平和への祈りと悪魔の埋み火 ~ピース大阪 ②
大阪空襲は1944年12月に始まり、府内で約1万5千人が犠牲になった。
100機以上の爆撃機による襲来が大阪大空襲(計8回)と呼ばれ、最も被害が甚大だったのは1945年3月13~14日の大空襲で約4千人が死亡、約50万人が被災した。
また、京橋駅空襲の惨状は今も語り継がれている。
戦争の終焉を翌日に控えた1945年8月14日正午過ぎ、陸軍造兵廠を狙った数十機のB29爆撃機が飛来した。
折しも、到着した上下各列車そして付近の防空壕に向かって数個の1トン爆弾が襲いかかった。
一帯は屍山となり断末魔の叫び飛び交う地獄となった。
その犠牲者は500人とも600人とも言われている。
京橋駅の死体処理。
大空襲で御堂筋は炎の川。
一トン爆弾
一トン爆弾と焼夷弾。
道頓堀通りと戎橋。
赤が被災した地域。
焼野原になった大阪。
ピース大阪内部の展示
模擬原爆
1945年7月26日、東住吉区田辺に落とされた原爆模擬弾。
防空壕
ピース大阪を出ると、猛烈な蝉時雨と真夏のかんかんの陽射しが降り注いでいた。
大阪城公園では、家族連れや恋人たちが楽しそうに闊歩している。
戦争は過去のこと。平和は成ったと思えてくる。
だが、果たして、そうだろうか。
内外に目を向けると、またぞろ、リンピオの仮面を被った輩の不穏な動きが各所にあるではないか。
気付かぬうちに、悪魔の埋み火が、あちこちで、くすぶっている。
そんな気がしてならない。
人気ブログランキングへ にほんブログ村 FC2 Blog Ranking
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます