![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/4e/9f/2ef873f29583ffe702a80056dde740d3.jpg)
延岡の山歩き人Kさんのブログは、山歩きに徹して、その自然の姿を様々な視野で眺めて素晴らしい写真を提供してくれています。私もよくその写真に癒されている一人ですが、つい先日のコメントで、私を引きあいに出してくれた記事を紹介してくれましたことを知りました。
その記事は、日本瀧百選でもある 行縢(むかばき)の滝の紹介記事です。それは 「強風の中、 激しく流れ落ちる様子は 天に昇る龍の様でした。」という山歩き人様の解説付きの滝の写真でした。それがのしてんてん龍を連想させるというのです。
その写真を眺めているうちに、この写真のダブルイメージを見てみたいと思うようになりました。
そこでつい抑えきれずご本人には無断で写真を拝借してやってみました。
面白いので、山歩き人様に観てもらいたいと記事におこした次第です。
これらの写真は、延岡の山歩き人Kさんのブログの
「日本の滝百選_行縢の滝 ~ 名瀑も 秋の長雨で 「龍」 となる?」
記事の写真を素材にしたものです。お時間がございましたら、もと記事の写真はどれか考えてみてください。そのついでに、是非山歩き人様の美しい写真をご堪能下さいましたら、無断借用の罪滅ぼしと思います。山歩き人様事後承認お願い^ね^
②
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⑦
⑧
左右対称の風景には、思わぬ神々しさが発見できますね。
延岡の山歩き人K様ありがとうございました。
(画像の著作権は 延岡の山歩き人&のしてんてん となりますので、ご利用の際には原作者に了解をとってください)
どれも神秘的な写真ですね🎵。
強いて言えば、⑧が好きというか気になります☺️。
異世界へ通じる門、楼閣……いう感じで。
あの向こうには小野不由実先生の『十二国記』の世界が広がっていそうで、惹かれる反面、怖いですね。
って、『十二国記』を知らないと上手く感じが伝わらないでしょうけど(笑)。
感想でした🍀。
けれど、これは延岡の山歩人K様のとても迫力のあるきれいな風景の写真なのです。
写真を左右反転して重ねあわせただけで、どうしてこんなにも情景が変わってしまうのかとても強い興味がわいてきます。
普通にきれいな風景の中に、こんな神秘が隠されているのかも知れないと思ったり、
普段片側しか見られない不完全な我々人間が、もし完全な世界を見たらこんな風景なのかも知れないとか、
神秘に感じたり怖いと思うのは、我々が見たことのない風景だからなのか。
十二国記で不気味だったのは、泰麒が寒い夜外に閉めだされた時、倉庫から手が伸びて手招きされるシーンでしたが、
そのシーンを思い出しても、やはり想像できない情景だったように思います。
このダブルイメージの写真は、もしかしたら、未知のものに対する我々人間の感情が現れるのかもしれませんね。
見慣れた風景が、百八十度変わると神秘的になる。
むっちゃん、
何か着想がわきません^か^
驚きました \(◎o◎)/
この様な 左右対称の画像
他様のブログでは みかけた事ありますが
アナログ人間の自分には 出来ない技術です(^o^)
オリジナルの写真イメージとは
まるで異なって驚きと感動
そして神秘の世界に誘われました
拙ブログ
過分なるお褒めの言葉とご紹介をいただきまして
光栄です
ありがとうございました。
さっそく拙ブログでも
(のしてんてん様の)写真1枚借用して
ご紹介記事をアップ いたしました。
と言いますのも、山歩人さんの写真は、ご自分をしっかり楽しんでおられる証しでもありますので、
このダブルイメージがそれを台無しにしてしまはないかと・・この記事をUPしてから気付きまして正直心配しておりました。
私の一方的な思いが、人を傷つけることはあってはならないのですが、思慮の足りない自分にあとで気付く愚かさです。
でも、山歩人さんの心を傷つけなくてよかったです。
そして同じ驚きでこの画像を観ていただけると分かって、本当に嬉しいです。
私は、この神秘は何かということにとても引かれます。いったいなぜこんなことになるのでしょうか。
って、
山歩人さんに対して、私は心歩人でございますので、ついめんどくさいことを考えてしまいま^す^
記事紹介して頂きまして、ありがとうございます。美しい山の風景をこれからも楽しませて下さい。
ご転記 させていただきます。
おはようございます。
今日のブログは霧の中、滝見橋から望遠で撮った写真かなと思いました。
多重描写ですか、アート作家?さんはいろんな事を考えるんですね。
会社で開発業務をしてた頃と同じような思考だなと思いました。
今後の写真撮影時思考に取り入れるとなんか面白い写真が撮れそうですね。
参考になりました、ありがとうございました。
『十二国記』をご存じでしたか。
ではそれ関連の雑談を(笑)。
作者さんが続きを書かなくなって久しいシリーズですが、私はしつこく待ってます。
半分、あきらめてもいますけど……。
うーん、でも作者さんの中で構想が破綻したカモ……という印象は一読者として感じなくもないです。
彼女はミステリから小説書きを始めた人のようですから、細部まできちんと作り込むタイプの作家さんかなぁ、と。
でも『十二国記』、天帝が造り上げたとされる独特の生態系を持つこの世界、作り込めば作り込むほど矛盾が出て来るような。
それを含めてこのお話の面白さでしょうが、果たして天帝、一体何がしーたいねん 、何の為にこんなしちメンドくさい世界をわざわざ作ってん、という部分が、作者の中で消化しきれなくなったのかなあ、とも。
知らんけど(笑)。
とにかく、多くの謎をほったらかしにされているので、読者としては気になります。
解決して~、小野不由実先生。
『十二国記』。
最初は多分、現実の裏返しを書くことで現実の鬱陶しい部分をあぶり出すのが目的、でも裏返したって即幸せ、即パラダイスじゃないし〰️って感じの作家さんのシニカルな視点がテーマかな、と私は感じていました。
ひとつの寓話。
でもこの歪な(蓬莱…現実世界の人間から見れば歪な世界です)生態系で生かされる人々や妖魔、動植物の命を支えるのが、シンドクなった?と。
一読者としては、天帝方面の思惑は別にいいから、泰麒や泰王、陽子、行方不明らしい巧の麒麟の話の続き…なんかを知りたいですけど。
作者の中で世界観に納得した感触がないと、納得したお話にならないのでしょうねぇ。
お二人の合作の水滴の中に、龍と童子が見えます。心の中の5次元が魅せたか?と思う次第です。
瀧と龍って三水しか違わないからか?とか感動しております。神さぶる滝だからこそとも思います。
お友達も写真をされるようです^ね^
まだまだ写真には可能性があるのかもしれませんね。
私は専門でありませんので、アートとして写真に触れている程度の浅い知識ですから、このダブルイメージをどう発展させるかの技術はありません。
もちろんアートとして活用することは私の専門ですけれど、
写真の専門の方の技術発展に役立ったら何よりで^す^
続編が出なくなって久しく、いつの間にか忘れていました。どんな場面で途切れているのか・・・ちょっと思い出しません。
でも何日か前、新聞で小野不由実の新刊が紹介されているのを見て、
「新しい本書いてるみたい」って話になって、むっちゃんの分析のような話をしていたところです^よ^
みな小野不由実フアンなんですけどね。
自分で創り上げた世界というのは、いい加減のようで、案外、感性を健全に保ちながら進まないとうまく行かないようで、
これだと思った意識が一度途切れると、つなぎ合わせるのが難しい。
そんな体験はありますね。
むっちゃんが言っていることと、きっとおなじでしょうね。
びびーんと、閃きの訪れるのを気長に待ってもらいたいです。あれだけの物語ですから、必ずやってきますよ、いつか。
でもその時は、一から読まないと頭真っ白になっているかも知れないんだけど。
一切作為のない画面に、これまた見る人の意識の中で様々なものを見出すのです。
なぜなのでしょうね。
これという決まったものがない風景を見せられると、安心してみていられるものがどこにもない。
だから各々が持っている既成概念でその風景を見るのでしょうね。
よく分かりませんが、古歌の世界にどこか通じるものはありませんでしょうか。
この現象をどう理解したらいいのか、自閑さんの眼から見た感想を頂けたらとても参考になると思います。
何か感じるものがありましたら、是非教えてくださいませ。
澤の写真や倒木の写真でも、いくつも仏のような、悪魔のようなものが見えてくる。これは自分の深層心理が見せている風景なのでしょうかね?
自閑さんにはどんなものが見えてます?