「杭全神社・御田植神事」無事、終了!
約600年に渡って受け継がれてきたという、平野・杭全神社の「御田植神事」が4月13日19時より、執り行われた。
当ブログにおいては、幾度もレポートしてきたが、本年の「御田植神事」のサプライズは、何と“私”の出演であった。
平野で勤務を始めて、一年半。
まさか、地方役とはいえ、こんな大役を仰せ付かるとは思いもしなかった。
身に余る光栄でもあったが、一方では、氏子でもない私がと・・畏れ多くもあった。
ただ、この経験が何物にも代えられない一生の宝になることは間違いない。
直前のリハーサルのあと、昆布とお神酒をいただく。
いざ、出陣である。
御田植神事は拝殿を田に見立て、畦切り、牛による田鋤き、田均し、畝つくり、そして水口つくり、籾種まき、松葉を苗とみなして田植えという順序で演技が行われる。
ここまでの所作そのものは、各地で行われている、お田植え祭と同じだが、杭全神社では次郎坊という人形に飯を食べさせ、放尿させるという、風変わりな演技が加わる。
これには,神様が田んぼに肥料をあげる、という意味があるといわれている。
全般にわたって、猿楽のように、シテと地方のやり取りが続く。
私が一番好きな、シテの台詞がこれ。
「牛のやまう、人のえきれい、万悪しきこと、熊野の奥の泥の海へさしのけい」
幸せを願う庶民の気持ちを代弁するようで、ほのぼのとした気持ちになる。
私も奈良各地の御田植祭を見てきたが、ここ平野の神事が一番、見応えがあると思っている。
この神事を見たことがないという平野在住の方が多いと聞くが、もったいないことである。
昨年の様子から↓
昨年の様子を載せるということは、当然のことながら、本番の写真を撮ることができないということ。
演技が終わって、やっと、撮った写真。
来年まで、翁面とも、しばしの別れである。
神事の間中、ずっと、正座をしていたので、足がしびれてしまった。
退場の際、ころんだら、一生の恥なので、痛いけれど、必死に耐えた。
私にとっては、台詞よりも、正座が大敵であった。
表題の「無事、終了!」には、そんな思いが込められている。
神事のあと、梅月堂のお菓子をいただいて、ほっとした。
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約600年に渡って受け継がれてきたという、平野・杭全神社の「御田植神事」が4月13日19時より、執り行われた。
当ブログにおいては、幾度もレポートしてきたが、本年の「御田植神事」のサプライズは、何と“私”の出演であった。
平野で勤務を始めて、一年半。
まさか、地方役とはいえ、こんな大役を仰せ付かるとは思いもしなかった。
身に余る光栄でもあったが、一方では、氏子でもない私がと・・畏れ多くもあった。
ただ、この経験が何物にも代えられない一生の宝になることは間違いない。
直前のリハーサルのあと、昆布とお神酒をいただく。
いざ、出陣である。
御田植神事は拝殿を田に見立て、畦切り、牛による田鋤き、田均し、畝つくり、そして水口つくり、籾種まき、松葉を苗とみなして田植えという順序で演技が行われる。
ここまでの所作そのものは、各地で行われている、お田植え祭と同じだが、杭全神社では次郎坊という人形に飯を食べさせ、放尿させるという、風変わりな演技が加わる。
これには,神様が田んぼに肥料をあげる、という意味があるといわれている。
全般にわたって、猿楽のように、シテと地方のやり取りが続く。
私が一番好きな、シテの台詞がこれ。
「牛のやまう、人のえきれい、万悪しきこと、熊野の奥の泥の海へさしのけい」
幸せを願う庶民の気持ちを代弁するようで、ほのぼのとした気持ちになる。
私も奈良各地の御田植祭を見てきたが、ここ平野の神事が一番、見応えがあると思っている。
この神事を見たことがないという平野在住の方が多いと聞くが、もったいないことである。
昨年の様子から↓
昨年の様子を載せるということは、当然のことながら、本番の写真を撮ることができないということ。
演技が終わって、やっと、撮った写真。
来年まで、翁面とも、しばしの別れである。
神事の間中、ずっと、正座をしていたので、足がしびれてしまった。
退場の際、ころんだら、一生の恥なので、痛いけれど、必死に耐えた。
私にとっては、台詞よりも、正座が大敵であった。
表題の「無事、終了!」には、そんな思いが込められている。
神事のあと、梅月堂のお菓子をいただいて、ほっとした。
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