これ、なんだかわかりますか?
たまごの殻ですが、実はちょっとした思いがあって、やってみた造形です。
たまごは、最も単純化したいのちの箱。
そんなとらえ方で、私はよく絵の主題に使います。
たまごの殻は、まさにいのちを育む箱として、その中に卵胞を蓄え、成長するまで外気から身を守っているのです。
中身が成長すると、己は壊れることで役目を終える。
その形も神秘的です。
絵心を刺激される所以ですね。
ところで、表題の写真は、身近にあるたまごを、もっとよく知りたいと思って始めた実験で、最終的には、そのたまごで作品をつくるという考えがありました。
具体的には、こういうことです。
一体私たちはどれだけたまごと接しているのか、それを視覚的に表現して見ようという試みです。
2001年11月からほぼ2か月間、我が家で食べたたまごの殻を、日付を入れて並べ始めたのです。
このように、使用済みのたまごの殻に日付を入れて、単純に並べていくという作業です。
一体どれほどになるのか、正直あまり具体的なイメージが見えていませんでした。
我が家は一日1~2個くらいで、特に多すぎるとは思えません。おそらくどの家庭でもそんな程度ではないかと思います。
家人に疎まれながら、とにかく2か月続けた結果がこれ。
ひとつの造形作品としてご覧ください。
この造形は、想像できませんでした。これが2か月分(4人)ですから、1年だとこの6倍の面積、
床に敷き詰めると、家の中は足の踏み場もないことになる。
無精卵とはいえ、私たちはこれだけの命を頂いて生きている。60年生きたら、この360倍の面積をたまごの殻が埋め尽くす。
生きるということは少なくともこういうことなのですね。
人が生きていくために犠牲になる命は尋常ではない。
この命を頂いている私たちは、感謝してしつくすことのない恩恵を、今もこの世界から受けているのですね。
けっしてひとりで生きているのではないということでしょう。
これは、ペットボトルの上にたまごを立てた写真です。背景は私の絵。
ありがとうございます。こんな考えとの出会いを。ただそう思います。
…これだけの命をいただいている、頂いた命に報いること…私なりには「少なくとも私にしかできないかもしれないことはやり尽くす。」
改めて、自分を今までつないでくれた命に報いなければ…そう思いました。
この記事との出会いに感謝を!
実際、一億の精子の中から勝ち抜いて生まれた私ですから、
そこから成長するために犠牲になったいのちのことを考えると、私たちは生きる責任があるわけですね。
自分にしかできないことをする。それが私を活かしてくれたものたちをしあわせにする唯一の方法だと思うのです。
聞きようによっては大げさな話ですが、すとんと心に落ちる人もいる
それがうれしいです^ね^