Mars&Jupiter

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グスターヴ・ホルストのリグ・ヴェーダの合唱賛歌を聴き、二俣川から東戸塚へ

2007-05-15 06:28:10 | グスタフ・ホルストの声楽曲・合唱曲
昨日は二俣川から東戸塚まで歩いた。
途中、名瀬付近で団地内に入ったので道に迷い、
普段より余計に時間がかかってしまった。

途中聴いた曲はホルストのリグ・ヴェーダからの合唱賛歌である。
Choral Hymns from the Rig Vedaが原題である。
ヴェーダとは古代インドのバラモン教の聖典である。
リグ・ヴェーダはその中でも最古のもので、
前1200年から前1000年頃に成立されたとされる。
神々に対する賛歌を集めたものである。
この作品は、1908年から1912年にかけて作曲され、
いくつかのグループ(群)で構成されているようだ。

第一群は、管弦楽と合唱のための作品で、
一曲目の「戦いの賛歌(Battle Hymn)」は、
「インドラとマルトは我々のために戦う!」という句が、
繰り返され、勇ましい感じの曲で、
聞きごたえがあり、管弦楽の扱いはホルストらしい。
二曲目の「無名の神へ(To the Unknown God)」は、
管弦楽と合唱の扱いが素晴らしく、「神は誰?いけにえの時、
我々は神にどのような名をつけるべきか?」という意味の句が、
何度も繰り返されるが、神秘的かつダイナミックな曲である。

第二群は、女声合唱と管弦楽のための作品で、
一曲目は、「ヴァルナへ(To Varuna)」は、神秘的な雰囲気で
「我々に汝をもたらさんがために、大地に向かい我々は歌を捧げる」
という意味の歌詞で始まり、管弦楽も加わり壮大な感じの曲となる。
二曲目の「アグニへ(To Agni)」のアグニとは火の神のことである。
「我々の罪を焼き尽くせ、激しい炎のアグニ」で始まるこの曲は、
「我々のための炎、おおアグニ(flame for us, O Agni!)」の句が、
何度か繰り返され、短く軽快な曲である。
三曲目は、「葬儀の歌(Funeral Chant)」は、
「惑星」の「海王星」を思わせるような曲で、
管弦楽と女声合唱が神秘的な雰囲気をかもしだしている。

第三群は、女声合唱とハープのための作品で、
一曲目は、「夜明けへの賛歌(Hymn to the Dawn)」は、
ハープの伴奏にのって歌う女声合唱の旋律が美しい。
二曲目は、「水への賛歌(Hymn to the Waters)」は、
軽快な曲でハープの伴奏が、はじけ飛ぶ水しぶきを感じさせる。
三曲目は、「ヴェーナへの賛歌(Hymn to Vena)」は、
前曲に続くような感じで静かに始まり、深遠な感じの曲で、
旋律の美しさや、曲の盛り上がっていく展開などがすばらしい。
四曲目は、「旅人の賛歌(Hymn of the Travellers)」は軽快な曲で、
一定の繰り返すリズムを刻むハープの伴奏にのって歌う合唱が、
神秘的でもあり、美しく、なかなかの作品である。

第四群は男声合唱と管弦楽のための作品で、
一曲目は、「ソーマへの賛歌(Hymn to Soma)」である。
ソーマとは古代インドの祭式において神々に捧げる
薬草のジュースのことで、曲は軽快な感じである。
二曲目は、「マナースへの賛歌(Hymn to Manas)」であり、
これは、死んだ男の精神への祈りを歌ったものである。
「我々は、再びみんなと暮らすために、汝を呼び出す。」
というような意味の句が繰り返される。
死後の世界、再び人間として生まれ変わるという世界観が、
ここにはあるのだろうか、とても神聖な感じの曲である。

このリグ・ヴェーダからの合唱賛歌の歌詞は、
ホルスト自身が原語のサンスクリット語から英訳したものである。
東洋的なものに憧れた若い頃の彼は、カーリダーサの作品や
リグ・ヴェーダなどをテキストにした作品を多く残している。

ついでに蛇足になるが、ウィルコックスの指揮したこのCDは、
オーディオ的に聴くと、おもしろい。
「ヴァルナへ」の曲などの合唱が静かなところで
自動車が通る音が頻繁に聞こえたりする。
このようなことは録音ではよくあることではあるが、
どこでいつ録音しているんだろうなんて想像するのもいい。
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グスターヴ・ホルストのピアノ五重奏曲を聴きながら横浜から和田町へ

2007-05-14 07:17:02 | グスタフ・ホルストの室内楽曲・器楽曲
昨日はいつもの横浜から和田町までのコースを歩いた。
ここ数日で体重は1キロ減り、二月からみると4キロ減った。

今日途中聴いた曲はホルストのピアノ五重奏曲イ短調作品3。
この作品は彼が英国王立音楽大学(Royal College of Music)で、
まだ学生だった頃の1896年に作曲された作品である。
ホルストは1874年生まれなので、21歳か22歳の頃の作品である。

CDの解説文を書いているミヒャエル・ショートによると、
彼は学生アンサンブルでピアノのパートを演奏する予定であったが、
しかし、彼がピアノ演奏を断念しなければならないまで、
彼の神経炎は悪化していたようである。

ピアノ五重奏曲が演奏されたという記録は存在していないようで、
「最終稿のスコアはクラリネット奏者のクリントンに送ったが、
返されなかった」と彼自身の作曲リストにのちに書いたようだ。

スコアが発見されたのは70年近く経ってからで、
1989年にチェルトナム国際音楽祭でエリジアン五重奏団が、
アンソニー・ゴールドストンと共に演奏したのが最初である。
ちなみに持っているCDの演奏者も同じである。

第一楽章のアレグロ・モデラートはピアノの伴奏に乗って
クラリネットが演奏するところから始まるロマン派的な曲である。
曲調は全体的にメンデルスゾーンぽいが、
そこにスパイスを利かせたようなホルンの吹奏が加わる。
ここには彼が若いときに傾倒したワグナーの影響があるようだ。

第二楽章のスケルツォはメンデルスゾーンの「真夏の夜の夢」の
スケルツォを聴いているような軽快な曲であるが、
ホルンとオーボエにさりげなく第一楽章の主題が現れる。

第三楽章のアダージョは、沈鬱な曲想で始まり、
葬送行進曲のようであり、劇的な展開の中、
曲の中ではピアノが重要な役割を果たす。
ここでもホルンとオーボエに時々第一楽章の主題が現れる。

第四楽章のアレグロはアダージョの雰囲気を変え軽快に始まる。
解説によるとこの楽章の中にのちの彼の民謡を用いたスタイルを
予感させるような部分が垣間見ることができるということである。
歌うような旋律が流れ、途中で第一楽章の主題が再現され、
この旋律と第四楽章の主題とからみあいながら、終わる。

とにかく、初期の作品には違いないが魅力ある作品である。
ピアノ五重奏曲とはいっても弦楽器ではなく、
木管楽器との五重奏というところがホルストらしい。
のちの「惑星」とのつながりをここであまりみることはできない。
それを求めている人は木管五重奏変イ長調作品14を聴くと、
第一楽章などのところで少しは感じられるかもしれない。
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愛らしいグスターヴ・ホルストのフーガ風協奏曲

2007-05-13 06:55:33 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日はカーサ・クラシカの昼のライブに行った。
ウォーキングについては、お休みしました。

今日からはホルストの作品をいくつか紹介していきたい。
ホルストというと組曲「惑星」があまりにも有名なのだが、
他の作品を録音したCDはあまりレコード店では見かけない。

今日とりあげるフルートとオーボエのために書かれた
フーガ風協奏曲作品40-2もその一つである。
今回はホルストの娘イモージェンが、
イギリス室内管弦楽団を指揮したCDで、
リリタ(Lyrita)のレーベルのものを紹介したい。

この作品自体は演奏時間8分くらいの小品であるが、
簡素で愛らしい魅力ある作品である。
フルートはウィリアム・ベネットが吹いており、
彼の演奏がこの曲にとてもあっているのでお薦めである。

第一曲のモデラートは弦楽器が奏する親しみやすい主題を
オーボエが引継ぎ、それをフルートがさらに引継ぎ、
弦楽器とオーボエとフルートのかけあいにより、
曲は展開される新古典主義的な簡素な曲である。

第二曲のアダージョはフルートが主題を吹いて始まる。
オーボエがそれを引き継いで曲は展開していく。
ベネットのフルートの演奏が素晴らしいし、
それに応えるオーボエの演奏も美しい。
叙情的な曲であり、曲は切れ目なく第三曲に入る。

第三曲のアレグロでは最初に弦楽器の中で主題が
フーガ風的に扱い、続いてその主題をオーボエ、フルートが
引継ぎながらフーガ風に曲が展開していく。
そのうち民謡風のもう一つの主題がフルートに現れるが、
これは17世紀の舞踏曲の旋律らしく、
‘If all the world were paper’曲の旋律らしい。
それら二つの主題を使用し、弦楽器とフルートとオーボエが
フーガ風な展開をして、最後はあっさり終わる。

イモージェン・ホルストが書いたCDの解説文によると、
この曲が作曲された1923年はホルストが以前好んでいた
対位法に復帰した年で、「新古典主義」ということばが、
当時のヨーロッパの音楽評論家の中で使われ始めた年でもあった。
本人は「バッハに帰れ」と呼ばれる運動を耳にしていなかったが、
それに先駆けてこのような新古典主義的な作品を書いたようだ。

ホルストの作品も「惑星」だけではなく、隠れた名曲が多い。
次回は五重奏曲イ短調を取りあげようと思います。
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諸井三郎の交響曲第三番を聴きながら横浜から和田町まで歩く

2007-05-12 06:35:31 | 古典~現代音楽日本編
昨日は横浜から和田町まで歩く。
この時期になると、歩くには夕方の方がいい。

途中聴いた曲は、諸井三郎の交響曲第三番である。
1903年生まれの彼は、1932年にドイツに渡り、
ベルリンで2年間学んでいる。
だから、ドイツの絶対音楽へのこだわりがある。
そういう点からすれば、1943年に作曲された交響曲第三番は、
まさにドイツ的な動機に基づく展開を伴った交響曲の構造を
しっかり持ちつつ書かれた日本人による本格的な交響曲である。

第一楽章の序奏はショスタコーヴィッチの交響曲第10番のように
何か深く思いつめたような旋律で始まる。
「精神の誕生とその発展と名付けられた主部に入ると
いくつかの主題が現れ、それらが展開されていく。
彼の交響曲にはフランクやブルックナーを想起させると言われるが、
その指摘はあてはまるくらい、主題の展開はフランクらしく、
金管などの音の響き方はブルックナーぽく思える。

第二楽章は、いくつかの動機に基づく展開がされる力強い楽章だ。
打楽器が登場するとショスタコーヴィッチを思い出してしまうが、
「諧謔について」と題されたこの楽章で使われる金管と打楽器は
第二次世界大戦の時期の軍国主義的なものを象徴しているのだろう。

第三楽章は、「死についての諸観念」と名付けられ、
壮大さをイメージさせる主題から始まる。
そのあといつくかの動機が登場し展開されるが、
7分40分くらいからやさしく平和的な旋律が登場する。
何か戦争の惨状を感じさせるような旋律と、
この平和を希求するような美しい旋律があらみあいながら、
クライマックスへと突き進んでゆき、最後は幸福な感じで終わる。

日本の作曲界には1930年前後から3つの流れが生まれていたようだ。
山田耕筰はドイツ的なアカデミックな音楽を
受け入れる土壌が、当時の日本人の中に育ってはいないので、
もっと日本人の感性にあう日本的な旋律を使おうとしたのに対し、
それを肯定し、ヨーロッパの音楽の伝統を
なるべく排除しようとした流れと、
その日本人の感性に近いフランス音楽に接近しようとした流れと、
あくまでもヨーロッパの伝統的なスタイルを重んじ、
その中で日本人らしい工夫が加えることが、
できるはずだと考えるもう一つの流れである。

もちろん、諸井はそのうちの最後の流れに属する。
諸井三郎が作曲した交響曲を聴くと、その主張も肯ける気もする。
日本人が外国のものを受容していく際につくづく思うのは、
様々な受け入れ方があり、捉え方があったんだということ。

さて、今回で交響曲日本編も終わりにしておきます。
今日までとりあげたCDは以下のアドレスの日本編に載せました。
http://www1.ocn.ne.jp/~bocchi07/symphony-cd-shoukai.html
次回からは特集として、ホルストの作品紹介をしたいと思います。
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モダニスト大澤壽人の交響曲第三番を聴く

2007-05-11 06:25:01 | 古典~現代音楽日本編
昨日も星川から横浜まで歩く。
ここのところ天気がいい日は、歩いていると汗ばむ。

途中聴いた曲は、大澤壽人の交響曲第三番である。
1907年生まれの大澤壽人はあまり知られていない。
ボストンやパリで6年間学んだあと、
彼は1936年に日本に戻り、数々の作品を発表した。
しかし、その作品は当時の人々にとってとても難解すぎた。
そこで、彼は当時の日本人に理解しやすい音楽をめざし、
日本的な部分を入れつつ、交響曲第三番を作曲した。

第一楽章は激しくダイナミックな箇所が印象的だ。
フランスやアメリカの作曲家からの影響は強いのだろうが、
なんとなくヴォーン・ウィリアムスぽいところもある。

第二楽章は、冒頭とそのあと管楽器で奏される旋律が日本っぽい。
当時のフランスと日本の音楽が、融合というよりは
混在しているような感じではあるが、おもしろい。

第三楽章は、作曲家自身が「幻想メヌエット」と名付けているが、
この場合にその表現は、ぴったりあてはまるだろう。
やはり日本的と西洋的な音楽が交互に登場する感じである。

第四楽章は、彼の作曲の技量の高さを感じることができる。
ドラマティックな展開の中、行進曲的な旋律が時々現れ、
あるひとつの目標に向かって曲は突き進んでいく。
日本的な旋律と西洋的な旋律がからみあいながら、
最後は短調から長調のコードに変わり勝利を得た感じで終わる。

彼が優れた作曲家であることは、疑う余地もない。
しかし、その時代では斬新な彼の音楽は理解できなかっただろう。
1937年に完成した交響曲は、当時の人にとってモダンすぎた。
正しい評価をされなかった彼は、歴史の中で埋もれていく。

彼は西洋音楽の作曲法を十分に理解した優れた作曲家だった。
その彼がこの作品で見せるのは、
西洋と日本が歩み寄り、交わろうとしても
なかなか埋めることのできない溝があることであり、
その苦悩が伝わってくるようでもある。
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