温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

大鰐温泉 旅館きしもと

2019年01月30日 | 青森県

記事の時系列的には前回記事から続いております。2018年秋に青森県を旅した私は、前回記事の黒石を出た後、弘前のビジネスホテルに泊まろうかと考えていたのですが、せっかくですから弘南電車で足を伸ばし、大鰐温泉で一泊することにしました。駅を降りた私は駅前の通りを東に向かって歩き、温泉街の入り口にあたる青い橋で平川を渡たったのですが、この橋を私はいままで何度渡ったことでしょう。初めて渡ったのは今から二十数年前のことですが、それから幾度も当地を訪れていますので、もう数えきれません。目を瞑っても歩けそうな気がします(この画像は翌朝撮ったものです)。


 
この日お世話になったのは青い橋を渡ってすぐ左手にある「旅館きしもと」です。予め数日前に電話で予約しておきました。
玄関の上に掲げられている宿名の文字看板は、その半分近くが外れてしまい「さしも」としか読み取れない状態になっていました。申し訳ないのですが、この外観だけで判断すると営業しているのか不安になってしまいます。でも玄関を開けてお邪魔しますと、お宿を営むご夫婦が笑顔で温かく出迎えてくださいました。



さすが津軽だけあり、廊下には照明の扇ねぷたが飾られていました。青森県民にとっては常識ですが、ひとくちにねぶたと言っても地域により文化が異なります。全国的にも有名な青森市のねぶたは"NEBUTA"と発音し、大きな人形の山車を曳きながら跳人が「ラッセーラー」と掛け声を掛けながらぴょんぴょん跳ねて賑やかに盛り上がるのに対し、弘前のねぷたは"NEPUTA"と発音し、扇ねぷたと呼ばれる扇形の山車を曳きます。扇ねぷたの表面は勇壮な武将の絵が描かれる一方、裏には美人画が施され、参加者は「ヤーヤドー」と掛け声を掛けながら隊列を組んで上品に街を練り歩きます。この他津軽各地にあるそれぞれの街ではそれぞれの形のねぶた(ねぷた)があり、画一的な類型化ができないほど実は多種多様だったりするんですね。屁理屈、失礼いたしました。本題に戻しましょう。


 
女将さんに案内され、その晩お世話になる客室へ通されました。こちらのお宿には客室が5室しかないらしく、今回通されたのはそのうちの1室である「白樺」というお部屋です。夜9時に到着したので、既に布団が敷かれていました。畳敷きの室内には古いながらもエアコンが設置されており、暖房やテレビも備え付けられていますが、冷蔵庫はなくトイレや洗面台は共用です。この客室をはじめ建物が全体的にかなり草臥れているようです。
卓袱台の上に置かれた灰皿の上にはお宿のネームが入ったオリジナルマッチが用意されていました。私はタバコを吸わないのでマッチを使いませんでしたが、いまどきマッチを用意しているお宿は珍しく、そもそもマッチ自体を手にする機会もあまり無いので、貴重なお土産として1つ持ち帰らせていただきました。そういえば平成生まれの方はマッチが使えない方が多いそうですね。何でも便利になったいまの世の中で必要とする場面に出くわさないのですから、知らないのは当然でしょう。


 
窓を開けると、すぐ下に平川が流れていました。左手に見える青い橋は駅から歩いてきた時に渡った温泉街の入り口となる橋です。この橋の向こう側には、当地の共同浴場のひとつである「若松会館」があります。



こちらのお宿は基本的に2食付で利用するようなのですが、上述のように私は夜9時に到着したため、夕食は抜いてもらい、朝食のみお願いしました(税別5,000円)。1階の別室に移動していただきます。オーソドックスながら動物性蛋白質とお野菜のバランスが取れた美味しいお食事でした。



さて、お風呂へ向かいましょう。1階の奥に男女別のお風呂があり、宿泊中は自由に入れます。内湯のみで露天風呂はありません。



実用的で渋い趣きのお風呂には、窓側に浴槽がひとつ据えられ、反対側の壁に沿ってシャワー付きカランが2つ取り付けられています。カランから出てくるお湯はボイラーの沸かし湯。機器が古いのか、コックをひねってからお湯が出てくるまでちょっとタイムラグがあります。また洗い場にはボディーソープなどの備え付けあるのですが、個人所有の物のような雰囲気が伝わってきたので、私はそれらを使わず持参したものを使いました。



浴槽は4~5人サイズ。ゆがんだ台形のような形状をしています。一般的なお風呂よりちょっと深いので、肩までしっかり湯に浸かれて入り応えがあります。なお浴槽のすぐ上には窓がありますが、隣家が近接しているので、窓を開けてもその壁しか目に入ってきません。景色は期待せず、汗を流してお湯とじっくり対峙しましょう。


 
蛇口から激熱のお湯が浴槽へ注がれています。蛇口は硫酸塩の析出によって羊の頭のような白くてモコモコとした造形ができあがっていました。投入量は絞られているのですが、その絞り方が絶妙であるため、湯船では加水することなく適温がキープされていました(そのかわり上下で温度差があったので、しっかり掻き混ぜてから入浴しました)。全量掛け流しです。
館内には温泉分析表の掲示が見られなかったのですが、いわゆる大鰐の混合泉の特徴がよく出ているお湯であり、石膏感(匂いと味)、石膏甘み、そして硫酸塩ならではの薬っぽい感じがよく現れています。また湯中ではトロトロしながらも、肌にはキシキシする浴感が伝わり、かつ入りしなはちょっとピリっとするような感覚が走りました。

建物が全体的に草臥れており、またお宿のご夫婦もお年を召されているため、随所にマンパワー不足を感じさせる点があるのは仕方ありませんが、静かな環境でリーズナブルに泊まって存分に温泉入浴したい時には相応しい宿かと思います。また宿のご主人はとても人当たりが良く、明るく柔和。かつてはスキーのコーチだっらたしく、館内には合宿時の生徒たちの寄せ書きが飾られており、それらを拝見していると、生徒たちのメッセージを通じてご夫婦のお人柄が伝わってきました。心が温まる家庭的なお宿でした。


分析書見当たらず

青森県南津軽郡大鰐町大字大鰐字大鰐86-1
0172-48-3267

宿泊のみ

私の好み:★★


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黒石100円温泉(追子野木久米温泉) 閉鎖後の様子

2019年01月27日 | 青森県
温泉ファンから絶大な人気を得ていた黒石市の100円温泉。温泉分析書での名称は追子野木久米温泉ですが、その名前を言っても通じることは少なく、「100円温泉」として多くの方に知られていた温泉です。田んぼを埋め立てた更地に簡素なプレハブの平屋には、無人の温泉浴場が設けられ、その名の通り100円玉1つさえあれば、ツルツルの滑らかな掛け流しの温泉に入ることができました。

この100円温泉。元々は地元建設会社の保養施設だったのですが、いつの頃からか一般にも開放され、やがてマニアの間にその存在が知れ渡るようになりました。かく言う私も5回近くは利用を重ねていたでしょうか。拙ブログでも以前に取り上げております(その時の記事はこちらです)。私のような酔狂なマニアが全国からやってきて、皆さんそのお湯の良さと独特の佇まいに感動し、口コミによって知名度が徐々に上がって、とうとう2016年にはNHKのドキュメンタリー番組「72時間」などマスコミでも取り上げられるに至りました。
しかし、何があったのか、それとも既定路線だったのか、2017年3月末を以て閉鎖。その後営業再開の報は聞こえてきません。大好きだった温泉が過去帳入りしてしまう悲しさは筆舌に尽くしがたいものです。閉鎖から1年半が過ぎた2018年秋の某日、黒石市内を車で走っていた私は、その後の姿が気になってしまい、別れを告げられても未練たらたらで泣き縋ろうとする弱い人間のように、気付けば100円温泉の跡地へと向かっていたのでした。



霊峰岩木山が聳える津軽平野のど真ん中。
黒石市の某所へとやってまいりました。



閉鎖から1年半経った2018年秋の某日。まだ建物は残っており、100円温泉の看板も掲出されたままでした。



しかし、かつては軽トラや乗用車などいろんな車がひっきりなしにやってきた砂利敷きの駐車場に、いま車の姿は見当たらず、ただひたすら空虚な更地に成り下がっていたのでした。



湯屋だったプレハブに近づいてみましょう。
男女両入口の横には「夜 終わり」と手書きされています。刷毛に含ませた余分なペンキを落とさないまま書いて、文字の先端に滴の跡が残っちゃった手書きの案内は、この浴場の大きな特徴でしたね。「夜」と「終り」の間には8時と書かれ、その上から白いペンキで塗りつぶした形跡が残っているのですが、なぜこのような中途半端な消し方にしたのか、よくわかりせん。
男女双方ともドアは堅く閉ざされており、中の様子も窺えませんでした。


ここから先は2010年8月に撮影した画像で以前の様子を振り返ります。

 
温泉浴場というより倉庫かバラックと表現したくなるほど簡素なつくりで、整然という概念からも少々離れているこの無人の浴場の壁には、100円と手書きされた金属製の湯銭入れが括りつけられ、客は自分でまずそこに100円を入れてから入浴します
無人施設という性質上、どうしてもズルをする輩が一定数いるらしく、あらぬ疑いを掛けられないよう「100円をみんなにみせる」と、これまた黒いペンキが滴る刷毛で書いたと思しき注意喚起が館内の壁に書かれていました。凶悪犯が現場に殴り描いた犯行声明を彷彿とさせるこうした数々の手書きメッセージは、他の温泉浴場では滅多にみられるものではなく、この100円温泉を語る上では欠かせないエッセンスでした。ここを訪れた温泉ファンの皆さんは、こうしたボロい佇まいや手作り感といった特徴に惹かれているようでしたが、湯巡りを趣味とする人間には共通して頽廃美を好む傾向があるのかもしれません。



100円の無人施設ですから、一般的な銭湯に設けられている入浴に便利な設備なんて無し。安普請の室内に浴槽が1つ据えられているばかりでした。でもそこに注がれているお湯が極上そのもの。琥珀色のお湯からは芳しい木材のような香りが漂い、湯船に入るとヌルヌルという表現がふさわしいほど大変滑らかな浴感に包まれるのでした。もちろん完全掛け流し。

私がこの温泉を初めて訪ねたのは今から十年以上前のこと。初回訪問時にはただならぬ佇まいに腰が引け、利用をためらってしまったのですが、勇気を振り絞って中にはいってみたら、そこで入れる温泉の素晴らしさに感動し、以来すっかりファンになってしまいました。

でも、もうこのお風呂には入れません。

固く閉ざされたドアの前に立ちすくみ、想い出に浸りながら感傷的になってしまった私。
もうこの温泉は復活しないのでしょうか。
いまさらですが、とても残念です。


コメント (6)
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板留温泉 旅館あずまし屋

2019年01月23日 | 青森県
 
前回記事に引き続き青森県の温泉を巡ります。復活した「温川山荘」のお風呂から出た私は、そのまま国道102号を北上して黒石市に入り、黒石温泉郷の一角をなす板留温泉へ向かいました。今回訪ねるのは「旅館あずまし屋」です。津軽弁で「落ちつく、安心する、気持ちいい」といった場面で使われるあずましいという形容詞を宿名にしているこちらのお宿は、つい最近まで老舗「丹羽旅館」として営業していましたが、経営者が入れ替わり、新たな宿として再スタートを切ることになりました。なお以前の「丹羽旅館」時代にも私は日帰り入浴でお邪魔しているのですが(その時の記事はこちらをご覧ください)、名前が変わった今回も日帰り入浴で訪うことにしました。
板留温泉は浅瀬石川に沿って数軒の旅館が軒を連ねる小さな温泉地ですが、その中でもこちらのお宿は最も規模が大きいのではないでしょうか。リニューアルに伴い看板が掛け替えられ、また駐車場の看板もわかりやすく掲出されていました。


 
こけしが左右に侍らう玄関の前には、立ち寄り入浴の案内が掲示されていました。青森県の温泉では珍しいのですが、板留温泉の各旅館は日帰り入浴のハードルが比較的高く、私も他のお宿でいままで何度か断られていますので、こうした案内はとても嬉しく助かります。


 
ジャズが流れる館内に入り、帳場で入浴をお願いしますと、スタッフの方が快く対応してくださいました。なお日帰り入浴客は玄関でスリッパに履き替えます。


 
リニューアルに伴って階段を上がった屋上に星空露天なるものが設けられたのですね(以前もありましたっけ?)。でも今回はそちらへ入っておりません。以前と同様に内湯へ向かいます。例えオーナーが代わって宿のコンセプトが一新されたとはいえ、建物自体は基本的に以前と同じ状態ですから、女湯の隣に男子トイレが、そして男湯の隣に女子トイレが、というあべこべな構造は変わっていません。しかもトイレの壁紙が妙に派手。これらは丹羽旅館時代の名残と言えるでしょう。


 
自動ドアの開閉ボタンが、ドアではなく壁に固定されている不思議な構造も丹羽旅館時代のまま。
脱衣室の様子も、多少綺麗になったものの殆どは以前とあまり変化ありませんが・・・


 
壁にはあずまし屋オリジナルの板留温泉説明プレートが掲出されていました。室内に掲示されている保健所の許可証によれば、このお宿の運営主体は株式会社ツガルサイコーという会社。この社名は以前拙ブログでもご紹介したことがあるのですが、覚えていらっしゃいますでしょうか。この宿と同じく板留温泉にあり、一度は廃墟になってしまったユースホステルを見事に蘇らせた「森のあかり」という素敵なお宿もツガルサイコーが運営しています。この他、川の対岸の落合温泉にある「津軽こけし館」や大川原の「お山のおもしえ学校」なども手がけており、黒石エリアの観光業によって地域振興を頑張っている素敵な会社なんですね。ネットで「丹羽旅館」が「あずまし屋」として生まれ変わったことを知った際、お風呂のお湯の使い方が改善されたという情報も同時に得たのですが、私が泊まってとても良い時間を過ごせた「森のあかり」を運営している会社なんですから、良くなるのは当然だと納得。期待に胸を膨らませつつ、内湯の扉を開けました。


 
内湯は特に大きく改修されることなく、以前の設備がそのまま使われており、壁に沿ってL字型にシャワー付きカランが7基設置されています。主浴槽は(目測で)1.8m×3.5mの四角形です。



かつて循環と源泉のお湯がミックスして吐出していた浴槽角の湯口からは、この日も熱めのお湯が浴槽へ供給されていましたが、再出発後の現在、ここから出ているお湯はおそらく源泉のお湯のみかと思われます。
内湯のOFの全量は露天へ流れる。



「丹羽旅館」時代に取り上げた拙ブログの記事でもご紹介していますが、内湯の浴槽には大きな穴が露天風呂側に向かってあいています。内湯浴槽のお湯はここから露天風呂へ流れているのですね。つまり内湯が上流で露天が下流なのです。



さて、その露天風呂に出てみました。
周囲を石材で固め、床や浴槽内をグレーで統一したた日本庭園風の露天風呂。目の前に法面が立ちはだかっているため、景色を眺めながら入浴を楽しむことはできませんが、空間自体はゆったりしているので、露天ならではの開放感を得ながら湯あみを満喫できるかと思います。



内湯の浴槽にあいた大きな穴は、↑画像のように露天浴槽の内部につながっており、その穴を流れてくる内湯のお湯によって露天の浴槽が満たされていました。またこの他↑画像の手前側に写っている塩ビのパイプからもチョロチョロとお湯が供給されていました。



露天風呂にも内湯のような湯口があり、蓋には白い析出がびっしり付着していますが、私の訪問時にはお湯が全く出ていませんでした。丹羽旅館時代はここからも熱いお湯が出ていましたが、現在は湯使いを変更し、掛け流しにする代わり、内湯を上流、露天を下流とするフローに統一させているのかもしれません(あくまで私の勝手な推測なので誤っていたらゴメンなさい)。


 
露天の浴槽も内湯とほぼ同じ大きさのタイル貼り。下流である露天でお湯はオーバーフローし、排水溝へと流れ去っていきます。
こちらに引かれている源泉は板留3号泉ですから、当温泉地の他施設と同じです。無色透明で石膏系の香りと甘みがあるほか、芒硝の味も含まれています。湯中では弱いツルスベと引っかかり浴感が混在し、肌にしっとりと馴染んでくれます。「丹羽旅館」の頃は塩素消毒されていたはずですが、再出発後の現在は無くなり、その代わり加水により適温に調整されるようになりました。私の訪問時は、内湯で適温、露天でややぬるい感じの湯加減になってい、あしたが、人によっては内湯の適温もぬるく感じるかもしれません。とはいえ長湯仕様の湯加減ですから、体への負担が軽くて済みます。お湯を大切にするツガルサイコーさんならではの湯使いと言え、改めて板留のお湯の良さを実感することができました。


板留3号源泉(代替泉)
カルシウム・ナトリウム-硫酸塩・塩化物温泉 60.6℃ pH7.39 438L/min(動力揚湯) 溶存物質1.861g/kg 成分総計1.871g/kg
Na+:238.1mg(42.58mval%), Ca++:265.4mg(54.42mval%),
Cl-:176.5mg(20.39mval%), SO4--:873.6mg(74.49mval%), HCO3-:71.1mg,
H2SiO3:102.4mg, CO2:10.0mg,
(平成23年10月12日)

青森県黒石市板留宮下23
0172-54-8021
ホームページ

日帰り入浴11:00~15:00
500円
シャンプー類・ドライヤーあり、ロッカーなし

私の好み:★★+0.5


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復活した温川山荘で日帰り入浴

2019年01月18日 | 青森県
前回記事で取り上げた青森県十和田湖エリアの焼山温泉を出た私は、そのまま川をさかのぼって奥入瀬渓流を散策し、さらに十和田湖を半周して黒石方面へ向かう国道102号へ進み、私の第二の故郷と言っても過言ではない青森県津軽地方と入りました。十和田湖から黒石方面へ北上すると、まず最初に通りかかる温泉が温川温泉です。この温泉は数年前に残念ながら一旦歴史の幕を下ろしましたが、2017年の秋、鳥取からいらっしゃった新たなオーナーの手により復活し、日帰り入浴の営業を再開しています(その後宿泊営業も再開)。国道102号線の西十和田エリアでは温泉施設が次々にクローズしていましたから、ネットで再開の報を知った時には心から嬉しく、是非とも再訪したかったので、今回立ち寄ってみることにしました。



国道の路傍には日帰り入浴を道行く人にアピールする看板が立っていました。回数券も発売しているのですね。


 
駐車場に車を停め、清流浅瀬石川に架かる吊り橋を渡ります。山の緑と渓流の煌めきが美しいこの風景は以前のままなのですが・・・


 
吊り橋を渡った右手には、吹きさらしの新しい浴槽が設けられていました。しっかりと温泉が注がれ湯気が立っているのですが・・・



でも吊り橋や対岸の国道から丸見えなんですね。しかも、しばらく放置されているのか、槽内には苔が生え、落ち葉なども溜まっています。このお風呂を使う機会はあるのでしょうか。


 
さて、木立の中を歩いて宿へ向かいます。玄関の前にはワンコが店番をしていました。ほのぼのとした雰囲気に思わず目尻が下がります。ワンコに挨拶してから建物の中に入り、その場で声をかけて日帰り入浴をお願いしますと、中で作業をしていたお宿の方が、お仕事の手を休めて対応してくださいました。地元紙「東奥日報」にはこの秋から宿泊を受け付けるようになったと書かれていたのですが、どうやら訪問時はまだ内装工事の途中だったらしく、館内には資材や工具などがたくさん置かれていたのでした。


 
にもかかわらず、お宿の方はお風呂まで私を案内してくださいました。お忙しいのに恐縮です。以前のままの姿を残すレトロな廊下を歩いてお風呂へ向かいます。途中の客室をちょっと覗き見。落ち着いた良い和室ですね。


 
暖簾をくぐって浴室へ。
脱衣室もほぼ以前のままですが、洗面台など一部は改修されていました。この脱衣室で更衣し、いざお風呂へ。



温川山荘のお風呂といえば、この美しい放射状の幾何学模様を描くヒバの床板ですね。何度見てもこの美しさには惚れ惚れします。


 
脱衣室側の壁には洗い場が配置され、カランが3個(あるいは4個?)並んでいます。なおカランから出てくるお湯は温泉です。リニューアルに際し、洗い場のカランは新しいものに取り換えられ、またアメニティ類が置ける小さな棚が増設されていました。


 
湯口からは滔々とお湯が注がれ、そのお湯を静かに湛える浴槽は窓外の緑を湯面に写していました。湯使いは以前同様に完全掛け流し。無色透明で綺麗に澄んでおり、湯口から出てくるお湯に含んでみますと、芒硝的な薬味のほか、石膏由来の甘みがちょっと感じられます。湯船に体を沈めると、お湯が肌にしっとりとなじみ、やさしく全身を包んでくれます。よく温まるのですが嫌味な火照りはありません。非常に優しい素晴らしいお湯です。


 
オーバルの柔らかな線を描く浴槽の縁には、木の枕が置かれていました。ここに頭を乗せ、のんびり湯浴みするんですね。たしかこの枕も以前からあったはず。所々改修されていますが、多くは以前の設備のまま流用されており、一旦休業していたことが嘘であるかのように見事に蘇っていました。嬉しいですね。
昨年新たなスタートを切ったこの温川山荘ですが、さすがに建物はかなり草臥れており、この美しい浴槽をはじめ、浴室の随所もお疲れの様子。今後は老朽化が顕著な部分の補修など、多くの課題をクリアせねばならないものと思われます。


 
湯船に浸かっている時、「そういえば、受付してもらった時、露天について案内されなかったなぁ」と気になってしまったので、お風呂から上がった後、かつて露天風呂があったところをちょっと覗いてみますと・・・



私の訪問時(2018年秋)、露天風呂は使用できない状態でした。2017年の営業再開時に利用された温泉愛好家の方のブログを拝見しますと、その時には露天風呂に入れたそうですから、私の訪問時には何らかの事情によって一時的に閉鎖していたのでしょう。この露天風呂は温川山荘の名物でもありましたから、手直しが終わり次第、いずれは利用が再開されるものと思います(と勝手に期待しています)。

新しいオーナーさんがご自身の手により、以前からの設備を活かす形で改修を進めていらっしゃるとのこと。そのご苦労は計り知れないものがあるのかとお察しします。今回は内湯のみの日帰り入浴でしたが、次回は是非とも宿泊利用で伺いたいものです。応援しています。


温川5号泉(温川菊池1号泉)・6号泉(温川菊池2号泉)・8号泉(温川菊池3号泉)混合泉
ナトリウム・カルシウム-硫酸塩・塩化物温泉 69.5℃ pH7.1 湧出量測定不可(自然湧出) 溶存物質1.389g/kg 成分総計1.395g/kg
Na+:291.1mg(68.73mval%), Ca++:104.7mg(28.34mval%),
Cl-:225.7mg(34.64mval%), SO4--:465.1mg(52.64mval%), HCO3-:137.4mg(12.23mval%),
H2SiO3:117.2mg, HBO2:28.9mg,
(平成29年6月30日)

青森県平川市切明津根川森1-32
090-2450-3852
FACEBOOK

冬季休業
日帰り入浴時間不明
700円
シャンプー類・ドライヤーあり、ロッカー見当たらず
営業期間や時間などはFACEBOOK等でご確認ください

私の好み:★★★












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南部縦貫鉄道 七戸駅でレールバスに逢う

2019年01月14日 | 旅行記
※今回記事は温泉と関係ありません。あしからず。

前々回およびその前の記事では、青森県七戸町の温泉を取り上げました。現在七戸町には東北新幹線の「七戸十和田駅」が営業しており、町の玄関口としてビジネスや観光のお客さんに利用されていますが、1997年までは南部縦貫鉄道という零細規模の私鉄が運行されており、東北本線野辺地駅を起点とするローカル列車の終着駅が七戸駅でした。
廃止から20年以上の歳月が流れ、当時の線路は殆ど撤去され、往時の様子を偲べる光景はあまり残っていませんが、七戸駅だけは廃止された当時のままの姿で保存されているらしいので、当地を温泉巡りした際に立ち寄ってみることにしました。



まずは車で七戸駅前へ。くすんだ色合いの古い駅舎が哀愁を漂わせていますが、廃止から20年近くが建つ今日でも「南部縦貫鉄道」の文字がいまだに大きく掲げられています。国道4号沿いを中心として、近年町内にはロードサイド型の大きな店舗が次々に建つようになりましたが、いまでは鄙びて見えるこの駅舎も、昭和の頃まで遡ると町内屈指の大きさを誇る建築物ではなかったかと思われます。駅前の広い空地は、かつて駅前広場として使われていたスペースなのでしょう。私が訪れた時にも、この駅前には十和田湖エリアにある温泉宿の看板が残っていました。


 
駅舎のドアが開いていたので中へ入ってみますと、かつて待合室だったと思しき空間には、当時の運行管理に使われていた備品類がたくさん展示されていました。


 
かつての備品類とともに、列車が走っていた当時の写真もたくさん展示されており、さながら博物館のようでした。
駅の出札窓口は駅見学の受付窓口となっており、現在は七戸町観光協会の方が対応してくださいます(土曜・日曜の10:00~16:00)。私が訪ねると、窓口のスタッフの方が私に声をかけ、わざわざ表へ出てきて「レールバスを見ませんか」と案内してくださいました。

レールバスとは、かつて南部縦貫鉄道で旅客を運んでいた小型の気動車。鉄道車両にもかかわらず、バスを思わせるような小型車体であり、かつ実際にバス用の部品を流用することによって製作コストの抑制を図っています。日本では戦後間もない頃に国鉄が地方の閑散路線へ投入し、民鉄では北海道と東北で1社ずつ導入されました。その1社が南部縦貫鉄道です。たしかにコスト抑制という目的は果たされたのかもしれませんが、輸送力が弱く車体の耐久性も劣るために導入実績が少なく、運用された路線でも早々に撤退していきました。その中で南部縦貫鉄道だけは旅客輸送の主役として、路線の廃止まで35年以上もレールバスの運行を続けてきました。いわば南部縦貫鉄道の顔がレールバスなのです。その顔に逢えるというのですから嬉しいではありませんか。


 
まずは駅舎から出て、以前旅客の皆さんが歩いたはずの動線を辿って、かつての駅構内へ出ました。行き止まりの線路2本にそれぞれホームが設置されています。



線路やホーム、そして腕木式信号機に至るまで当時のまま。目を瞑るとガタンゴトンというジョイント音が聞こえてきそうです。列車がやってきても不思議ではない雰囲気に、私は心をすっかり奪われて、その場に立ち尽くしてしまいました。



ホームの隣に機関庫があります。観光協会の方に裏のドアを開けてもらい、機関庫の中へとお邪魔します。


 
裸電球が暖色系の淡い光を照らす薄暗い庫内には、グリスの匂いがふんわり漂っていました。
現在、南部縦貫鉄道の一部車両はボランティアの方々によって動態保存されており、この機関庫内でその作業が行われています。私が訪問した日も東京からやってきた方が作業着をまとい、工具を握っていらっしゃいました。また年に数回は実際に旧七戸駅構内で車両を動かすのですが、その際に使われたと思しきヘッドマークが作業場の前に提げられていました。


 
庫内では複数の車両がお休みしています。
手前側に止められている青い車両は機関車。2両あり、1台は昭和37年の開業時に導入されたD451。もう1台は秋田の羽後交通からやってきたDC251。沿線の天間林村から砂鉄を輸送する計画があり、その貨物輸送の担い手として導入されたのがD451でしたが、砂鉄による製鉄の計画が頓挫してしまったため、実際のところ砂鉄輸送はあまり行われず、活躍の機会は少なかったそうです。


 
秋田からやってきたDC251は、マニア的には面白い車両です。というのも、駆動輪がロッド式なのです。蒸気機関車では当たり前ですが、ディーゼル機関車ですとあまり見当たらず、現在動けるロッド式の機関車は、津軽鉄道や関東鉄道に残っている非常に古い車両ぐらいではないでしょうか。このDC251は車体のカバーが開けられ、中のエンジンが見られるようになっていました。



機関車の隣のラインには、国鉄から譲渡されたキハ104(国鉄時代はキハ10 45)が大きな図体を休めていました。いや、一般的な鉄道車両と同格の大きさなのですが、小さな車両ばかりのこの鉄道では相対的に大きく見えてしまいます。


 
高度経済成長期に設計・製造された国鉄車両が履く台車といえばコイルバネ台車。このキハ10もその例外ではありません。保線状態が良くなかったと思しきこの路線では、走行中に結構揺れたのではないでしょうか。いや、揺れるほどスピードを出さなかったのかも。
また戦後の国鉄気動車に標準装備されたDMH17エンジンもしっかり搭載されています。戦前に基本設計が行われ、改良が加えられながらも昭和50年代まで製造され続けた、恐ろしいほどのロングラン製品であり、千葉の小湊鉄道などではいまだに現役です。戦後日本の鉄道界を支えた功労者であると同時に、日本鉄道界のディーゼルエンジン開発が世界に比べて遅れてしまった原因のひとつでもあり、それゆえ毀誉褒貶の大きな存在なのですが、カランカランというDMH17独特のアイドリング音は、ローカル路線を旅した昭和の人間の記憶にしっかり刻まれているはずですから、その音を耳にすると昔日の旅の記憶が呼び覚まされ、きっと旅情を駆り立てられることでしょう。



そして、南部縦貫鉄道の顔。レールバスの登場です。
この日は機関庫の扉を開けてくださったので、良い状態で撮影することができました。



開業時に導入された2両のレールバスが、ボランティアの手により丁寧に動態保存されています。いかにも昭和らしい丸みを帯びたモノコック車体の意匠がかわいらしいですね。



バスのように幅が狭くて天井が低い車内には、ビニルクロス張りのロングシートが向い合せに設置されており、その上には網棚も設けられています。窓は2段式ながら開閉できるのは下段だけで上段はHゴムで嵌め殺されている、いわゆるバス窓というタイプですね。天井や壁を留める無数のリベットが昭和を感じさせます。



内開きの折り戸式ドアもバスそのもの。


 
運転台の後ろには、かつての料金表が掲示されていました。また車端部にはキハ102の表記と「富士重工 昭和37年」の銘板が残っていました。この車両を製造した富士重工(現スバル)は、1980年代に入って再びレールバスの開発に取り組み、第三セクターを中心にして全国各地の鉄道会社で採用されていきましたが、その後富士重工自体が鉄道車両の製造から撤退しています。



運転台。
左のレバーがスロットルレバー、右の出っ張りがブレーキ弁ですね。一般的に日本の鉄道車両は、左側へ偏った位置に運転台がセッティングされていますが、このレールバスは中央に設置されているんですね。



このレールバスで特徴的なのが、クラッチを操作してギアを変えること。一般的な鉄道のディーゼル車両は液体変速機を採用しているため、クラッチは必要ありませんが、この車両はMTの自動車と同じくクラッチを踏んだ状態でギアを変えるのです。このため運転にはコツが要り、熟練した運転士でないと操作に難渋したものと思われます。
この画像では見にくいのですが、スロットルレバーや計器類がある下の空間にクラッチぺダルがあり、その右側には長いクラッチレバーが立ち上がっていて(※)、ギアチェンジする度に、クラッチを踏んでレバーを操作していたんだそうです。
(※)展示時はレバーが取り外されていました。


 
2両並ぶレールバス。1980年代以降に開発された第二世代のレールバスですら、もう全国から姿を消してしまった今日。レールバスが2両並ぶ姿が見られるのは奇跡としか言いようがありません。
その中の1両であるキハ101は、上述のキハ10と連結していました。車体の大きさの差は歴然としており、親と子供ほど違うことが一目瞭然です。


 
サボ(※)に書かれた「七戸←→野辺地」の文字は、南部縦貫鉄道の起点と終点を示しています。現役時代は全列車が起点と終点を往復し、途中で折り返す列車は無かったそうですから、このサボをぶら下げて走る意味があったのかどうか・・・。
(※)行先表示板のこと。サイドボードの略。
車体へ直に書かれた表記によれば定員は60名。上述のキハ10は92名だそうですから、その3分の2程度であり、現在の路線バスよりも少ない収容数です。しかも晩年は40名程度に制限されていたそうですから、同じ区間を旅客輸送するならこの車両よりもバスで運行した方がはるかに効率的ですね。廃止も止むを得なかったのでしょう。


 
台車は、鉄道では一般的なボギー式ではなく、いまどきの貨車でも採用されていない二軸式です。車体の長さが10メートル程度なので、ボギー台車にしちゃうと床下スペースを台車に占領され、機器類が配置できなくなってしまうのですね。



エンジンは日野のバス用エンジン。上述のキハ10に搭載されている国鉄標準のDMH17エンジンに比べてはるかに小型ですね。かわいらしい車体にはこのエンジンで十分だったのかもしれません。

私の訪問時、レールバスたちは機関庫内でお休みしていましたが、年に何回かはボランティアの手により旧七戸駅構内を走り、特定日には体験乗車もできるんだとか。詳しくは「南部縦貫レールバス愛好会」のウェブサイトをご覧ください。

ネット上には現役時代の様子を捉えた動画がいくつも上がっていますが、ここではその中から2つをご紹介します。

レールバスの元祖 南部縦貫鉄道キハ10【レイルリポート #26 Classics】


なつかしの南部縦貫鉄道(乗車)前篇


ボランティアの方々が手弁当で車両を整備し、そして企画運営を行い、町の観光協会の方が親切丁寧に対応してくださっているからこそ、南部縦貫鉄道は廃止後もその姿を留め、新たな元号を迎えることができるのですね。関係している皆様に敬意を表するとともに、応援する意味で、旧七戸駅から立ち去る際には複数の切符類を購入させていただきました。今度は是非動いているレールバスに会ってみたいものです。

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コメント (4)
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