思考は3つのステージを経験する。
第一ステージは生まれて自我の目覚めるまでの間に流れる思考エネルギー。
無意識なまま己の命を生きている時代。そのエネルギーは無垢のままだ。
第二ステージは自我が生まれて死ぬまでの間に流れるエネルギーのかたち。
人間(人の間)そのものだ。この思考エネルギーは人の間でめまぐるしく変化する。人がいれば苦しむのに人がいなければ第二ステージの思考は成立しない。
孤独を恐れるのはこのためだ。人とのかかわりがなければ思考は消えてしまう。
その恐れを心の奥底に抱えながら第二ステージが始まるのだ。
思いつく欲望はすべて、孤独から逃れようとする思いにつながっている。第二ステージが多彩なのはこのためだ。人との関係を意識しなければ孤独の不安が自分の背後でぱっくり口をあけている。これでよかったのか悪かったのか。好きなのか嫌われているのか。なすべきかなさざるべきか。その問いに答えるのは不可能だと知りながら、死ぬまで心を空転させる。
第三ステージは、自我の死によって生まれる思考のエネルギーだ。真実の中で思考エネルギーは解放され、至福に満たされる。
自我の死、それはあれほど恐れていた第二ステージの孤独を受け入れたときから始まる。それは真実の世界を理解した悟りから生まれる。釈迦やキリストの至った世界。
大事なことは、この第一から第三ステージに至るエネルギーは同じものだということだ。この身が幼年、成年、老年と同じように、このエネルギーも成長とともに変容していく。
誰でも、必ず第三ステージまで変容する。これは運命的だ。
問題は、この身があるうちに自我が死ぬか、この身とともに自我が死ぬかだ。この違いは大きい。光の中で至福を味わうか、無明の中で至福を味わうか。
無明の中の至福は無に等しい。それは人として完成する前に死ぬことだ。死んだ後も第二ステージが何のためにあったのかわからず眠らされているだけだ。
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