昨日は西谷から三枚町まで歩きました。
途中聴いたのは1170年頃に生まれたポンス・ドルタファの作品。
カタルニア出身のトルバドゥールである彼は、CDの解説によると
ルシヨン=セルダーニュ一帯のある領国オルタファの領主であった。
彼自身が残した叙情的な詩は2つくらいしか残されていないようで、
そのうち旋律がつけられているのは1曲しかない。
途中聴いたCDのグレゴリオ・パニァグァ指揮、
アトリウム・ムジケー古楽器・合奏団が演奏の中には、
「とんと分からなくなりました(Si ay perdut)」がおさめられている。
弦の寂しげな前奏に続き歌われる曲は、愛の歌というよりは、
人生に関するもので、自分が何をしていいのか、
どこから来てどこに行くのか、自分の立ち位置を失い、
呆然としている詩人の気持ちを歌った作品である。
確かに、こんなことを感じることもあるようなあと思う。
自分の思っていることのようには世の中は進まない。
その苛立ちを感じながらもじゃあどうしていいのか分からない。
解決策を探ろうと思っても出口が見えないこともあるんだよなあ。
途中聴いたのは1170年頃に生まれたポンス・ドルタファの作品。
カタルニア出身のトルバドゥールである彼は、CDの解説によると
ルシヨン=セルダーニュ一帯のある領国オルタファの領主であった。
彼自身が残した叙情的な詩は2つくらいしか残されていないようで、
そのうち旋律がつけられているのは1曲しかない。
途中聴いたCDのグレゴリオ・パニァグァ指揮、
アトリウム・ムジケー古楽器・合奏団が演奏の中には、
「とんと分からなくなりました(Si ay perdut)」がおさめられている。
弦の寂しげな前奏に続き歌われる曲は、愛の歌というよりは、
人生に関するもので、自分が何をしていいのか、
どこから来てどこに行くのか、自分の立ち位置を失い、
呆然としている詩人の気持ちを歌った作品である。
確かに、こんなことを感じることもあるようなあと思う。
自分の思っていることのようには世の中は進まない。
その苛立ちを感じながらもじゃあどうしていいのか分からない。
解決策を探ろうと思っても出口が見えないこともあるんだよなあ。