昨日は所用で西区の親戚を訪ねた。その帰り道、北岡自然公園(妙解寺跡)の前を通ったので、久しぶりに公園に立ち寄ってみた。以前入園したのは熊本地震の前だから8年ぶりくらいか。閉館まで1時間くらいしかなかったので、とりあえず細川忠利公御廟だけでもお参りしようと御廟所へ向かった。80段ほどの石段を登るのは今の体力にはちょっときつかった。
お参りをしながら、立田山にあるわが家の墓のことを思い出した。40年ほど前、父が墓を改葬したが、それまでは古い苔むした墓が二つ立っていた。その一つには「島原の乱で戦死した第十五代の孫」と刻まれていた。細川家に仕えていたことはわかっているので、「島原の乱」ということは、わが第十五代は細川忠利公(細川忠興、ガラシャの三男)に仕えていたということなのか。祖父が亡くなった時、父が幼かったため家督を親戚筋に譲ったこともあって、わが家には記録が何も残っていない。僕が生きているうちになんとかファミリーヒストリーを明らかにしたいと思っているのだが・・・
※右は細川忠利公像
細川家御廟所
お参りをしながら、立田山にあるわが家の墓のことを思い出した。40年ほど前、父が墓を改葬したが、それまでは古い苔むした墓が二つ立っていた。その一つには「島原の乱で戦死した第十五代の孫」と刻まれていた。細川家に仕えていたことはわかっているので、「島原の乱」ということは、わが第十五代は細川忠利公(細川忠興、ガラシャの三男)に仕えていたということなのか。祖父が亡くなった時、父が幼かったため家督を親戚筋に譲ったこともあって、わが家には記録が何も残っていない。僕が生きているうちになんとかファミリーヒストリーを明らかにしたいと思っているのだが・・・
※右は細川忠利公像
細川家御廟所
体調をくずしてから、一日一日が勝負。そんな思いで暮らしています。あなたさまのルーツ。さぞご立派でしょう。私はおふくろが健在なうちに我が家の家系をことこまかく尋ねたことがありました。
あらあら、FUSAさんでもそんなことになるんですか?反対に足の筋力徐々に落ちていく私はほっとしますね(笑)。
>第十五代は細川忠利公(細川忠興、ガラシャの三男)に仕えていたということなのか。
そうでしたか!
>僕が生きているうちになんとかファミリーヒストリーを明らかにしたいと思っているのだが・・・
私の父も、今調べたら60代の時に父の祖先の歴史の「秋月記」、養子先の母の祖先「長田記」をそれぞれ製本し両家の兄弟と自分の子供に残していますね。私も簡単なものでも作っておきたいなと常々思っていたところでした(汗)。
有難うございました。
季節の変わり目でもありますのでどうかおからだをおいといください。
わが家のルーツは父もだいぶ調べたようですが手がかりになるものが見つからなかったようです。曽祖父が維新前後に養子として入って新たに家を興しているようですのでそれもわからなくなった理由の一つかなと思っています。
散歩をしてもできるだけ上り坂を避けている自分に気付くことがありますが、その報いがこの石段で如実に表れました(笑)
貴兄のお父様などもファミリーヒストリーを残しておられるのですね。尊敬します。