そばの味を知ったのは、40代になってからである。
そのはじめが、『鴨せいろ』だったためか、
そば店の暖簾をくぐると、
ついそれを注文してしまうことが多かった。
鴨肉の入った温かいつゆと冷たいそば。
そのマッチングの訳は、
冷たいそばを少しずつ温かいつゆに移して食べることで、
温かいつゆの中でのびてしまったそばではなく、
最後まで風味あるそばを食べることができるからだそうだ。
そう教えられてからは、余計に『鴨せいろ』が好きになった。
また、それだけそばは、繊細なものだとも知った。
そんな私だが、
そばに関して、伊達に来てから若干変わったことがある。
実は、伊達には意外とそば店が多い。
休日などに近隣の町から、
伊達のそば店をめあてに来られる方も多いと聞いた。
中には、情報誌などで紹介された店に、
北海道外からも旅の途中に、わざわざ立ち寄る方もいる。
土地の人によると、
伊達は水がいいので、美味しいそば店が多いのだとか。
さて、私は『T』と名乗る店の暖簾をくぐることが多い。
ここは、主人のそば好きがこうじて、脱サラをして店を持ったという。
店内は、小上がり席を含めても40席程度であるが、
伊達で最初にそばを食べたのが、この店だった。
当然『鴨せいろ』を注文した。間違いない味で、大いに満足をした。
しかし、最近はなすが旬の時は、
それを素揚げにした『なす揚げそば』を注文し、
それはそれでそばとの相性がよく、私を堪能させてくれる。
そんな、そばとの新たな出会いを楽しんでいる。
ある日、同じ勢いで
『辛みあろしそば』というメニューに目が止まり、食べてみた。
私は、どちらかと言えば辛い味を苦手にしていた。
だから、そばに限らず辛口な料理を遠慮するようにしていた。
なのに何故、おろしそばの頭に「辛み」
とまで謳ったものを食べる気になったのか、
今も理解できずにいる。
だけどである。この辛みのある大根おろしとそばが、
それはそれは、ピリッとした辛さと冷たいそば、
冷たいつゆが見事な旨味を作りだし、
私は、そばの美味しさを再発見した思いだった。
そして、つい先日のことだ。
『T』そば店へと出かけた。
当然、目指すは『辛みおろしそば』。
昼時の忙しい時間が過ぎた店内は、私と家内の二人だけだった。
そこに、四角い黒塗りのお盆にのった、
ちょっと深めの丼に入った注文の品が二つ、運ばれてきた。
濃い醤油色のつゆに浸った、これまた冷たいやや細きりのそば。
その上に真っ白な大根おろしが、一口饅頭ほどの大きさでもられ、
かいわれ大根と鰹節が少量添えられていた。
私は、それらを乱暴にかき混ぜ、
ずるずると音をたてて食べた。
その辛さは、少々荒々しく、ちょっとした意地の悪さを連想させた。
その少しつらくなるような辛さが、そばの旨味によくあった。
つゆがまたその美味しさに加わり、
私は食後の満足を得ることができた。
そして、仕上げにと、熱々のそば湯をその丼に注ぎ、
添えてあったれんげを手にとり、ひとすくいし、
そして味わいながら飲んだ。
これまた、うすい醤油色をしたそば湯は、
美味しさの余韻に私を導いてくれた。
そして、最後のひとすくいをした時だった。
その丼の底が見えた。
なんと、『夢』の筆文字が現れたのだ。
美味しさの余韻に酔っていた私の眼前に現れた文字が『夢』である。
私は、思わずその丼を持ち上げ、その外回りを見た。
そこには、ぐるりと『春夏秋冬』の味わい深い文字があった。
脱サラをして、そば店を営む店主は、
一度も厨房から姿を見せたことはない。
勝手に地味な人柄の方と思い込んでいた私だが、
その丼を通して、店主の心意気を垣間見た気がした。
美味しいそばを食べ、
満たされた思いでそば湯まで飲み干した者へのプレゼント。
それが『夢』の一文字。
『春夏秋冬』。それを「いつも」と私は解釈した。
支払いを済ませ、店を出た私は、
本当のごちそうをいただいた思いだった。
見上げた空は高く、澄んでいた。
穏やかな風が、応援歌を連れてきた。
庭のすすきが秋を演出
そのはじめが、『鴨せいろ』だったためか、
そば店の暖簾をくぐると、
ついそれを注文してしまうことが多かった。
鴨肉の入った温かいつゆと冷たいそば。
そのマッチングの訳は、
冷たいそばを少しずつ温かいつゆに移して食べることで、
温かいつゆの中でのびてしまったそばではなく、
最後まで風味あるそばを食べることができるからだそうだ。
そう教えられてからは、余計に『鴨せいろ』が好きになった。
また、それだけそばは、繊細なものだとも知った。
そんな私だが、
そばに関して、伊達に来てから若干変わったことがある。
実は、伊達には意外とそば店が多い。
休日などに近隣の町から、
伊達のそば店をめあてに来られる方も多いと聞いた。
中には、情報誌などで紹介された店に、
北海道外からも旅の途中に、わざわざ立ち寄る方もいる。
土地の人によると、
伊達は水がいいので、美味しいそば店が多いのだとか。
さて、私は『T』と名乗る店の暖簾をくぐることが多い。
ここは、主人のそば好きがこうじて、脱サラをして店を持ったという。
店内は、小上がり席を含めても40席程度であるが、
伊達で最初にそばを食べたのが、この店だった。
当然『鴨せいろ』を注文した。間違いない味で、大いに満足をした。
しかし、最近はなすが旬の時は、
それを素揚げにした『なす揚げそば』を注文し、
それはそれでそばとの相性がよく、私を堪能させてくれる。
そんな、そばとの新たな出会いを楽しんでいる。
ある日、同じ勢いで
『辛みあろしそば』というメニューに目が止まり、食べてみた。
私は、どちらかと言えば辛い味を苦手にしていた。
だから、そばに限らず辛口な料理を遠慮するようにしていた。
なのに何故、おろしそばの頭に「辛み」
とまで謳ったものを食べる気になったのか、
今も理解できずにいる。
だけどである。この辛みのある大根おろしとそばが、
それはそれは、ピリッとした辛さと冷たいそば、
冷たいつゆが見事な旨味を作りだし、
私は、そばの美味しさを再発見した思いだった。
そして、つい先日のことだ。
『T』そば店へと出かけた。
当然、目指すは『辛みおろしそば』。
昼時の忙しい時間が過ぎた店内は、私と家内の二人だけだった。
そこに、四角い黒塗りのお盆にのった、
ちょっと深めの丼に入った注文の品が二つ、運ばれてきた。
濃い醤油色のつゆに浸った、これまた冷たいやや細きりのそば。
その上に真っ白な大根おろしが、一口饅頭ほどの大きさでもられ、
かいわれ大根と鰹節が少量添えられていた。
私は、それらを乱暴にかき混ぜ、
ずるずると音をたてて食べた。
その辛さは、少々荒々しく、ちょっとした意地の悪さを連想させた。
その少しつらくなるような辛さが、そばの旨味によくあった。
つゆがまたその美味しさに加わり、
私は食後の満足を得ることができた。
そして、仕上げにと、熱々のそば湯をその丼に注ぎ、
添えてあったれんげを手にとり、ひとすくいし、
そして味わいながら飲んだ。
これまた、うすい醤油色をしたそば湯は、
美味しさの余韻に私を導いてくれた。
そして、最後のひとすくいをした時だった。
その丼の底が見えた。
なんと、『夢』の筆文字が現れたのだ。
美味しさの余韻に酔っていた私の眼前に現れた文字が『夢』である。
私は、思わずその丼を持ち上げ、その外回りを見た。
そこには、ぐるりと『春夏秋冬』の味わい深い文字があった。
脱サラをして、そば店を営む店主は、
一度も厨房から姿を見せたことはない。
勝手に地味な人柄の方と思い込んでいた私だが、
その丼を通して、店主の心意気を垣間見た気がした。
美味しいそばを食べ、
満たされた思いでそば湯まで飲み干した者へのプレゼント。
それが『夢』の一文字。
『春夏秋冬』。それを「いつも」と私は解釈した。
支払いを済ませ、店を出た私は、
本当のごちそうをいただいた思いだった。
見上げた空は高く、澄んでいた。
穏やかな風が、応援歌を連れてきた。
庭のすすきが秋を演出
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