今朝、思いがけない宅急便が届いた。発送者は新潟県の柏崎観光協会とあった。そこでハッと思い出した。半月ほど前だったか、柏崎市の伝統芸能「綾子舞」についてネットで調べていて柏崎観光協会のサイトに入ったら、クイズに応募して当選したら柏崎銘菓が当たるというコーナーがあった。簡単なクイズだったので解答を送信した。それっきり忘れていたがまさか当選するとは。今までこの手の応募で当たったためしがない。これをきっかけに運が向いてくればいいのだが (^^♪
その送られてきたお菓子が写真の「綾子舞ものがたり」である。
10年ほど前、慶長15年(1610)春、加藤清正が阿国歌舞伎を招き、鹽屋町三丁目(現熊本市中央区新町2丁目)の武者溜りで歌舞伎を興行したことについて調べていく過程で「綾子舞」の存在を知り、YouTubeの映像を見たり、文献を調べたりしている。「綾子舞」は阿国歌舞伎の踊りの面影を色濃く残していて、芸能史の重要な資料として注目されているという。今回の出来事で現地で公演を見たいという気持がさらに強くなった。


▼綾子舞「常陸踊」
その送られてきたお菓子が写真の「綾子舞ものがたり」である。
10年ほど前、慶長15年(1610)春、加藤清正が阿国歌舞伎を招き、鹽屋町三丁目(現熊本市中央区新町2丁目)の武者溜りで歌舞伎を興行したことについて調べていく過程で「綾子舞」の存在を知り、YouTubeの映像を見たり、文献を調べたりしている。「綾子舞」は阿国歌舞伎の踊りの面影を色濃く残していて、芸能史の重要な資料として注目されているという。今回の出来事で現地で公演を見たいという気持がさらに強くなった。


▼綾子舞「常陸踊」
戦国武将、薩摩の島津家久が天正3年(1575)に薩摩から京に上った時の旅日記「家久君上京日記」の中に、帰路、温泉津(ゆのつ:島根県大田市)で、能でもなく神舞でもない不思議な踊りを演じる出雲衆のわらべと出会うくだりがあります。
この出雲衆の中に幼いお国がいたのではないかという研究者もいますが、まさにこの「綾子舞」のような踊りだったのではないかという気がします。
はっはっは、幸先いいですね。
もっといいことが起こりそうな気がします。
>「綾子舞」は阿国歌舞伎の踊りの面影を色濃く残していて、芸能史の重要な資料として注目されているという。
へ~っ、原型みたいなものなんでしょうかね。
YouTubeを拝見しましたが、歌もお囃子も?素朴で、こちらのブログで少女舞踊団ザ・わらべをいつも拝見しているので綾子舞のお嬢さんたちの表情からも、素人っぽさというか素朴さを感じます。
むしろ神社の巫女さんの舞に似ていないかな?なんて思いました。
それにしてもFUSAさんは、視野をどんどん広げていかれるんですね。
感心します。
有難うございました。