今日4月15日は藤崎八旛宮の「藤祭」。藤は藤崎宮の名前の由来ともなった大変重要な植物。藤崎宮のサイトには次のような説明がある。
藤崎八旛宮は、承平5年(935)に朱雀天皇が平将門の乱平定を祈願され、山城国(京都)石清水八幡大神を国家鎮護の神として、茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのに始まる。鎮座の日、勧請の勅使が藤の鞭を3つに折って、3ヶ所に埋めたところ、この地に挿した鞭から、やがて芽が出て枝葉が繁茂したので、藤崎宮の名称が起こったと伝えられている。(藤崎八旛宮 社記による)
ただ、これには異説があり、郷土史研究家の鈴木喬さんの説によれば、京町台地の下を流れる井芹川の淵(深み、淀み)に、先の尖った岬(崎)が突き出た場所という意味から「ふちさき」という地名が先にあり、それが語源だという。このように地形に由来する古語が、のちに同音の言葉に掛けて生まれた創作の可能性が高い例はしばしば見られるというが、そうした諸説を含めて歴史だと思う。

神職の入場

拝殿での巫女舞奉納

境内の藤棚もそろそろ見ごろ

能楽殿での仕舞奉納(喜多流能楽師:狩野了一さん)
藤崎八旛宮は、承平5年(935)に朱雀天皇が平将門の乱平定を祈願され、山城国(京都)石清水八幡大神を国家鎮護の神として、茶臼山(今の藤崎台球場)に勧請されたのに始まる。鎮座の日、勧請の勅使が藤の鞭を3つに折って、3ヶ所に埋めたところ、この地に挿した鞭から、やがて芽が出て枝葉が繁茂したので、藤崎宮の名称が起こったと伝えられている。(藤崎八旛宮 社記による)
ただ、これには異説があり、郷土史研究家の鈴木喬さんの説によれば、京町台地の下を流れる井芹川の淵(深み、淀み)に、先の尖った岬(崎)が突き出た場所という意味から「ふちさき」という地名が先にあり、それが語源だという。このように地形に由来する古語が、のちに同音の言葉に掛けて生まれた創作の可能性が高い例はしばしば見られるというが、そうした諸説を含めて歴史だと思う。

神職の入場

拝殿での巫女舞奉納

境内の藤棚もそろそろ見ごろ

能楽殿での仕舞奉納(喜多流能楽師:狩野了一さん)
宮司さんの垂纓冠を見るとピシッと決まった感じがしますね。
お祖父様は宮司さんでしたか!
熊本は加藤清正の影響からか日蓮宗が多いです。わが家は浄土真宗ですが、知人は日蓮宗の方が多いですよ。
石清水八幡宮は一度行ってみたいと思っています。藤崎宮や清正のことを調べていますと石清水八幡宮とのかかわりがよく出て来るんです。
社名の由来などは伝説として尊重しなければいけないと思います。一方では民俗学的な研究対象として「実は」という話も知っていて損はないと思います。
伯父様はアイヌ語地名研究をされているんですか!ヘェ~ッ!
地名を調べていると元はアイヌ語から来たものという解説をよく目にします。
古代まで遡って調べていくと神話の領域に入りますのでどこからが史実なのかよくわからないんですよね(^^♪
藤棚のある神社はよく見かけますので、もともと藤には何か宗教的な意味があったのかもしれませんね。
大相撲も本場所に出向くと厳かさも感じるらしいですが、テレビで観る行事さんから写真のような印象はないです(汗)
実は父方の祖父(私は亡くなって生まれていますが)京都で宮司をしていたので、感じるものがあります。
父方の葬儀は神式が多いです。
父は婿養子ですから、我が家は日蓮宗です。
石清水八幡宮は一度しか参ったこはないですが、山の上にあって趣きを感じました。
それが平将門の乱平定祈願と関係していると今初めて知りました。
>勅使が藤の鞭を3つに折って、3ヶ所に埋めたところ・・・
興味深いです。
>先の尖った岬(崎)が突き出た場所という意味から「ふちさき」という地名が先にあり
ひぇーっ、FUSAさん凄いです。
勉強がとことんお好きなんですね。
父の兄貴がアイヌ語地名研究で本を出しています。
全くの趣味なんですが、学者肌です。
巫女さんの舞もいいものですね。
そう言えば長い事見たことないです。
>境内の藤棚もそろそろ見ごろ
いいですね~。
そう言えば、海岸沿いの神社に藤棚がありました。
週明けの天気のいい日にカメラを持ってでかけるかな?(笑)
>能楽殿での仕舞奉納
これぞ日本の文化!私にはテレビでチラっと見るくらいしかありませんが。
有難うございました。