のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

ナウイズム(実在主義)とは何か

2016-10-31 | ナウイズム(実在主義)

 

 

先日、皆様と共に、

「何故、ヒトを殺してはいけないのですか?」という問いを考えてきました。

その答えは、

結局、実在(今)に帰ることだったわけですね。

 

つまり、生きるということです。

意識を生きるという方向に向ける。

つまりそれはプラス思考であり、ブッタの話しの中で出てきたベクトルを創造の方向にむけるということなのです。

 

ナウイズムは、創造だということですね。

 

一方で、世界は、破壊に向かうベクトルが渦巻いています。

 

核兵器、テロ、テロを生み出している物欲の支配。

そして個人の中では、心の崩壊、ヒトをバラバラにしても平然としていられるという、負のベクトルを学習していく若者たち。

 

ナウイズムは、この破壊のベクトルを創造のベクトルに変える運動なのです。

 

幸い、我々は、破壊のベクトルと戦う必要はありません。

いえ、戦ってはならないのです。

 

ブッタのエピソードにもありましたが、

その本質は、破壊=創造

同じエネルギーの裏表、ベクトルの矢先の正・逆転。

 

ナウイズムは、この同じエネルギーを見抜き、矢印を創造に向ける運動なのです。

 

破壊者のエネルギーを創造に向ける

それは戦いではなく理解だということを忘れてはならないのです。

さもなければ、戦いの中でナウイズムは死ぬしかありません。

 

ナウイズムは野に咲く一輪の花

 

一輪の花が、

荒野を見事なコスモス畑に変える。

そこにまぎれもない真実があるのです。

 

一輪の花になろうではありませんか。

 

破壊のベクトルに感染せず、恐れず、

私たちは一輪の花になる。

 

身の回りがどんなにみじめで暗くとも、

私は一輪の花になる。

 

するとこの、

小さな、踏みつぶされてしまうような、ささやかな創造のベクトルが、

次の年には数百のベクトルとなって、お花畑が出来る。

 

ナウイズムは、華やかなな運動ではない。

ただささやかに、

小さな自分が、とるに足らない創造を

恥ずかしげもなく続けることなのだ。

 

道に落ちていいるごみをくずかごに入れる

素晴らしい創造だ。

それを理解することだ。

 

100人集まれば、ゴミだらけの公園が生まれ変わる。

その想像が、大きな創造のベクトルに変わる。

 

ナウイズム。

実在は常に、二つの方向を持っている。

+か-。創造か破壊。

 

そして最も身近で確かな実在。

それが、今、この瞬間に生きている「私」だ。

 

「私」を創造のベクトルに変える。

プラス思考を習得する。

 

それが究極のナウイズム(実在主義)なのだ。

 

 

今からあなたは一輪の花

ナウイズムはそう呼びかけるのです。

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