これまでに、このブログで銚子出身プロ野球選手のテレホンカードやトレーディングカードを取り上げてきました。石毛宏典選手、篠塚利夫(和典)選手をはじめ、木樽正明投手、土屋正勝投手、根本隆投手、銚子利夫選手、澤井良輔選手、石毛博史投手、長谷川昌幸投手などです。
この他の銚子出身プロ野球選手もカード化されていますので、紹介したいと思います。最初はヤクルトスワローズ、渡辺進選手です。
渡辺進選手は昭和27年(1952年)8月25日、銚子市の生まれ。銚子第四中学校から銚子商業高校に進学、昭和45年(1970年)には夏の甲子園に出場しました。1回戦は7対4で高知商に勝ちましたが、2回戦でPL学園新美投手に2対0で完封されました。(『銚商硬式野球部小史』
この年、ドラフト4位でヤクルトアトムズの指名を受け、昭和46年(1971年)ヤクルトに入団しました。引退は昭和62年(1987年)、ヤクルトスワローズでした。昭和63年(1988年)から平成17年(2005年)まで、守備走塁コーチ、一軍チーフコーチを務めました。
最初のカード化は、昭和53年度(1978年度)のタカラプロ野球カードゲームでした。
まだ背番号36の時代ですね。
タカラプロ野球カードゲームのカードは、昭和56年度(1981年度)から昭和62年度(1987年度)まで毎年カード化されています。
カルビーカードは昭和56年度(1981年度)に2種類発行されています。
BBM(ベースボール・マガジン社)のカードは、平成17年(2005年)のヤクルトスワローズのカードでした。
ヘッドコーチの時代です。直筆サインカードも封入されていました。
次のカードは平成21年(2009年)、BBM2009ヤクルト球団40周年記念カードでした。
直筆サインカードです。
カード化はここまでかな思っていましたが、平成25年(2013年)に、もう1種類が発行されました。プロ野球名勝負シリーズ、「10・16決戦 1985 ヤクルトVS阪神」です。
直筆サインカードもあります。
カード裏面での紹介は「一塁で48試合、二塁で45試合出場など内外野の複数のポジションをこなすユーティリティプレイヤーとして奮闘。」と記されています。
この他の銚子出身プロ野球選手もカード化されていますので、紹介したいと思います。最初はヤクルトスワローズ、渡辺進選手です。
渡辺進選手は昭和27年(1952年)8月25日、銚子市の生まれ。銚子第四中学校から銚子商業高校に進学、昭和45年(1970年)には夏の甲子園に出場しました。1回戦は7対4で高知商に勝ちましたが、2回戦でPL学園新美投手に2対0で完封されました。(『銚商硬式野球部小史』
この年、ドラフト4位でヤクルトアトムズの指名を受け、昭和46年(1971年)ヤクルトに入団しました。引退は昭和62年(1987年)、ヤクルトスワローズでした。昭和63年(1988年)から平成17年(2005年)まで、守備走塁コーチ、一軍チーフコーチを務めました。
最初のカード化は、昭和53年度(1978年度)のタカラプロ野球カードゲームでした。
まだ背番号36の時代ですね。
タカラプロ野球カードゲームのカードは、昭和56年度(1981年度)から昭和62年度(1987年度)まで毎年カード化されています。
カルビーカードは昭和56年度(1981年度)に2種類発行されています。
BBM(ベースボール・マガジン社)のカードは、平成17年(2005年)のヤクルトスワローズのカードでした。
ヘッドコーチの時代です。直筆サインカードも封入されていました。
次のカードは平成21年(2009年)、BBM2009ヤクルト球団40周年記念カードでした。
直筆サインカードです。
カード化はここまでかな思っていましたが、平成25年(2013年)に、もう1種類が発行されました。プロ野球名勝負シリーズ、「10・16決戦 1985 ヤクルトVS阪神」です。
直筆サインカードもあります。
カード裏面での紹介は「一塁で48試合、二塁で45試合出場など内外野の複数のポジションをこなすユーティリティプレイヤーとして奮闘。」と記されています。