ジューンベリーに忘れ物

シンボルツリーはジューンベリー
どこかに沢山の忘れ物をしてきた気がして

自分探しの 第1歩・・!?

2021-10-30 14:09:54 | あの頃
 家内とは、学生時代に知り合った。
だから、その頃のことがティータイムの話題になった。
 久しぶりのことだ。

 同じサークルに所属していたので、
共通の友人も少なくない。
 また、お互いの友だちについても、名前と顔は思い出せる。

 薄れていた記憶をたよりに、
サークルに加わった頃の私を綴ってみる。
 それは、自分探しの第1歩と言えることかも・・・。


 ① 『子どもを守る歌』に揺さぶられ

 何とか大学に入学したものの、
私は自分を律することができずにいた。

 講義の多くに、興味が湧かなかった。
いや、私の理解を超えたレベルで、
講義が進んでいるように思えた。
 要するに、講義内容についていけなかったのだ。

 だから、次第に欠席が多くなった。
勉学だけでなく、あらゆることに意欲を失っていった。

 そのまま夏が過ぎ、1年生の前期が終わった。
単位の習得は、ほとんどが未修だった。
 体調も良くなくなっていった。

 思い切って、大学の保健室のような医務室のような部屋をノックした。
養護教諭のような看護婦さんのような女性が、話を聞いてくれた。
 「大学生活で楽しいと思えるものが、
見つかるといいのだけど・・・」。
 そのアドバイスが、小さな光になった。
 
 高校で少しだけ体を動かしたことのある
サッカー部とバレーボール部を見学に行った。
 サッカー部のハードさに尻込みした。

 バレーボール部ならと、体験入部をさせてもらった。
6人制バレーは初めてだった。
 基礎練習は一応何とかついて行けたが、
試合形式の練習になるとダメだった。
 フォーメーションが理解できないのだ。

 練習の後のミーティングで、
くり返し基本的な動き方を教えられた。
 しかし、私にはそれをしっかり学ぼうとする気力がなかった。
まさに『三日坊主』。
 早々とバレーボール部を退散した。

 『楽しいと思えるもの」が見つからないまま、
悶々とした日が続いた。

 そんなある日の夕暮れ時だった。
西日に照らされたサークル室が並ぶ棟の廊下を通った。

 アコーディオンの伴走で男女の歌声が聞こえてきた。
部屋と廊下はガラス窓で仕切られていた。
 思わず立ち止まって、その部屋を覗いた。

 数10人の学生が整列し、指揮に合わせて歌っていた。
初めて聴く曲だった。
 突然、歌の途中で、1人の女性が前へ進み出て、
声を張り上げた。

 今もその声を思い出せる気がする。
濁りのない澄んだソプラノ。
 彼女は、すっと背筋を伸ばし、西日を受けながら歌った。

 『どう教えたらいいのだろう。
どう知らせたらいいいのだろう。・・・・・』。
 子ども達を目の前に、女教師が思い悩む心情を、
切々と歌い上げていた。

 音楽の力に初めて出会った瞬間だったと言えるかも・・・。
体中が熱を帯びた。
 「俺も、あんな優しい心根をもった先生になりたい!」。
そんなことを想いながら、コーラスが終わってもまだ、
その部屋を覗いていた。
 耳と心に余韻が響いていた。

 その時、男子学生がガラス窓を開け、笑顔で言った。
「中に入って、一緒に歌いませんか」。
 急に体の熱が醒め、私は一礼して、
急ぎ足でその場を後にした。

 その曲と歌声が忘れられなかった。
たびたびサークル室の前をゆっくり素通りし、
歌っている学生らに気づかれないように聴き耳を立てた。

 ソプラノの独唱が入るその歌は、
『子どもを守る歌』という題名だと知った。
 そして、それを歌っているサークルの名が、
『うたう会』と言うことも分かった。

 でも、その時の私は、
もしも再び、ガラス窓を開け「一緒に・・・」と誘われても、
あの日と同じように急ぎ足で、
その場を去ることしかできなかっただろう。
 
 声を合わせ一緒に歌う楽しさなど、
想像もできなかったのだ。


 ② 『えの目の恵比寿太鼓』に揺さぶられ

 そのイベントが、どんな内容だったのか、思い出せないが、
大学があった小都市で一番大きなホールが会場だった。

 きっと私は暇を持て余して、
その会場にいたのではないだろうか。
 「会場に出向いた動機・・・?」。
それも、全く分からない。

 催しがかなり進んでからだ。
暗転の会場の、広いステージ中央を、
スポットライトが明るく照らした。

 そこに、和太鼓が1台、縦に置かれていた。
そして、頭に豆絞りを巻き、パッチに半纏姿の若者2人が、
太鼓のそばで、バチを高々と構えていた。

 会場に男性のアナウンスがゆっくりと流れた。
「石川県は能登半島に伝わる『えの目の恵比寿太鼓』。
太鼓をたたくのは、H大学うたう会の4人です。
 日本海の荒波に負けずに打ち鳴らす太鼓の響きを、
どうぞお聴きください」。

 急に緊張が走り、背筋が伸びた。
「あの部屋でコーラスをしていたメンバーが、和太鼓をたたく!」。
 意外性と一緒に、身を乗り出していた。

 スポットライトの中で、ゆっくりとバチが打ち下ろされ、
どこか懐かしい、聞き覚えがあるようなリズムをゆっくりと刻み始めた。
 そのリズムに合わせ、もう1人が力いっぱい太鼓にバチをたたきつけた。
2人の太鼓の音が、広い会場に轟いた。

 そして、次々と広い会場を揺り動かすような太鼓の音響が、
くり返しくり返し轟いた。

 訳が分からないまま、何故か私の鼓動が大きくなった。
太鼓の打ち手が次々と交代し、
次第次第に刻むリズムは速くなった。
 それでも、2人の打ち手の息はピタリとあって、
暗転の会場からの視線を、
スポットライトの太鼓にだけ注がせた。

 やがて、会場から大きな拍手が、湧き上がった。
私も思わず一緒に拍手を送っていた。

 鳴り止まない拍手の中、4人は太鼓を囲み、
数回力強くバチを振り降ろし、「ヤーッ!」のかけ声と共に、
会場から太鼓の音が消えた。
 
 パッと舞台が明るくなり、4人は太鼓の前で一礼し、
舞台袖にかけ足で消えていったのだ。 

 その後、いつ会場を出たのか、覚えがない。
外の公園は、赤や黄に色づいた木立におおわれていた。
 その小道を歩きながら空を見上げた。
「あの和太鼓をたたきたい。あの歌も唄いたい。
だから『うたう会』に・・・。どうしようか・・・」。

 数日後、思い切ってサークル室のドアをノックした。
「太鼓をたたいてみたいんです・・。
それから『子どもを守る歌』も唄えるようになりたいんです・・」。
 ドアをあけてくれた先輩に、やっと聞こえるような細い声で伝えた。

 「入会したいんだって!」
先輩は、部屋にいたメンバーに大声で言った。
 大きな拍手と一緒に、私はサークル室に招き入れられた。

 その日から、学内に顔見知りが増えた。
コーラスも和太鼓も、次第に楽しくなった。
 その上、難しい講義をみんな苦労しながら学んでいることも分かった。

 『楽しいと思えるものが、見つかるといい』・・。
アドバイスどおり、その後の私は大学生活を謳歌した。

 追記すると、1年後に入学し、すぐにサークルに入った女子に、
寸劇のアドリブでやけに息が合うのがいた。
 それからずっと息を合わせ、今も過ごしている。



    すっかり秋の装い ~マイガーデン    

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