のしてんてんハッピーアート

複雑な心模様も
静かに安らいで眺めてみれば
シンプルなエネルギーの流れだと分かる

わたくしという現象 (連歌)

2017-02-16 | ナウイズム(実在主義)

心象スケッチ

{春の修羅 序 冒頭}

 

わたくしといふ現象は

仮定された有機交流電燈の

ひとつの青い照明です

(あらゆる透明な幽霊の複合体)

風景やみんなといつしよに

せはしくせはしく明滅しながら

いかにもたしかにともりつづける

因果交流電燈の

ひとつの青い照明です

(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

 

 

究極の数式

{超ひも理論より}

 

わたくしという現象は

宇宙に集められた素粒子の

一つの青い銀河です

(あらゆる透明なひもエネルギーの複合体)

あなたと共にこの風景の中で

息づくリズムの明滅を繰り返し

確かな今を照らし続ける

宇宙に満ちたひもエネルギーの

一つの共鳴する波動です

(光はたもち、その共鳴が失われても)

 

 

ナウイズム

{五次元宇宙から}

 

わたくしという現象は

固定されたスケールが見せてくれる

一つのいのちの現れです

(あらゆる大きさのいのちの融合体)

風景や人の固定されたスケールの視野から

忙しく様々に明滅しながら

すべての大きさの一因としてつなぐいのちの

神の胎内にある神として

わたくしは一人の現象です

(その空間はたもたれ 現象は変化しても)

 

 

 コメントより

{むっちゃんさん}


わたくしという現象は

仮定された全方向の力の

ひとつのゆるやかな形です

(あらゆる方向へ伸びる様々な波長の複合体)

ああ しかしわたくしという現象は

すぐ腹が減り、疲れ、眠くなるのであります

哲学よりも飯のことを考え

芸術よりも惰眠の力にひしがれる……



コメントより

{まかこさん}

 

摩訶不思議宇宙

奇跡のビッグバンより

宇宙同根多種多様万物一体の

わたくしという

極極小豆電球の中にも

仮定された有機(勇気)交流電灯の電気が

流れています

あらゆる透明な幽霊の複合体として

この大宇宙の風景やみんなといっしょに

せわしくせわしく明滅しながら

常に今!この瞬間も

いかにもたしかにともりつづけています☆



コメントに触発されて

{のしてんてん}

 

わたくしという現象は

仮定された社会の中で揺れながら灯る

ひとつの頼りないローソクです

(あらゆる宇宙の複合体でありながら)

眼に見えるものと人の間で

せはしくこわごわと揺れながら消えもせず

その稚拙を受け入れてともりつづける

永遠の因果を信頼して

生きるひとつのオレンジの炎です

(ひかりを宇宙に返して 火芯の役目を終えるまで)





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6 コメント

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わたくしという現象… (むっちゃん)
2017-02-16 12:58:25
どーも。
飛び抜けて散文的な現象の、むっちゃんでございます(笑)。

詩歌は簡単でむつかしい。むつかしいようで簡単。簡単と侮ると……。

散文ばっかり書いていますと、詩歌のストレートさに絶句。

だけど私はやっぱり散文が好き。メシや惰眠を書いて、人間のカッコ悪いところをあきれつつ、愛でたい。

ホントの詩人なら、散文的内容をきちんと詩歌で表現出来るのでしょうが。
私は詩人ではなさそう。

そんなことを脈絡もなく思います(笑)。
返信する
では私も。詩は苦手ですが。 (自閑)
2017-02-16 20:33:53
わたくしといふ現象は、
假定された素粒子が対称性を保ちながら、
波動が重なり合い、物質と重力を産み出しながら
X軸とY軸とZ軸座標の交差点を行ったり来たりして、時間軸を進んで行くイオン燈のカケラです。
(そしてもうじきそのベクトルは、方向性を失いカオスにもどる。)
光子が通過した場所と通りもしない闇を抱えながら、混沌とした夜を、無から生み出されるビールの泡の数を数えながら、脳波は停止した。
踏み切りの警報器の音が、起きなくてもいいんだよと催眠する。
DNAとRNAがコラボしている間に、朝日が今日を告げている。
返信する
とある凡人が迷い込む。 (人生の素人)
2017-02-16 21:11:46
 プロの皆様の思い思いの芸術的な言葉を観覧している素人です。

 上記コメントお二方、詩は苦手…とおっしゃていますが…「お二方含め皆様の言葉が”何か心に動きをもたらす…詩的表現”に素人には見えます。」

 凡人からすれば、皆様みんな”真似出来ないチカラの波”に見える…そう感じる人もいたり笑

 こういう詩(私見)が書けるような域につくのは…もっと修業が必要なのかもしれない、まだまだ背中を追うばかり汗!
返信する
散文と詩 (のしてんてん)
2017-02-17 08:11:34
詩といえば、私が真っ先に思い浮かぶのが大関松三郎です。
たとえば

夕日

夕日にむかってかえってくる
川からのてりかえしで
空のはてからはてまで もえている
みちばたのくさも ちりちりもえ
ぼくたちのきものにも 夕日がとびうつりそうだ
いっちんち いねはこびで
こしまで ぐなんぐなんつかれた
それでも 夕日にむかって歩いていると
からだの中まで夕日がしみこんできて
なんとなく こそばっこい
どこまでも歩いていきたいようだ
遠い夕日の中に うちがあるようだ
たのしいたのしいうちへ かえっていくようだ
あの夕日の中へかえっていくようだ
いっちんち よくはたらいたなあ

これなど、散文的と言えば散文ですが、「自分の言葉」をつくっているという点で詩なのでしょうね。もちろんリズムもそうですが。

詩歌のストレートさというのは、つまり「自分の言葉」というのかなぁと思っております。
返信する
おはようございます自閑様 (のしてんてん)
2017-02-17 08:18:18
素晴らしい一節をありがとうございます。

まさに宇宙の、超ひも理論、素粒子の相対性風景が目に見えるようです^ね^

「光子が通過した場所と通りもしない闇を抱えながら、混沌とした夜を、無から生み出されるビールの泡の数を数えながら、脳波は停止した。」

特にここ大好きです。

わたくしという現象連歌をありがとうございます。

さっそくこの一節を加えさせていただきます^ね^¥

返信する
おはようございます折師^さ^ん^ (のしてんてん)
2017-02-17 08:39:39
いらっしゃいませ、折師さん。

ここに集まってこられる方に、プロ意識でふんどりかえる人などおりませんし、人生を素人のように、毎日を新鮮に生きようとされている方々と、私などは思っております^よ^

よい悪いを考える前に、自分を投げ出すだけでいいのだとおもいます^ね^

修行の目的は、自分をつくるということではなく、投げ出すという思いで、どうです?
思いきりへたくそな自分をさらけ出すと考えて見られ^て^は^

それが案外楽しいのです^よ^
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