ワンダースター★航星記

写真を撮るとは、決して止まらない時間を止めること。旅や日常生活のインプレッシブな出来事を綴ったフォトエッセイ集です。

京都プロレス美術館 ~昭和プロレスの残像 Vol. 2

2016-06-04 | プロレス

京都プロレス美術館 ~昭和プロレスの残像 Vol. 2

               

 京都市左京区、高野川沿いの川端通りから程近い閑静な住宅街に京都の珍名所がある。
 プロレスマニアでTVのお宝系番組にも多数、出演された湯沢さんの私邸の一室が、「プロレス美術館」として、公開されているのである。
 今回、4年ぶりの訪問となったが、館長の湯沢さんのマニアックぶりは相変わらずだった。

 部屋には小さなリングが組まれており、それを取り囲むようにコレクションが溢れんばかりに陳列されている。
 湯沢館長、今日はマシーン軍団の悪徳マネージャー若松市政の帽子を被って、登場!

               

 前回と変わっていたのは、野獣ボブ・サップが正面に飾られているところ。
 ん?これって、平成だよね。一瞬、バッドニュース・アレンかと思ったけど。

 あの時代はやっぱり、ミル・マスカラスとアブド-ラ・ザ・ブッチャーの個性が光っていた。

               

               

 マスカラスのマスクが多数、飾られていた。
 馬場さんが覗き込んでいるのがおかしい。

               

 ブッチャー、引退した大木がソウルで入院中と聞き、お見舞いに行ったそうだ。
 世紀の悪党が実はいい人だったという。
 正義の味方、マスカラスの素顔が実は高慢ちきだったと聞く。
 プロレス界のギミックは実生活では逆の場合が多いようだ。
 一般社会もそうなのかもしれないと最近、思うようになった。

               

 彼らも、すでに世を去った。

               

 二人の巨人もいなくなった。

               

               

 「力道山、暴漢に刺さる!」と小さな第一報の記事。
 まさか、死ぬとは思っていなかったのだろう。

               

 若獅子と呼ばれていた時代の猪木。

               

 猪木のパキスタン2回目の遠征時に贈られたという記念品。これもお宝だ。
 プロレスはショーだ、八百長だといわれていた時代、パキスタンまで行って、数万の観衆の前で現地の英雄の腕を折り、再起不能、自殺?にまで追い込んだ男がいた。

               

 料金を見て、今さらながら驚く。
たった今、アリの訃報が飛び込んできた。
 ご冥福をお祈りします。

               
 
 バラエティ番組でこちらを訪問したけれど、当人の展示物がなくて、傷ついて帰ったとか。
 元横綱・北尾光司を一撃でKOした貴方は凄かった。
 高田延彦のフィギュアも登場!ん、これも平成!
 
               

 アメリカンな人でした。

               

 今回、一番のお宝だと思ったのが、これ。
 昭和50年、ソウル奨忠体育館でのインター選手権、大木金太郎VSアントニオ猪木戦。
 プロレスの裏と表が複雑に交錯した因縁の一戦。

               

 時代の合わせ鏡である、ポスター。レスラー全盛期の馳大臣も載っている。

               

               

               

               

               

 少しづつ、平成が進出してきたような昭和のリング。
 今度、訪れるときは、どうなっているのだろうか。

                           
                
バックナンバー京都プロレス美術館 Vol. 1

 訪問は日曜日のみの予約制です。私設美術館ですので、訪問時には必ず、予約してください。

 HPはこちら プロレス美術館・憩いのリング



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与謝野晶子・セピア色の君へ ~「さかい利晶の杜」 2

2016-06-02 | 博物館・美術館
与謝野晶子・セピア色の君へ ~「さかい利晶の杜」 2

                    

 堺に生まれ明治・大正・昭和を短歌とともに生きた「情熱の歌人」与謝野晶子。
 「利晶の杜」の2Fは与謝野晶子記念館となっており、セピア色の彼女に会いに行くことができる。
 上写真は与謝野鉄幹と晶子。
 師弟であり、同志であり、夫婦であった二人。

                    

                    
 
 有名な歌やメッセージが波紋のようにつづられていた。

                    

                    

                    

                    

                    

                    
 

 与謝野晶子記念館の中央部に設けた「晶子の装幀」コーナーでは、数多い晶子の本の凝った装幀が紹介されている。

                    

                    

                    

 展示室内には晶子が生まれ育った駿河屋の店先を、実物大で再現している。
「海恋し潮の遠鳴り数へては少女となりし父母の家」で知られる晶子の生家は、羊羹で有名な和菓子商で、大きな時計のある2階部分が洋風づくりという和洋折衷の建物だった。

                    

                    

 「利晶の杜」1Fフロアでは、昭和初期の堺の中心、宿院(この地)の様子がジオラマで再現されていた。

                    

                    

                     

 近くの甲斐町にある生家跡には「海こひし潮の遠鳴りかぞへつつ少女となりし父母の家」の歌碑がある。


                    

                    

                    


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千利休・堺がSACAYだった頃 ~「さかい利晶の杜」 1

2016-06-01 | 博物館・美術館
千利休・堺がSACAYだった頃 ~「さかい利晶の杜」 1

                 

 堺が生んだ茶の湯の祖「千利休」と、日本近代文学の代表歌人「与謝野晶子」の生涯や人物像などを通じて、堺の歴史・文化の魅力を発信する新しいタイプのミュージアム「さかい利晶の杜」。
 
               

 中世の堺の町の陶板画がエントランスフロアにあった。

                 

 15~16Cにかけて、長崎とともに南蛮貿易の拠点として、堺には頻繁にポルトガル人やスペイン人がやってきた。
 彼ら、南蛮人から見た日本観が伺える。

               

 北海道がないやん。琵琶湖が小さすぎるやんと、つっ込みどころ満載。

               

 河内がCavachi、大和がHiamato。まるで、地中海の古地図のよう。

               

 時は戦国の世。
 信長や秀吉に翻弄されながらも、自治都市として、貿易都市として、堺は独自の発展を遂げた。
 この地から「茶の湯」文化を茶道として日本に根付かせた千利休の功績は誠に大きい。

               

               

               

               

               

                 

 「茶の湯体験施設」や千利休がつくった茶室で唯一現存する国宝の茶室「待庵」の創建当初の姿を復元した「さかい待庵」もある。
 「さかい利晶の杜」の東側すぐには千利休屋敷跡がある。

               
 
 ここには利休が椿の炭を底に沈めて水を清めたと伝わる椿の井戸が残っている。


               


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