昨日は星川駅から横浜まで歩きました。
途中聴いたのは14世紀から15世紀初めにかけて
北イタリアのミラノで活躍したマッテオ・ダ・ペルージャの作品。
中部イタリアのペルージャ出身と思われる彼の生涯について多くはわからない。
CDの解説書によれば、彼についてはっきり分かっているのは、
1402年から1407年の間と、1414年から1416年までの間の2度にわたり、
ミラノの大聖堂カペルラの楽長を務めたという事実だけということである。
多数のシャンソンを残した彼がミラノで活躍した晩年は、
ちょうど教会大分裂(シスマ)という混乱の時期にあたっている。
今回聴いたCDはロンドン中世アンサンブルの演奏による。
そのマッテオ・ダ・ペルージャの作品を集めたCDの中から、
「私には救いが何ひとつ見つからない」をここではとりあげる。
ここで歌われる内容は、奥方を愛する男が、
別れなければならない苦しさ・悲しみを歌い、
救いのない自分を嘆くというものであり、
トルバドゥールやトルヴェールの歌う世界と似た部分はある。
3声によるこの作品は2人の歌う旋律が、
ある時はカノンのように追っかけあい絡み合う。
そして中世的な世俗的音楽の部分を見せながらも、
教会大分裂の時期特有のポリフォニック的な新しい部分も見せている。
途中聴いたのは14世紀から15世紀初めにかけて
北イタリアのミラノで活躍したマッテオ・ダ・ペルージャの作品。
中部イタリアのペルージャ出身と思われる彼の生涯について多くはわからない。
CDの解説書によれば、彼についてはっきり分かっているのは、
1402年から1407年の間と、1414年から1416年までの間の2度にわたり、
ミラノの大聖堂カペルラの楽長を務めたという事実だけということである。
多数のシャンソンを残した彼がミラノで活躍した晩年は、
ちょうど教会大分裂(シスマ)という混乱の時期にあたっている。
今回聴いたCDはロンドン中世アンサンブルの演奏による。
そのマッテオ・ダ・ペルージャの作品を集めたCDの中から、
「私には救いが何ひとつ見つからない」をここではとりあげる。
ここで歌われる内容は、奥方を愛する男が、
別れなければならない苦しさ・悲しみを歌い、
救いのない自分を嘆くというものであり、
トルバドゥールやトルヴェールの歌う世界と似た部分はある。
3声によるこの作品は2人の歌う旋律が、
ある時はカノンのように追っかけあい絡み合う。
そして中世的な世俗的音楽の部分を見せながらも、
教会大分裂の時期特有のポリフォニック的な新しい部分も見せている。