮らすだけで、全てが満ちた。
ところが3年前、
北の大自然としっかり向き合う人々に心が騒いだ。
事実、黙々と淡々と悠々と働く、その姿がまぶしかった。
それが大きな力になった。
ずっと温めていたブログにも、
初めてのマラソン大会にもチャレンジしようと決めた。
◆2018年
伊達の錦秋
▼荒々しい有珠山が朝日を浴び、頂の山肌を紅色に染める。
裾野の樹木は、これまた秋の赤。
上から下まで山は丸ごと深い赤一色に。
風のない朝、ツンとした空気の山容が
私の背筋を伸ばしてくれる。
▼線路の跡地がサイクリングロードに。
紅葉した桜並木のその道を2キロほど進むと、『チリリン橋』だ。
下を流れる長流川に沢山の鮭が遡上。
産卵を終え、横たわるホッチャレ。
それを目当てに群がる野鳥。
命の現実を見ながら、私も冬へ向かう。
▼明治の頃、クラーク博士が
伊達でのビート栽培と砂糖生産を推奨した。
今も秋とともに製糖工場の煙突からモクモクと白い煙が上る。
そして、町中はほんのりと甘い香りに包まれる。
◆2019年
軽夏の伊達を切り取って
畑は春キャベツとブロッコリーの収穫期だ。
ジャガイモとカボチャの花も咲き始めた。
少し離れたところに噴火湾が見える。
時折、海面を朝霧がおおう。
そのはるか先に、駒ヶ岳のさっそうとした勇姿がある。
走りながら両手を広げ、大きく深呼吸をしてしまう。
再び住宅街へと戻る。
香りに誘われて、顔を向ける。
手入れの行き届いた花壇に、
とりどりの薔薇が満開の時を迎えていた。
先日まで、凜としたアヤメの立ち姿が
ジョギング道を飾ってくれていた。
真っ白なツツジも、ルピナスの赤や紫も道端で咲き誇っていた。
なのに、その時季は終わった。
『季節の移ろいをあきらめることがあっても、
慣れることはない。』
◆2020年
『コロナ禍の春ラン』から
ついに春が来た。
梅も桃も桜も一斉に咲いた。
白木蓮も紫木蓮もコブシも、みんな咲いた。
日の出も早い。
目ざめも早くなる。
いい天気の日は、6時半にランニングスタートだ。
人はまばら。3密の心配など要らない。
でも、この陽気だからか、時折ランナーとすれ違う。
みんな若い。
多くはイヤホンをしている。
挨拶しても、視線すら合わせない。
ところが、近づいてきたランナーが、
私の左腕にあるオレンジ色の腕章を見た。
「おっ、ガードランナーズだ。お疲れっす!」。
さっと頭を下げ走り去った。
『走りながら、子どもやお年寄りの見守りを!』。
そんな趣旨に「私でよければ」と腕章をして走っている。
それをねぎらう飾らないひと言だ。
「別に、何もしてないのに!」。
でも、誰も見ていないことをいいことに、
少し胸を張った。
きっとアカゲラだろう。
ドラミングの音が空に響いていた。
一瞬、コロナを忘れた。
◆2021年
春の早朝 窓からは
いつもより早い時間に目ざめた朝。
4時半を回ったばかりなのに、外はもう明るい。
家内に気づかれないよう、そっと寝室を出て、
2階の自室のカーテンを開けた。
窓からは、緩い下りの『嘉右衛門坂通り』が見える。
明るさを増す空には、一片の雲もない。
風もなく、穏やかな一日の始まりを告げているようだった。
ゆっくりと坂を下る2つの後ろ姿が、視界に入ってきた。
この時間の外は、まだ冷えるのか、
2人とも、ニット帽に冬用の黒の上下服だった。
男性はやや足を引きずり、女性の腰は少し前かがみになっていた。
何やら会話が弾んでいるようで、ゆっくりと歩みを進めながら、
しばしば相手に顔を向け、笑みを浮かべているよう。
愉しげな背中だった。
私の視線など気づく訳もない。
早朝も早朝、人も車も通らない日の出前の坂道を、
2人だけの足取りが下って行った。
布施明の『マイウエイ』が、心に流れていた。
秋空に 柿
当地へ転居する時に、
それまでの縁を多少なりとも繋いでおこうと、
某OBの会へ籍を置くことにした。
年数回の集まりは、当然東京都内が会場のため出席できず、
唯一参加できるのは、年1回発行される会誌への執筆だった。
先日、今年の会誌が届いた。
会員各位の近況を知ることができ、
小誌の隅々まで目を懲らした。
ふと、暇に任せ、今までの会誌を取り出し、
私自身の一筆を読んでみた。
どんな想いで書き記したのか、その時々が蘇った。
会誌を通して振り返ると、
あっと言う間だと思っていた歳月を、
1つ1つ私らしく歩んでいたように思えた。
貴重な『証』と言えそうだ。
◆2013年
移住して1年
冬を越えてからでなければ伊達への移住の是非は決められない。
ようやく顔馴染みになった地元の方々からそんな声を聞き、
1年が過ぎた。
1日中、降り積もる雪を、朝と夜2回も
玄関先、ガレージ、自宅前の歩道と雪を掻く。
氷点下の寒さに頭から手足の先まで完全防寒し、
最小限の外出で済ませる日が続く。
予想以上の過酷さにただただ呆れる。
しかし、芽吹きの春を迎え、
一斉に草木の開花が訪れ、その色彩の鮮やかさに心を奪われ、
そして今、盛夏の時。
山々は濃い緑に覆われ、北の大地の本当の逞しさを教えられる。
そう、私にとって移住は正解だったと思う。
◆2014年
ジューンベリー
伊達への引っ越しは6月だった。
その日初めて、完成した我が家と庭を見た。
その庭で迎えてくれたのが、
穏やかな風に揺れるジューンベリーの樹だった。
私にとって6月は、かねてより1年の中でも
思い出のある特別な月であった。
まさにシンボルツリーにふさわしい樹との出会いだった。
『ジューンベリー・・・?』
それは通常6月に赤紫色の実がなることからの命名のようだ。
伊達では、7月初旬に実をつける。
今年も、ジャムにし、ご近所にも配った。
(ブログ『ジューンベリーに忘れ物』抜粋)
◆2015年
ブログ『南吉ワールド2』抜粋
『ジューンベリーに忘れ物』という面倒なタイトルをつけたブログも、
週1の更新をくり返し、1年が過ぎた。
この間、57編におよぶ私の想いを、その週その週、
遠慮なく記させてもらった。
今日も、このブログを開き、目を通してくださる方々の存在が、
大きな励みになっている。
心からお礼を申し上げたい。
さて、昨年10月18日『南吉ワールド』の題で、
そのブログに新美南吉の代表作と言える
『てぶくろを買いに』と『ごんぎつね』について触れた。
優れたストーリー性に魅了されるが、
人間への不信とも思える冷ややかさに、
私は釈然としない読後感をもった。
◆2016年
ついに そして まだまだ
毎日をサンデーにしないため始めたジョギング。
四季折々変化する伊達の景色に風を感じ、楽しさを知った。
そして、地元開催の大会へ参加。
それを皮切りに5キロ、10キロ、ハーフと
年々挑戦する距離を伸ばし、自己記録にチャレンジ。
そんな積み重ねが、
ついに今年、フルマラソンにトライ。
5時間13分で完走。
きっとゴールしたら、喜びの涙がと思いきや、
究極の疲れがそんな感情さえ忘れさせてしまった。
でも、充実感がたまらない。
今度は5時間を切る。
その意気込みで、今日も走っている。
私はまだまだチャレンジャーなの・・?
◆2017年
北に 魅せられ
移住してすぐに気づいた。
伊達には都会の喧騒とは無縁な空気が流れていた。
朝に漂う爽やかな風と共に出会う大人も子どもも、
朝の挨拶を欠かさない。
スーパーに並ぶ野菜も魚も、
ひと目でその新鮮さが私にも分かった。
そして、何よりも私は北海道が彩る四季の折々の表情に、
すっかり心を奪われた。
そんな日々と暮らすだけで、全てが満ちた。
ところが3年前、
北の大自然としっかり向き合う人々に心が騒いだ。
事実、黙々と淡々と悠々と働く、その姿がまぶしかった。
それが大きな力になった。
ずっと温めていたブログにも、
初めてのマラソン大会にもチャレンジしようと決めた。
◆2018年
伊達の錦秋
▼荒々しい有珠山が朝日を浴び、頂の山肌を紅色に染める。
裾野の樹木は、これまた秋の赤。
上から下まで山は丸ごと深い赤一色に。
風のない朝、ツンとした空気の山容が
私の背筋を伸ばしてくれる。
▼線路の跡地がサイクリングロードに。
紅葉した桜並木のその道を2キロほど進むと、『チリリン橋』だ。
下を流れる長流川に沢山の鮭が遡上。
産卵を終え、横たわるホッチャレ。
それを目当てに群がる野鳥。
命の現実を見ながら、私も冬へ向かう。
▼明治の頃、クラーク博士が
伊達でのビート栽培と砂糖生産を推奨した。
今も秋とともに製糖工場の煙突からモクモクと白い煙が上る。
そして、町中はほんのりと甘い香りに包まれる。
◆2019年
軽夏の伊達を切り取って
畑は春キャベツとブロッコリーの収穫期だ。
ジャガイモとカボチャの花も咲き始めた。
少し離れたところに噴火湾が見える。
時折、海面を朝霧がおおう。
そのはるか先に、駒ヶ岳のさっそうとした勇姿がある。
走りながら両手を広げ、大きく深呼吸をしてしまう。
再び住宅街へと戻る。
香りに誘われて、顔を向ける。
手入れの行き届いた花壇に、
とりどりの薔薇が満開の時を迎えていた。
先日まで、凜としたアヤメの立ち姿が
ジョギング道を飾ってくれていた。
真っ白なツツジも、ルピナスの赤や紫も道端で咲き誇っていた。
なのに、その時季は終わった。
『季節の移ろいをあきらめることがあっても、
慣れることはない。』
◆2020年
『コロナ禍の春ラン』から
ついに春が来た。
梅も桃も桜も一斉に咲いた。
白木蓮も紫木蓮もコブシも、みんな咲いた。
日の出も早い。
目ざめも早くなる。
いい天気の日は、6時半にランニングスタートだ。
人はまばら。3密の心配など要らない。
でも、この陽気だからか、時折ランナーとすれ違う。
みんな若い。
多くはイヤホンをしている。
挨拶しても、視線すら合わせない。
ところが、近づいてきたランナーが、
私の左腕にあるオレンジ色の腕章を見た。
「おっ、ガードランナーズだ。お疲れっす!」。
さっと頭を下げ走り去った。
『走りながら、子どもやお年寄りの見守りを!』。
そんな趣旨に「私でよければ」と腕章をして走っている。
それをねぎらう飾らないひと言だ。
「別に、何もしてないのに!」。
でも、誰も見ていないことをいいことに、
少し胸を張った。
きっとアカゲラだろう。
ドラミングの音が空に響いていた。
一瞬、コロナを忘れた。
◆2021年
春の早朝 窓からは
いつもより早い時間に目ざめた朝。
4時半を回ったばかりなのに、外はもう明るい。
家内に気づかれないよう、そっと寝室を出て、
2階の自室のカーテンを開けた。
窓からは、緩い下りの『嘉右衛門坂通り』が見える。
明るさを増す空には、一片の雲もない。
風もなく、穏やかな一日の始まりを告げているようだった。
ゆっくりと坂を下る2つの後ろ姿が、視界に入ってきた。
この時間の外は、まだ冷えるのか、
2人とも、ニット帽に冬用の黒の上下服だった。
男性はやや足を引きずり、女性の腰は少し前かがみになっていた。
何やら会話が弾んでいるようで、ゆっくりと歩みを進めながら、
しばしば相手に顔を向け、笑みを浮かべているよう。
愉しげな背中だった。
私の視線など気づく訳もない。
早朝も早朝、人も車も通らない日の出前の坂道を、
2人だけの足取りが下って行った。
布施明の『マイウエイ』が、心に流れていた。
秋空に 柿
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