去年の台風で、大波が白いビーチに漂流物を運び、それが渚に沿って帯のように拡がっている。
草挽きをしながら、横目でみていたが、やっと今年からそのゴミの帯に手が届いた。
ベースになっているのが海藻で、そこに大小の流木が絡み、その上に生活臭のある廃品が散らばる。空き缶、ペットボトル、その他諸もろの品物、傘の柄、靴、ライター、人の弱点をみる気がする。
すごいと思うのは、空き缶だ。その数もそうだが、それより内陸ではみられない光景がそこにある。缶の腐食の様子にドキリと胸を打つ。
石に錆色だけが残っているもの、紙のようにぼろぼろになってさわるだけで砕けてしまうもの、缶の形のまま錆のかたまりとなっているもの、つぶれて塗料のはげ落ちたもの、そしてつい最近捨てられたもの、空き缶の生涯を一瞬で見渡すことができる。
流木は同じゴミでも美しい。時間とともに溶けて行っても、その本姓は残り続ける。
人がつくるものはこんなものなのかもしれない。
美しい都市も、空き缶と同じだ。
自然と関わって活かす人間の本姓を忘れてはならないのではないだろうか。
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