昨日は二俣川からいづみ野駅まで歩きました。
この時期歩いている中で見かける夕陽の中に浮かぶ富士山の
シルエットはなかなか美しいものである。
途中聴いた曲は交響曲第2番ニ長調作品36と、
交響曲第4番変ロ長調作品60である。
今回聴いたCDはクリュイタンス指揮、
ベルリン・フィルハーモニーの演奏による。
昔、高校時代には廉価盤のレコードで売っていたものであり、
4,7,8番は買っていたので、何度か聴いていたものである。
CDになると全集でさらに安く買えるようになった。
1957年から1960年にかけてステレオ録音されたものである。
今となっては録音や演奏は古めかしい感じもあるが、
略歴と曲目についての説明はあまりにも有名なため省略する。
交響曲第2番ニ長調作品36の第一楽章の序奏はベートーヴェンらしく
堂々とした音楽で弦楽器の波のうねるような音の間を、
浮かび上がっていく木管楽器の音が印象的だ。
主部の提示部で躍動的な主題が奏され、提示部の主題は繰り返される。
展開部で主題は大胆に変形されるが短く、あっさり再現部に入るが、
コーダに向けて主題はその後も展開され、堂々とした感じで終わる。
第ニ楽章のラルゲットは、弦楽器と木管楽器を中心に牧歌的な演奏が展開される。
前楽章とは対照的なこの曲の中には明るさだけでなく陰影もあって深い。
第三楽章のスケルツォは、いかにもベートーヴェンらしい。
荒々しい感じの主題は印象的であるが、対照的なトリオでも管楽器の活躍がいい。
ソナタ形式で書かれている第四楽章は、流れるような音楽の中、
浮かび上がっていく管楽器の奏者の奏でる音が印象的である。
ここでも提示部が繰り返され、短い展開部を経て、堂々としたコーダで終わる。
交響曲第4番変ロ長調作品60はこのクリュイタンス盤を高校時代に聴いていた。
友人は当時最新録音であったコリン・デイヴィス盤を私に聴かせてくれたが、
当時話題となっていたあの盤は、CDの時代になってあまり話題になっていない。
第一楽章の序奏は深遠な感じで始まり、主部に入る前のエネルギーを
蓄えるかのようなところから主部に入り、それが解き放たれる感じがいい。
交響曲第3番のあとの作品だからという訳でもないが、当時のヨーロッパが、
ナポレオンの支配に置かれて重圧に屈していたところから解き放たれるかのような
人々の願望を音楽にしたかのような人類の強い意志を感じさせる。
展開部を経て最後のコーダに至る白熱した演奏はいい。
第ニ楽章は、幸福な一時と悲劇を感じさせる音楽である。
最初の主題はまさに明るく、木管楽器が牧歌的なのどかさを感じさせる。
しかし、中間部にその明るさが打ち破られ、悲劇的な苦悩に満ちた音楽となる。
再び最初の明るく夢見る音楽とそれに不安を与える低弦の動きが示され、
その2つのものを基軸に音楽は展開され、最後は平和な感じで終わる。
第三楽章の主題は流れるようなしかしダイナミックな音楽である。
対照的なもうひとつの牧歌的な主題が交互に現れ、その構成力もいい。
低弦の動きを注目してみると面白く聴くことができる。
第四楽章の提示部は躍動的な主題が現れ、繰り返されるが、
ここではファゴットの速い旋律を奏でるソロに注目ということだろうなあ。
主題は展開部でさらに変形され、エネルギッシュな音楽になっていく。
困難に何度も向かっていく人類の強い意志を感じさせる音楽である。
こうやって当時の政治状況を踏まえて聴いてみると、
ベートーヴェンの交響曲は政治的なところがある感じがする。
この時期歩いている中で見かける夕陽の中に浮かぶ富士山の
シルエットはなかなか美しいものである。
途中聴いた曲は交響曲第2番ニ長調作品36と、
交響曲第4番変ロ長調作品60である。
今回聴いたCDはクリュイタンス指揮、
ベルリン・フィルハーモニーの演奏による。
昔、高校時代には廉価盤のレコードで売っていたものであり、
4,7,8番は買っていたので、何度か聴いていたものである。
CDになると全集でさらに安く買えるようになった。
1957年から1960年にかけてステレオ録音されたものである。
今となっては録音や演奏は古めかしい感じもあるが、
略歴と曲目についての説明はあまりにも有名なため省略する。
交響曲第2番ニ長調作品36の第一楽章の序奏はベートーヴェンらしく
堂々とした音楽で弦楽器の波のうねるような音の間を、
浮かび上がっていく木管楽器の音が印象的だ。
主部の提示部で躍動的な主題が奏され、提示部の主題は繰り返される。
展開部で主題は大胆に変形されるが短く、あっさり再現部に入るが、
コーダに向けて主題はその後も展開され、堂々とした感じで終わる。
第ニ楽章のラルゲットは、弦楽器と木管楽器を中心に牧歌的な演奏が展開される。
前楽章とは対照的なこの曲の中には明るさだけでなく陰影もあって深い。
第三楽章のスケルツォは、いかにもベートーヴェンらしい。
荒々しい感じの主題は印象的であるが、対照的なトリオでも管楽器の活躍がいい。
ソナタ形式で書かれている第四楽章は、流れるような音楽の中、
浮かび上がっていく管楽器の奏者の奏でる音が印象的である。
ここでも提示部が繰り返され、短い展開部を経て、堂々としたコーダで終わる。
交響曲第4番変ロ長調作品60はこのクリュイタンス盤を高校時代に聴いていた。
友人は当時最新録音であったコリン・デイヴィス盤を私に聴かせてくれたが、
当時話題となっていたあの盤は、CDの時代になってあまり話題になっていない。
第一楽章の序奏は深遠な感じで始まり、主部に入る前のエネルギーを
蓄えるかのようなところから主部に入り、それが解き放たれる感じがいい。
交響曲第3番のあとの作品だからという訳でもないが、当時のヨーロッパが、
ナポレオンの支配に置かれて重圧に屈していたところから解き放たれるかのような
人々の願望を音楽にしたかのような人類の強い意志を感じさせる。
展開部を経て最後のコーダに至る白熱した演奏はいい。
第ニ楽章は、幸福な一時と悲劇を感じさせる音楽である。
最初の主題はまさに明るく、木管楽器が牧歌的なのどかさを感じさせる。
しかし、中間部にその明るさが打ち破られ、悲劇的な苦悩に満ちた音楽となる。
再び最初の明るく夢見る音楽とそれに不安を与える低弦の動きが示され、
その2つのものを基軸に音楽は展開され、最後は平和な感じで終わる。
第三楽章の主題は流れるようなしかしダイナミックな音楽である。
対照的なもうひとつの牧歌的な主題が交互に現れ、その構成力もいい。
低弦の動きを注目してみると面白く聴くことができる。
第四楽章の提示部は躍動的な主題が現れ、繰り返されるが、
ここではファゴットの速い旋律を奏でるソロに注目ということだろうなあ。
主題は展開部でさらに変形され、エネルギッシュな音楽になっていく。
困難に何度も向かっていく人類の強い意志を感じさせる音楽である。
こうやって当時の政治状況を踏まえて聴いてみると、
ベートーヴェンの交響曲は政治的なところがある感じがする。