エッセイ「 ‟どんどこ” が聞こえる。」 ~初盆と「三丁目の夕日」
母は毎朝、家族の誰よりも早く起きて、家事にドタバタとしていた。
当時、団地住まいの家で私の部屋は台所の真横だったため、毎朝、このドタバタで目覚めることになる。
このドタバタが “どんどこ” に聞こえたのは母が偏平足で床を踏むためだった。
また、私の寝床はベッドではなくて、畳に布団というスタイルだったため、床の振動が直に鼓膜に響いたせいらしい。
とにかく、この ‟どんどこ” が当時、目覚まし時計の代わりにもなっていた。
母は専業主婦だったわけではなく、家族が出ていったあともパートや勤めで忙しかったのに、私が帰るころには夕餉の支度にも抜かりなかった。
毎度毎度の食事の支度に感謝しながらも、いつかは恩返ししなければと朧気ながら思っていた。
あれから、幾星霜。
両親と何十年か振りに同居することになった。
両親の老衰は日毎に進行していく状態だった。
長い闘病の末、父を見送ると同時に母の急激な衰えも顕著になってきた。
それでも、すぐにドタバタと動く性格故、家の中で何度か転倒と骨折を繰り返し、ついには要介護4(殆ど寝たきり状態)となった。
いつの間にか、毎朝のドタバタも私がやるようになっていた。
そして、気がつくと、私も ‟どんどこ” と床を踏んでいた。
私も偏平足だったのだ。
夜中に下の世話や錯乱のため何度も起こされるので殆ど眠れない日が続いていた。
仕事しながらの介護生活は果てしなく続くように思われた。
今朝方、ベッドの中でまどろんでいると、久々に ‟どんどこ” が聞こえたような気がした。
初盆の朝を迎えていた。
仏壇に手を合わせると母はいつものように穏やかに微笑んでいた。
(あずき煮えた)
久々に西岸良平先生のコミック「三丁目の夕日」を読んだ。
雑誌サライ7月号の付録に「三丁目の夕日」の特別編集本が付いていたのだ。
コミック本は殆ど読まない私だが、「三丁目の夕日」だけは別で断捨離の際にも、捨てきれずに未だに何冊か保有している。
懐かしい昭和のアイテムが幾つも登場し、郷愁を誘いながらも、どこかに忘れてきたような、ほろっとした人情を思い起こさせる。
「ALWAYS 三丁目の夕日」として映画化もされた。
「ALWAYS」という言葉には、「いつまでも変わらないもの、いつまでも変えてはいけないもの」といったメッセージが込められているそうだ。
「 ‟どんどこ” が聞こえる。」は、「三丁目の夕日」の読後に書いたエッセイなので、そのインフルエンスが多少、あるかもしれない。
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