今日は新緑が見たくて、熊本城内の三の丸周辺を散歩した。砂薬師坂の上でひと休みして辺りを眺めていると、加藤清正の熊本城築城時、井芹川の舟運を利用して運んだ石や木材などの建築資材を、砂薬師坂下の引き込み水路から陸揚げし、坂を登って行く修羅道の様子が目に浮かんだ。重機などがなかった時代、大変だったろうなぁ、昔の人はエラいなぁとつくづく思う。

三の丸に登る砂薬師坂

かつて三の丸の下を井芹川(祓川)が流れていた。微妙な道のカーブは川の痕跡か。

砂薬師坂を登り、さらに二の丸・本丸へと続く修羅道が設けられたのだろう。

築城時にはこんな風景が繰り広げられたであろう。
【参考記事】
加藤清正公石曳きの段
下の「平針木遣り音頭」と「伊勢音頭」の2曲はいずれも、慶長15年(1610)の徳川家康による名古屋城の天下普請の際に唄われた木遣り唄がもとになっている。

三の丸に登る砂薬師坂

かつて三の丸の下を井芹川(祓川)が流れていた。微妙な道のカーブは川の痕跡か。

砂薬師坂を登り、さらに二の丸・本丸へと続く修羅道が設けられたのだろう。

築城時にはこんな風景が繰り広げられたであろう。
【参考記事】
加藤清正公石曳きの段
下の「平針木遣り音頭」と「伊勢音頭」の2曲はいずれも、慶長15年(1610)の徳川家康による名古屋城の天下普請の際に唄われた木遣り唄がもとになっている。