昨日は西谷駅から三枚町まで歩きました。
途中聴いたのは1230年頃に生まれたギロー・リキエの作品である。
ナルボンヌに生まれた最後のトルバドゥールといわれる人で、
カスティリャ王の宮廷で十年活躍したようだ。
「卑しく、罪深い、罪人と悔悟者(Humils forfaitz)」の
作曲された時期については詳しいことはわからない。
聴いたCDは、ミヒャエル・ボッシュ主宰、アンサンブル・ユニコーン、
マルコ・アンブロジーニ主宰、アンサンブル・オニ・ウィタルスの演奏による。
「卑しく、罪深い、罪人と悔悟者(Humils forfaitz)」は、
弦楽器の前奏に続いて歌われる旋律は神秘的である。
曲はタイトルにあるように宗教的な内容を伴ったものである。
高貴な女性への愛を歌うトルバドゥールの芸術は、
彼の活躍した時期には時代遅れになりつつあったようで、
その芸術の本質を理解するものがいないと嘆いていたようだ。
その彼の詩はやがて宗教的な内容のものへと移行したようで、
この作品もその一例ということになるのだろう。
歌は世につれ、トルバドゥールたちの音楽の行き着くところが、
このような結末であったというのであれば、寂しいものだ。
高貴な女性への愛が、神への愛に浄化されたということだろうか。
途中聴いたのは1230年頃に生まれたギロー・リキエの作品である。
ナルボンヌに生まれた最後のトルバドゥールといわれる人で、
カスティリャ王の宮廷で十年活躍したようだ。
「卑しく、罪深い、罪人と悔悟者(Humils forfaitz)」の
作曲された時期については詳しいことはわからない。
聴いたCDは、ミヒャエル・ボッシュ主宰、アンサンブル・ユニコーン、
マルコ・アンブロジーニ主宰、アンサンブル・オニ・ウィタルスの演奏による。
「卑しく、罪深い、罪人と悔悟者(Humils forfaitz)」は、
弦楽器の前奏に続いて歌われる旋律は神秘的である。
曲はタイトルにあるように宗教的な内容を伴ったものである。
高貴な女性への愛を歌うトルバドゥールの芸術は、
彼の活躍した時期には時代遅れになりつつあったようで、
その芸術の本質を理解するものがいないと嘆いていたようだ。
その彼の詩はやがて宗教的な内容のものへと移行したようで、
この作品もその一例ということになるのだろう。
歌は世につれ、トルバドゥールたちの音楽の行き着くところが、
このような結末であったというのであれば、寂しいものだ。
高貴な女性への愛が、神への愛に浄化されたということだろうか。