心象スケッチ
{春の修羅 序 冒頭}
わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)
究極の数式
{超ひも理論より}
わたくしという現象は
宇宙に集められた素粒子の
一つの青い銀河です
(あらゆる透明なひもエネルギーの複合体)
あなたと共にこの風景の中で
息づくリズムの明滅を繰り返し
確かな今を照らし続ける
宇宙に満ちたひもエネルギーの
一つの共鳴する波動です
(光はたもち、その共鳴が失われても)
ナウイズム
{五次元宇宙から}
わたくしという現象は
固定されたスケールが見せてくれる
一つのいのちの現れです
(あらゆる大きさのいのちの融合体)
風景や人の固定されたスケールの視野から
忙しく様々に明滅しながら
すべての大きさの一因としてつなぐいのちの
神の胎内にある神として
わたくしは一人の現象です
(その空間はたもたれ 現象は変化しても)
コメントより
{むっちゃんさん}
わたくしという現象は
仮定された全方向の力の
ひとつのゆるやかな形です
(あらゆる方向へ伸びる様々な波長の複合体)
ああ しかしわたくしという現象は
すぐ腹が減り、疲れ、眠くなるのであります
哲学よりも飯のことを考え
芸術よりも惰眠の力にひしがれる……
コメントより
{まかこさん}
摩訶不思議宇宙
奇跡のビッグバンより
宇宙同根多種多様万物一体の
わたくしという
極極小豆電球の中にも
仮定された有機(勇気)交流電灯の電気が
流れています
あらゆる透明な幽霊の複合体として
この大宇宙の風景やみんなといっしょに
せわしくせわしく明滅しながら
常に今!この瞬間も
いかにもたしかにともりつづけています☆
コメントに触発されて
{のしてんてん}
わたくしという現象は
仮定された社会の中で揺れながら灯る
ひとつの頼りないローソクです
(あらゆる宇宙の複合体でありながら)
眼に見えるものと人の間で
せはしくこわごわと揺れながら消えもせず
その稚拙を受け入れてともりつづける
永遠の因果を信頼して
生きるひとつのオレンジの炎です
(ひかりを宇宙に返して 火芯の役目を終えるまで)
飛び抜けて散文的な現象の、むっちゃんでございます(笑)。
詩歌は簡単でむつかしい。むつかしいようで簡単。簡単と侮ると……。
散文ばっかり書いていますと、詩歌のストレートさに絶句。
だけど私はやっぱり散文が好き。メシや惰眠を書いて、人間のカッコ悪いところをあきれつつ、愛でたい。
ホントの詩人なら、散文的内容をきちんと詩歌で表現出来るのでしょうが。
私は詩人ではなさそう。
そんなことを脈絡もなく思います(笑)。
假定された素粒子が対称性を保ちながら、
波動が重なり合い、物質と重力を産み出しながら
X軸とY軸とZ軸座標の交差点を行ったり来たりして、時間軸を進んで行くイオン燈のカケラです。
(そしてもうじきそのベクトルは、方向性を失いカオスにもどる。)
光子が通過した場所と通りもしない闇を抱えながら、混沌とした夜を、無から生み出されるビールの泡の数を数えながら、脳波は停止した。
踏み切りの警報器の音が、起きなくてもいいんだよと催眠する。
DNAとRNAがコラボしている間に、朝日が今日を告げている。
上記コメントお二方、詩は苦手…とおっしゃていますが…「お二方含め皆様の言葉が”何か心に動きをもたらす…詩的表現”に素人には見えます。」
凡人からすれば、皆様みんな”真似出来ないチカラの波”に見える…そう感じる人もいたり笑
こういう詩(私見)が書けるような域につくのは…もっと修業が必要なのかもしれない、まだまだ背中を追うばかり汗!
たとえば
夕日
夕日にむかってかえってくる
川からのてりかえしで
空のはてからはてまで もえている
みちばたのくさも ちりちりもえ
ぼくたちのきものにも 夕日がとびうつりそうだ
いっちんち いねはこびで
こしまで ぐなんぐなんつかれた
それでも 夕日にむかって歩いていると
からだの中まで夕日がしみこんできて
なんとなく こそばっこい
どこまでも歩いていきたいようだ
遠い夕日の中に うちがあるようだ
たのしいたのしいうちへ かえっていくようだ
あの夕日の中へかえっていくようだ
いっちんち よくはたらいたなあ
これなど、散文的と言えば散文ですが、「自分の言葉」をつくっているという点で詩なのでしょうね。もちろんリズムもそうですが。
詩歌のストレートさというのは、つまり「自分の言葉」というのかなぁと思っております。
まさに宇宙の、超ひも理論、素粒子の相対性風景が目に見えるようです^ね^
「光子が通過した場所と通りもしない闇を抱えながら、混沌とした夜を、無から生み出されるビールの泡の数を数えながら、脳波は停止した。」
特にここ大好きです。
わたくしという現象連歌をありがとうございます。
さっそくこの一節を加えさせていただきます^ね^¥
ここに集まってこられる方に、プロ意識でふんどりかえる人などおりませんし、人生を素人のように、毎日を新鮮に生きようとされている方々と、私などは思っております^よ^
よい悪いを考える前に、自分を投げ出すだけでいいのだとおもいます^ね^
修行の目的は、自分をつくるということではなく、投げ出すという思いで、どうです?
思いきりへたくそな自分をさらけ出すと考えて見られ^て^は^
それが案外楽しいのです^よ^