徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

昭和6年(1931)という年・・・

2011-05-14 21:47:28 | 熊本
 昨日ブログにブリヂストンの創業80年のことを書きながら、その創業の年、昭和6年(1931)は熊本にとっても大変な年だったことを思い出した。と言っても僕が生まれる15年も前の話なのだが。この年の11月、熊本では陸軍特別大演習が行なわれた。当時の時代背景を考えると、おそらく昭和35年の最初の熊本国体を凌ぐビッグイベントだったに違いない。軍関係者だけではなく、日本全国からいろんな人々がやってくるというので、大演習景気を当て込んで、千徳や銀丁などのデパートができたと言われているくらいだ。この大演習の際に行なわれた天皇陛下の奉迎式典に、奉唱部隊の一員として参加した、当時、高瀬高女3年の海達公子は、下記のような作文を書き残している。この翌年には満州事変が勃発しており、軍靴の音高くなる暗い時代の始まりでもあったわけだ。


国鉄熊本駅から大本営(偕行社、現在のNHK熊本放送局)に向かう天皇車


み姿を拝みまつりて
            三ノ三 海達公子
 前へ進めの旗は振り卸されました。私達は愈々陛下の御前まで行くのです。何万といふ女学生や処女会員から成る奉唱部隊が、玉座を中心として三方から進んで行くのです。止れの信号旗が振られる迄はただ無念無想でありました。
 緑濃き金峰山と、深く深く何処までも澄み渡つた秋の大空を背景に、純白の玉座に立たせ給ふ陛下の御姿をただただなつかしいやうな有難いやうな気持でじつと打仰いで最敬礼を致しました。静かに頭を上げると此の天地の間には何一つ音もなく神々しさが日の光と一緒に充ち溢れてゐました。軍楽隊が、「あゝこゝに」の奉唱歌を奏し初めました。私達も奏楽に合せ緊張して奉唱致します。一所懸命です。唯頭に刻みこまれたのは、陛下の御姿が静かにましまして何とも申上げられない程神々しかつたこと、歌の響が殷々として大空をわたつたことでありました。鳴呼我等生けるかひありと歌ひ上げた時には思はず眼がしらが熱くなつて涙が頬を伝ひました。歌ひ終つても暫くの間は、万感胸に満ちて、感激にをののいてゐました。あれだけの群集であるのにしはぶき一つ聞えません。陛下にはまた挙手の御答礼を遊ばされます。(以下略)
※「評伝 海達公子」規工川佑輔著(熊日出版)より

■御親閲奉迎歌
♪あゝこゝに すめらみことのみくるまを 迎へまつれり
 みくるまを迎へまつれりみ光に 阿蘇の高嶺も
 有明の海もかがよふ

♪あゝ今し すめらみことの御姿を 拝みまつる御姿を
 拝みやつるみ惠の いかなる幸か かしこさに涙こぼるる

♪をゝわれら 生けるかひありおほけなき 今日のほまれを
 おほけなき今のほまれを萬世に語りつぎつゝ
 ことほかむひとつ心に


昭和7年、満州事変により、司令部が置かれていた熊本城の頬当御門から出動する第六師団。