夏目漱石は熊本を去った後、ロンドンへ留学する。その留学中の明治35年(1902)に初めて体験した自転車について、後に「自転車日記」というエッセイを書いている。下宿の婆さんから、なかば強制的に自転車を練習させられ悪戦苦闘するが、後には結構遠出もできるようになったらしい。しかし、漱石は帰国後、いっさい自転車には乗らなかったという。
当時のヨーロッパでは自転車が大流行していた。日本でも明治のなかばには国産車も作られ、輸入も行なわれていたが、まだまだ自転車は一般庶民には手の届かない富裕層の遊び道具でしかなかった。そこで自転車の時間貸しという商売が生まれ、借料は高価だったにもかかわらず大流行した。明治40年代に入り、こんなハイカラ風俗を皮肉って演歌師・神長瞭月(かみながりようげつ)がバイオリン演歌「ハイカラ節」として歌ったところこれが大ヒット。熊本にも伝わり、お座敷唄の「熊本自転車節」となった。
◆ハイカラ節
※歌詞はこれ以外にも数多く存在する。
◆熊本自転車節
当時のヨーロッパでは自転車が大流行していた。日本でも明治のなかばには国産車も作られ、輸入も行なわれていたが、まだまだ自転車は一般庶民には手の届かない富裕層の遊び道具でしかなかった。そこで自転車の時間貸しという商売が生まれ、借料は高価だったにもかかわらず大流行した。明治40年代に入り、こんなハイカラ風俗を皮肉って演歌師・神長瞭月(かみながりようげつ)がバイオリン演歌「ハイカラ節」として歌ったところこれが大ヒット。熊本にも伝わり、お座敷唄の「熊本自転車節」となった。
◆ハイカラ節
♪ゴールド眼鏡のハイカラは
都の西の目白台 女子大学の女学生
片手にバイロン ゲーテの詩 口には唱える自然主義
早稲田の稲穂がサーラサラ 魔風恋風そよそよと
♪チチリンリンと出てくるは 自転車乗りの時間借り
曲乗り上手と生意気に 両手放した洒落男
あっちへ行っちゃあぶないよ こっちへ行っちゃあぶないよ
あああぶないと言ってる間に ソレ落っこちた
都の西の目白台 女子大学の女学生
片手にバイロン ゲーテの詩 口には唱える自然主義
早稲田の稲穂がサーラサラ 魔風恋風そよそよと
♪チチリンリンと出てくるは 自転車乗りの時間借り
曲乗り上手と生意気に 両手放した洒落男
あっちへ行っちゃあぶないよ こっちへ行っちゃあぶないよ
あああぶないと言ってる間に ソレ落っこちた
※歌詞はこれ以外にも数多く存在する。
◆熊本自転車節
♪逢いたかばってん逢われんたい たった一目でよかばってん
あの山一丁越すとしゃが 彦しゃんのおらす村ばってん
今朝も今朝とて田のくろで 好かん男に口説かれて
ほんに彦しゃんのおらすなら こぎゃん腹も立つみゃあばってん
千代八千代 どうしたもんじゃろかい
♪チリリンチリリンと出て来るは 自転車乗りの時間借り
曲乗り上手と生意気に 両の手離した洒落男
あっち行っちゃ危ないよ こっち行っちゃ危ないよ
危ないよと言ってる間に そらずっこけた
千代八千代 どうしたもんじゃろかい
あの山一丁越すとしゃが 彦しゃんのおらす村ばってん
今朝も今朝とて田のくろで 好かん男に口説かれて
ほんに彦しゃんのおらすなら こぎゃん腹も立つみゃあばってん
千代八千代 どうしたもんじゃろかい
♪チリリンチリリンと出て来るは 自転車乗りの時間借り
曲乗り上手と生意気に 両の手離した洒落男
あっち行っちゃ危ないよ こっち行っちゃ危ないよ
危ないよと言ってる間に そらずっこけた
千代八千代 どうしたもんじゃろかい