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ところで、出雲大社の巫女出身であるという「出雲のお国」の呼び名が一般に定着したのは、なんと明治時代になってからのようで、また、「出雲のお国」というのは舞台での名乗りにすぎず、彼女の出自が本当にそうであったかどうか疑わしいとする説もある。お国が諸国に下った時はその場所に応じて異なる肩書を名乗っていたとする研究者もいる。江戸城での勧進かぶきから3年後、加藤清正に招かれ肥後熊本へやって来た「八幡の国」の名乗りも腑に落ちる。
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昭和時代に活躍した日本画家・森田曠平(もりたこうへい)の作品「出雲阿国(いずものおくに)」の一部
江戸時代初期、京の都を騒がせていた「傾奇者(かぶきもの)」に扮した男装のお国が史料に基づく風体で描かれている。お国のファッションは今日的な目で見ても洒落ていて、黒塗笠には蒔絵が施され、濃紫の羽織に金襴の襟が映える。紫の帯には小刀を差し、身の丈ほどもある大刀は無造作に肩に担ぎ、腰にぶら下げた瓢箪と印籠にも蒔絵が施されているようだ。そして首から下げた水晶のコンタス(ロザリオ)がいかにも時代の先端を走る「傾き者」の伊達心を表している。森田の美人画の特徴は何と言っても女性の目の鋭さ。
阿国歌舞伎は大別すると「ややこ踊り」「茶屋遊び」「念仏踊り」の三つが主要な演目だといわれているが、一部の題名や詞章が伝えられているだけで、音楽や舞踊についてはほとんどわかっていない。「ややこ踊り」は初期の演目で若い女性による舞踊。狂言小舞などの中世芸能をもとにしたとみられ、「小原木踊」や「因幡踊」などを演じていたらしい。「念仏踊り」も初期の頃からやっていた演目で、首から提げた鉦を叩きながら念仏を唱え踊る。もともとは仏教の行を芸能化したもの。「かぶき踊り」はまさにお国が今日の歌舞伎の祖たる所以となった芸能。お国が男装して「傾奇者」に扮し、茶屋に遊びに行くという寸劇。それを迎える「茶屋のおかか」は男性が演じ、性が倒錯した不思議な世界が展開するというもの。
阿国歌舞伎の「念仏踊り」を創作舞踊「阿国歌舞伎夢華」の中で長唄舞踊化