華やかな「はねず踊り」 ~山科・隋心院 ②
隋心院に伝わる「はねず踊り」には、次のような逸話がある。
昔、深草少将がこの地に住まっていた小野小町を慕うあまりに百夜通いの悲願をこめて通い続けた。
しかし、九十九日目の大雪の夜、ついに代人を仕立てたのが運のつきで少将にはもはや小町の姿をもとめることはできなくなった。
その後の小町は、毎年「はねずの梅」が咲く頃を、老いの身も忘れたように里の子たちと楽しい日々を過ごしたという。
また、少将が通い続けた日数を小町が榧(かや)の木の実でかぞえていたという伝説が残るが、今は隨心院の周辺に数株の古木が茂っている。
はねず踊りは、この隨心院に伝わる小野小町の伝説を主題としたものであるが、童謡や民謡の性質上、これがいつ頃から歌われ踊られたかを知る由もない。
しかし、江戸元禄年間から少なくとも大正時代までは、毎年「はねずの梅」が咲く頃に、里の子たちが家々を訪ねて門内の庭で踊っていたことは明らかである。
クレオパトラ、楊貴妃と並ぶ世界三大美女のひとり、日本の美人の代名詞「小野小町」には、こんなストーリーが残されていた。
はねず(薄紅色の古名)の梅が咲き誇るなか、華やかな衣装の少女たちが唄に合わせ小野小町と深草少将を演じて舞おどる。
特設ステージで執り行われる本番の「はねず踊り」前日に本殿・能の間で「はねず踊り・奉納舞」が執り行われた。
司会の方、小町のような美人さん!と思っていたら、「ミス小野小町」だったそう。
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