赤い薔薇を描くと、そのとたんに私の表現は色と形で固定される。
けれども心の方は動いていて、その薔薇ではやがてそぐわなくなる。
表現が写真のように上手で具体的なものであるほど
自由に動く心をその表現の中に閉じ込めてしまうことになるのです。
私は絵画に固定された心を描くのではなく、
まさにこの瞬間を自由に動く心をそのまま描きたい。
それがこの絵画論の根幹なのです。
では、生きて動いている心をその . . . 本文を読む
人の心の中は見えない
そして私の心をそのまま見せることも出来ない。
絵画はその間にあって心と心の中継ぎをする。
だからこれまでの絵画論は、いかに我が心を伝え、
いかに作者の心をつかむのかということに終始していた。
作者の意図が100%伝わる作品が理想だろうか?
私はそうは思わない。
私の理想は、絵を通して双方が生きることなのだ。
作者は描くということで生き、自分の生命と出会う。
そして鑑 . . . 本文を読む
私の個展があとひと月となりました。
そこで私の絵画論なるものを
思いつくままに連載してみたいと思います。
私の絵画論の根っこにあるものは
生きるための絵画ということであって、
芸術のための芸術、絵画のための絵画という考えとは正反対の所にあることを
まず最初に申し上げておきたいと思います。
若い頃友人達と夜を明かして絵画論を戦わせたこともありましたが、
今思えばそれは
人に贈り物をする際に入れ . . . 本文を読む