徒然なか話

誰も聞いてくれないおやじのしょうもない話

京の四季

2019-04-05 23:06:23 | 音楽芸能
 熊日新聞に連載中の「漱石氏と私」(高浜虚子)はいよいよ最終章、明治40年の春、京都で漱石と一緒に過ごした祇園の夜などを回想している。この時、漱石は、第三高等学校の校長を務めていた狩野亨吉宅に逗留し、職業作家としての初めての作品「虞美人草」を執筆中だったようだ。ちょうどこの頃、漱石を第五高等学校に招いた菅虎雄も狩野宅に逗留していたが、狩野は漱石が五高へ招いた人でもあり、五高ゆかりの人が揃っていたわけだ。虚子は漱石を誘って、都踊りを見に行ったり、祇園の茶屋「一力」で舞妓たちと雑魚寝の一夜を過したりしている。虚子の短編「風流懺法(ふうりゅうせんぽう)」には、同じ舞妓が登場したりするので、合せて読むと面白い。「風流懺法」には舞妓たちが「京の四季」や石橋ものなどを踊る様子が描かれている。

▼京の四季
(竹中邦彦さん撮影)