能登半島・災害ボランティアと視察 ② ~地震・津波 そして、水害
能登のシンボルでもある「見附島」は変わり果てた姿となっていた。
弘法大師が佐渡から能登へと渡る際に「見つけた」というのが由来だが、別名「軍艦島」とも云われた船の舳先のような鋭角部分は地震により崩落しており、かつての面影はない。
島周辺の集落は断層上にあったのだろうか、無残にも殆どが被災しており、手付かずのままだった。
思わず、合掌。
液状化現象のため、地中のマンホールが地上に浮き上がっていた。
更に周辺をパトロールする。
扉の開いたキリコ庫。
収穫直前の稲が倒れてしまった。水害は酷い。
恋路の浜の波も、どんよりと濁っていた。