玉川堤の桜から蟹満寺 ~南山城・桜逍遥
桜満開時にはよく訪れる井手町の「玉川堤の桜」。ここも私の桜逍遥・定番コースである。
例年になく早い今年の桜は、ここでも、桜吹雪となり始めていた。
ここまで来たら、高台にある地蔵禅院の枝垂れ桜を見ようとふうふう言いながら昇っていく。
残念ながら、既に最盛期は過ぎていた。
このあたりは山吹の名所でもある。
小野小町の墓がある。
桜逍遥はまだまだ続く。近くの蟹満寺へ。
蟹満寺駐車場横の堤も見事な桜並木となっており、地元の皆さんの花見の宴会場となっていた。
カメラ片手に一人で現れた風来坊の私なのに、突然、バーベキューのお誘い。
「いえいえ」といったんお断りしておきながら、手だけが伸びている始末。有難くお相伴にあずかった。
地元産のタケノコがことのほか、美味だった。
駐車場は満車なのに誰一人としてお寺には向かわない。皆さん、花見だけが目的らしい。
山城なのに、何で「蟹」と思ったが、サワガニのこと。
「蟹の恩返し」という。恩返しするのは、鶴だけではないらしい。
<蟹満寺由来>(木津川市観光ガイドより)
昔、山城国(現山城町綺田)に観音様を厚く信じる農家の父娘がいました。ある日、娘は村人がとる蟹を哀れみ逃がしてやりました。またある日、父は田で蛇にのまれんとしている蛙を助けるのに「娘を嫁にやるから蛙を助けて欲しい」とうっかり言ってしまいました。その夜、立派な男性の姿をした蛇が娘を貰いに来ますが、「三日待ってくれ」と懇願しました。男性は一度、引き帰りました。
三日目、板を打ち付けた部屋の中で父娘は懸命に観音経普門品を唱え祈っていました。やってきた蛇は約束が違うと怒りだし、家の周囲で暴れました。しかし突然、その音もやみました。夜が明けて見てみると、家の周囲には蟹の鋏で切り裂かれた蛇の死体が転がっていました。その時に死んだ蟹と蛇の屍を葬り塚を作ってその上に観音堂を建てたのが、蟹満寺といわれています。