Mars&Jupiter

おおくぼっちの屋根裏部屋へようこそ!

ボールトの「惑星」を聴きながら二俣川から町田まで歩く

2007-05-20 06:47:19 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日は二俣川から町田駅まで歩いた。
時間はおよそ2時間40分くらいのコースである。
鶴ヶ峰に出てひたすら16号線沿いを北上し、
途中246号線と交差するところから町田街道に入り、
さらに北上すること1時間くらいで町田駅に到着した。
やはり、町田は二俣川から横浜駅へ歩くよりは遠い。

さて、今日紹介するのは1966年録音されたもののCDで、
ボールトがニュー・フィルハーモニア管弦楽団を振っている。
ボールトはよく知られているように「惑星」を5回録音している。
私が高校時代に買った「惑星」の全曲盤の何番目かの記憶は、
この辺からあやしくなるが、ボールトは3番目であっただろう。
私はこのあと、バーンスタイン、プレヴィン、メータのも買った。
(ショルティ盤も抽選会で視聴盤を手に入れた。)

演奏時間は、火星7:14、金星8:48、水星4:00、木星7:59、
土星9:08、天王星6:23、海王星7:04となっている。
その後もボールトは「惑星」を1978年に再録しており、
そちらの演奏時間は、火星、8:02、金星7:27、水星3:48、
木星8:00、土星8:22、天王星6:28、海王星6:22となっている。
なぜか旧録に比べ、新録の方が金星、土星、海王星が、
演奏時間が早くなっているのが、不思議だが特徴だ。

演奏を聴いて、ベテランの貫禄という感じを抱いた。
5回も録音したことのあるボールトの「惑星」は、
「火星」の中間部のただようような演奏、
「木星」の中間部の格調高く、気品のある演奏など、
どれも説得力があり、全体的に安心して聴くことができる。
それは1978年の再録でも同じことが言える。

ここで1曲とりあげてみるのは「土星」である。
「土星」はホルスト本人が一番好んでいた曲だが、
ある意味演奏としては難しい曲ではないかと思う。
副題は「老い(老年)をもたらすもの」である。

70小節から金管がクレシェンドし、鐘が鳴り響きわたる。
大きなクライマックスをつくりあげられていく。
ボールト冒頭は淡々とした演奏をしながらも、
確実な歩みでそのクライマックスに向かっていく。
この演奏は1978年の録音もさることながら、
私の好みとしては1966年の録音の方が好きである。
40歳過ぎた時に私は「老い」ということばを少し実感した。
確実にしのびよる老い、だれも止めることの出来ない老い、
それを実感した時に「土星」の曲がより身近に感じた。
「惑星」の中では地味な曲ではあるが、
クライマックスが過ぎてからの部分の音楽は美しい。
「惑星」も年代によって聴き方が変わる曲だろう。
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カラヤンの「惑星」を聴きながら横浜から星川駅まで歩く

2007-05-19 08:17:52 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日は横浜から星川駅まで歩いた。
短い距離ではあるが、時間がない時はこのコースになる。

さて、今日紹介する組曲「惑星」のCDは、
カラヤンが、ウィーン・フィルを振った1961年録音の盤である。
カラヤンはその後ベルリン・フィルとも録音をしており、
その演奏は確かにより洗練されたものとはなっているが、
この旧盤は私が二番目にLPの時代に買った「惑星」の全曲盤で、
同じ曲のものを買うのはどうかと悩んだあげく、
価格の高いレギュラー盤であったが、買ったものである。

演奏時間は、火星6:39、金星8:18、水星3:54、木星7:34、
土星8:29、天王星5:43、海王星7:28となっている。
旧録に比べ、新録の方は水星、木星、天王星を除き、
その他がゆったりと時間をかけた演奏になっている。

演奏を聴いた時にはホルンの演奏の良さが記憶に残っており、
ストコフスキーの盤に比べ、録音も良かったせいか、
「火星」のダイナミックで、颯爽とした演奏に、満足したのであった。
ヘッドフォンで聴くといろいろな音が聞こえるので面白くもあった。
たとえば、「木星」のアンダンテ・マエストーソに入る前の
188小節あたりに物を落としたような音が聞こえる。
これは木管楽器(クラリネット?)を床に落とした音かと想像した。

ここで1曲とりあげてみたいのは、「海王星」である。
ストコフスキー盤に慣れていた私にとって、
このヘルベルト・フォン・カラヤンが振った「海王星」の、
冒頭の部分に何しれぬ違和感を持ったのである。
どこが違うのだろうと聞き比べたところ最初のフルートが吹く旋律の
最後の音(3小節目)が、なぜか一音多いのである。
なぜだろう?どうして違うのだろう?どちらの演奏が正しいのか?
こんな疑問を持った私は、その後組曲「惑星」のスコアを買った。
楽譜を確認すると正しかったのは、ストコフスキー盤の方であった。
ベルリン・フィルとの新盤では、楽譜通りに演奏させている。
つまりおそらくは、彼の指示でこうなっているのではなさそうだ。
楽譜を買わないまでの間は、この演奏はカラヤンの指示であろうし、
この方が美しいかなとも思ったことはあるくらいなので、
人の感覚というものはいいかげんなものである。

「海王星」は合唱作品を多く残したホルストらしい作品である。
カラヤンの演奏をレコード盤がすりきれるほど何度も聴いた。
今はそのレコード盤の方はないが、このCDを聴くたびに、
56小説から始まる女声合唱と、けだるい感じのクラリネット、
そして幻想的なハープとチェレスタの演奏に魅せられる。
フェイド・アウトして消えていく女声合唱の演奏を聴いているうちに、
マイクロのレコード・プレーヤーの針が最後まで達し、
「ボコッ」という針が上がる音が聞こえ、プレーヤーが止まる。
こんな繰り返しをして聴いていた風景は今のCDではありえない。
オーディオの世界もだいぶ変わったよなあと回顧しつつ、
ちょっと、おじさんのノスタルジックな世界になってしまった‥‥。
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懐かしいストコフスキーの「惑星」を聴く

2007-05-18 07:18:33 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日は「日本・中東アフリカ文化経済交流会」の、
講演を聴きにいったので、ウォーキングはお休み。
キリスト教の中にコプト教会があることは知っていたが、
エジプトにはコプト教徒が15%近くいること、
また、欧米やオーストラリアなどにもコプト教会が進出し、
日本人の中にもコプト教会の司祭がいることを知った。
アクスム王国時代にキリスト教がエチオピアで普及したため、
現在のエチオピアの人たちの中にもコプト教徒が多い。
日本に住んでいるエチオピア出身の人たちの存在も知った。
アラビア語と英語が飛び交う講演会であった。

さて、今日紹介するストコフスキーが指揮するCDの、
演奏はロスアンジェルス・フィルハーモニー管弦楽団である。
アメリカのオーケストラが取り組んだ「惑星」の録音としては、
おそらくは最初のものといわれ、1958年に録音されている。
「惑星」の全曲盤として最初に聴いたもので、
当時は1300円の廉価盤のLPレコードで発売されていたが、
2000円以上のいわゆるレギュラー盤を買えなかった私は、
まずは、このLPで我慢しようと思ったのだった。

ステレオ録音とはいえ、録音年代は古いので、
オーディオ的には満足できないところはあったが、
私は、とにかくこのストコフスキー盤で
ようやく組曲「惑星」の全体像をつかむことができた。

演奏時間は、火星6:36、金星8:01、水星4:02、木星7:37、
土星7:46、天王星5:41、海王星6:33となっている。
アメリカの中で、常に新しいもの好きの指揮者だからこそ、
このホルストの「惑星」を早くから録音した理由は納得できる。

演奏自体は全体的に軽快で、あっさりしている。
「金星」「土星」「海王星」のような曲で、
バーンスタインのようにゆったり演奏することもない。

ここでとりあげるとすると「天王星」である。
この曲は金管楽器と打楽器が活躍し、
管弦楽の醍醐味をみることができる。
デュカスの「魔法使いの弟子」を髣髴とさせる曲とも言われるが、
ディズニーの映画「ファンタジア」の音楽監督をした彼にとっては、
得意中の得意といえるのではないだろうか。
難曲のように思えるこの曲を難なく軽快に指揮している。
222小節以降の弦楽器の音の上にハープが奏でる音が、
神秘的でいいが、そのあと金管と打楽器で盛り上がり、
再び静寂に戻るが、楽譜をみると最後弦楽器の音が消えてから
ティンパニとハープの音が2つ入って終わることになっている。
しかし、ストコフスキーはティンパニとハープの音が2つ入るまで
弦楽器を弾かせ続けているのがおもしろい。
おそらく、彼の指示なのだろう。

なお、余談だが「海王星」は普通多くのCDは最後の女声合唱を
消えていくようにするためにフェイド・アウトさせていくのだが、
ストコフスキー盤では、フェイド・アウトせずに合唱団に歌わせて
最後の一音を伸ばさせて終わらせているのでこれまたおもしろい。
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バーンスタインの「惑星」を聴きながら横浜から和田町まで

2007-05-17 05:02:40 | グスタフ・ホルストの交響曲・管弦楽曲
昨日も横浜から和田町まで歩いた。
途中聴いた曲はホルストの組曲「惑星」である。
ここ何日かはコラム的にホルストの組曲「惑星」に触れる。
私が所有している30枚近くのCDの中から、その一部を紹介したい。
(「惑星」のCDで30枚も買うのは買いすぎだろうが)

紹介するCDは、1978年録音のもので、バーンスタインが指揮し、
演奏はニューヨーク・フィルハーモニックである。
このCD(当時はLPレコード)は、天体観測好きの私を
クラシック音楽好きにさせたことは、以前述べたことだが、
途中で演奏が終わる「火星」も「木星」のシングル盤を買った私は、
そのあとそれぞれの曲の続きが気になった。
私は自分の想像力でこんな続きになるのかなとか思いながら、
全曲が入っているLPを買って確かめたくなった。
その全曲盤を最初に買ったのは、バースタイン盤ではない。
とにかく、その後私はこの曲に触発され、
「三重星」とかいったタイトルの作曲ごっこをしてみた。
(もちろん、曲は未完成に終わったが)

バーンスタインの演奏は若さが感じられる熱っぽい演奏であるが、
今になって考えると全体的に荒削りの演奏の感じがする。
演奏時間は、火星6:33、金星9:34、水星3:50、木星8:15、
土星8:50、天王星5:23、海王星8:20となっている。
火星の演奏時間は、他の指揮者の演奏の中でも早く、
ホルストの自作自演版の演奏時間に近い。
その「火星」はさておきここではその中で、
「木星」の演奏についてだけ触れてみよう。

演奏自体は熱演であり、惹きつける魅力を持ってはいるが、
金管楽器や木管楽器が音を外したりするなどの乱れが目立つ。
しかし、そんなことはどうでもいい。
当時印象的だったのは中間部である。

一時期「ジュピター」というタイトルではやった曲の有名な旋律が、
アンダンテ・マエストーソの指定があり、
拍子が2/4から3/4になるところの193小節目から始まる。
その旋律が一回終わり、再び演奏される209小節目時に、
一瞬静かになり、メゾ・ピアノくらいから次第に
音量を上げていくところが心憎い演出である。
楽譜ではメゾ・フォルテから始まったこの旋律を、
209小節目で強弱を変えるという指定はないのだ。
ただ、1回目はホルンが中心となって旋律を吹くのに対し、
2回目は弦楽器が中心となり旋律を演奏する。
(クラリネットも同じ旋律を吹いている)
だから、これはバーンスタインの解釈ではある。

ハイドンの交響曲やヘンデルの管弦楽曲では、
同じ旋律を繰り返す時に、2回目を弱めて演奏し、
変化をつけることでメリハリをつける場合があったりする。
バーンスタインはハイドンの交響曲を多く録音しているが、
その経験を活かしてのことかどうかは私には分からない。
当時中学生であった私にとっては、はっとさせられる演奏であった。
とにかく、初めて「惑星」を聴いた私に
衝撃的な印象を与えたCDの一枚であることに違いない。
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グスターヴ・ホルストのサーヴィトリ(savitri)を聴き、横浜から和田町まで歩く

2007-05-16 07:07:52 | グスタフ・ホルストの声楽曲・合唱曲
昨日は横浜から和田町まで歩いた。
もちろん、いつもどおりのコースを歩く。

途中聴いた曲はホルストのサーヴィトリ(サヴィトリ)(savitri)である。
この作品は、一幕ものの室内オペラであり、
1907年から1908年に作曲された作品である。
編成は12人の演奏者による管弦楽と3人の独唱者、
そして舞台裏に配置される女声合唱からなる。
古代インドの叙事詩「マハーバーラタ」に基づいた作品で、
登場人物は3人しかいないし、演奏時間は30分程度と短い。

作品のあらすじは、妻サーヴィトリが、
きこりの夫サティアヴァンの帰りを待っていると、
目には見えないが死神の声が聞こえてくる。
死神は、「私は汝の夫を迎えに来た」といい、
死者のための門が開かれていると妻に伝える。

死神の魔の手から夫を救い出すために、
妻サーヴィトリは必死になる。
夫サティアヴァンが「おまえはどこにいる。
私の目はぼやけていて、おまえの姿が見えない」というと、
サーヴィトリは「私はあなたとともにいます。
私の腕はあなたの周りにあります」と答える。
(ちょっと直訳調だが、あなたを守っているということだろう)
その後は死神とサーヴィトリの対話を中心に物語は展開し、
死神はサーヴィトリの素朴な優しさを知り、聖性を認め、
夫を死から助けたいという彼女の望みが
最後にはかなえられるという話である。

ホルストが若い時期古代インドの文学や思想に
興味を持っていたことは、前回も述べたとおりだが、
この作品でホルストは作曲家としての評価を初めて得たようだ。

もちろん、この曲は組曲「惑星」とは違って、地味ではある。
しかし、舞台裏に女声合唱を配置するのは、
「惑星」の「海王星」にみられるやりかたである。
また、ストラヴィンスキーが小編成の管弦楽と、3人の語りによる
「兵士の物語」を1918年に作曲したことを考えると、
その10年前に(ここでは語りではないが)3人の歌い手による作品を
作曲したということが、重要な気もする。
ホルストが「イギリスのストラヴィンスキー」と評されるゆえんだ。
私が中学の時の合唱部で演じた日本の創作オペラ「鷹の泉」も、
独唱者3人と合唱団とピアノによるものだった。
管弦楽ではなくピアノというところは違うが、似ているなあ。
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