志紀長吉神社と真田幸村 ~平野ヒストリー

慶長20年(1615)大坂夏の陣。
徳川勢の包囲が迫る中、真田幸村軍は、圧倒的な兵力を誇る伊達政宗軍と道明寺・誉田で激戦を展開。
伊達軍の進撃を一旦、食い止めるが退却命令が出て、大坂城防衛に戻ることになった。
さすがに疲労困憊の真田幸村だったが、その途上で戦勝を日蔭大明神(志紀長吉神社)に祈願、刀剣と六文銭の軍旗を奉納し、神社の馬場にて休息した。


赤地に白の六文銭の旗は、あまりに有名な真田幸村の軍旗で、その旗が見られる真田の赤備えとして恐れられた。
六文銭は三途の川の渡し賃、つまり通行料とされており、死者を葬る時に遺体と一緒に埋めるものである。
真田氏は家紋に六文銭を用いることで、死をもいとわない不惜身命の決意で望んでいることを示していたと云われる。
(志紀長吉神社・社宝)
「六文銭」をあしらった「勝守」。

追撃する伊達軍。幸村はここで、暫しの休憩を取った。
祈願のおかげか、出発の際には霧が出て、包囲網を突破し危機を脱したという。





戦国ゲームなどでは、幸村はイケメンのヒーローとして描かれている。

こんなイケメンではなかったろうと思う。
ましてや、やさしい麦茶で休憩したわけではなかったろう。
数年前までは甲冑隊イベントを開催されていたと聞く。
また、復活させてもらいたいものだ。
神社のアナベルが綺麗だった。

<番外編>
近くには「長原高廻り古墳群」がある。
5Cの古墳で船形埴輪などが出土した。
船形埴輪は20数年前、「古代舟なみはや」として復元され、大阪から釜山まで実験航海した。


ちょっと、珍しい長原の卵の自動販売機。

長吉出戸地域も風情ある民家が数多い。

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慶長20年(1615)大坂夏の陣。
徳川勢の包囲が迫る中、真田幸村軍は、圧倒的な兵力を誇る伊達政宗軍と道明寺・誉田で激戦を展開。
伊達軍の進撃を一旦、食い止めるが退却命令が出て、大坂城防衛に戻ることになった。
さすがに疲労困憊の真田幸村だったが、その途上で戦勝を日蔭大明神(志紀長吉神社)に祈願、刀剣と六文銭の軍旗を奉納し、神社の馬場にて休息した。


赤地に白の六文銭の旗は、あまりに有名な真田幸村の軍旗で、その旗が見られる真田の赤備えとして恐れられた。
六文銭は三途の川の渡し賃、つまり通行料とされており、死者を葬る時に遺体と一緒に埋めるものである。
真田氏は家紋に六文銭を用いることで、死をもいとわない不惜身命の決意で望んでいることを示していたと云われる。
(志紀長吉神社・社宝)

「六文銭」をあしらった「勝守」。

追撃する伊達軍。幸村はここで、暫しの休憩を取った。
祈願のおかげか、出発の際には霧が出て、包囲網を突破し危機を脱したという。





戦国ゲームなどでは、幸村はイケメンのヒーローとして描かれている。

こんなイケメンではなかったろうと思う。
ましてや、やさしい麦茶で休憩したわけではなかったろう。

数年前までは甲冑隊イベントを開催されていたと聞く。
また、復活させてもらいたいものだ。
神社のアナベルが綺麗だった。

<番外編>
近くには「長原高廻り古墳群」がある。
5Cの古墳で船形埴輪などが出土した。
船形埴輪は20数年前、「古代舟なみはや」として復元され、大阪から釜山まで実験航海した。


ちょっと、珍しい長原の卵の自動販売機。

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