湯の峰温泉で一晩お世話になったお宿は、公衆浴場から程近い川沿いに位置する「民宿くらや」さん。当地に数あるお宿の中からこちらを選んだ理由にはいろいろあって、まず一人客を受け入れてくれること、そして2食付きながらとってもリーズナブルなこと等、現実的な面も大きいのですが、何よりもこの古風で純和風の情緒あふれる佇まいに心が惹かれたのでした。日中でも十分絵になる外観なのですが…
日が暮れて辺りが完全に闇に包まれる直前の、薄暮の時間帯に川沿いの道から見上げると、熊野詣の長い歴史とマッチした、より一層ノスタルジー溢れる光景を目にすることができました。
古風な旅館建築を見上げつつ玄関の戸を開けますと、民宿だけあって館内はアットホームな雰囲気です。「ごめんください、今晩お願いしている者です」と声をかけて自分の名前を告げますと、丁寧な接客の女将さんが昔の建物らしい急な階段を上がって2階の客室へと案内してくださいました。なおこちらのお宿には客室が5室しか無いんだとか。
今回通された客室は川を見下ろす客室は6畳の和室で、古い造りですが綺麗に手入れされており、冷蔵庫は無いもののエアコンやテレビは備え付けられています。なおこの部屋の隣にある角部屋は、眺めの良さゆえに某梅酒のCMに使われて有名になったらしく、そこを指定するお客さんも多いそうです。
窓の下には川が流れ、正面には当地屈指の有名旅館「あづまや」が建ち、川の上流側では湯筒から湯気が朦々と白い湯煙を上がっていました。浴衣姿の美人さんが客室の窓にもたれて外の景色を眺めていたら、落ち着いた風情の中に婉然さが佇む、まるで昭和の絵葉書のように落ち着いた秀麗な景色になるのでしょうね。でもこの日この窓から首を出していたのは、残念ながら艶やかな美人ではなく脂たっぷりのオッサンなのでした。
夕食は18:00か18:30のいずれかを選択し、1階の広間でいただきます。この晩の献立は、ジビエのシカ肉、豚の陶板焼き、ニジマスの甘露煮、大根と肉の煮物、めはりずし、ごま豆腐、ゴボウのマヨネーズ和え、といったいかにも山間の宿らしいラインナップ。
こちらは朝食。冷奴・タマゴ・シラス・コンニャクの煮物・海苔・お漬物といった献立で、それぞれが小鉢に品よく盛られており、パッと見ではボリュームが少ないように思えるのですが、きちんと植物性および動物性両方のタンパク質が摂取できますし、山の宿らしい素朴なおかずだからこそご飯が進み、気づけばお櫃を空にしてしまいました。
お風呂は内湯ではなく離れになっています。画像のような木造で瓦葺きの共同浴場みたいな趣きの湯屋が川岸に取り付いており、母屋の玄関から表に出て、段を下りてこの湯屋へと向かいます。この趣きある離れの湯屋も、今回こちらのお宿を選んだ大きな理由です。
お風呂は夜通し入浴できますが、明かりは少なく、表には小さな傘が付いた裸電球が一つあるだけで、浴室内も必要最低限の照明が設けられてるばかりです。夜中に入浴する際には足元に注意しましょう。でもその薄暗さが何とも言えない風情を醸しだしてくれるんですよね。
湯屋の表にはお湯汲み場があり、手桶代わりの雪平鍋が縁に置かれたコンクリ枡には、激熱のお湯が張られていました。そして湯汲み枡の上には蓋が被せられた湯溜まりがあり、その周りは温泉成分の付着によってデコボコになっており、部分的に緑色に変色していました。
外観のみならず湯屋内部も共同浴場みたいな渋い雰囲気で、廊下は昼でも薄暗く、男女別浴室入口の前には共用の流し台が1台、ポツンと設置されています。
この湯屋の川に面している壁はよくある木造モルタル塗りなのですが、山側は斜面の擁壁をそのまんま壁にしているらしく、言い方を変えれば湯屋が山側に若干食い込んでいるような感じで、戸を開けて脱衣室に入ると、石を埋め込んで化粧しているコンクリの擁壁が目の前に迫ってきました。その脱衣室は2段の小さな棚にプラ籠が3つあるばかりの極めてシンプルな造りです。
浴室も実にコンパクトで、山側の壁は脱衣室同様に石積みのコンクリ擁壁、他は無塗装のモルタル壁となっており、そうした地味な佇まいは正に地元住民専用浴場の雰囲気そのものです。室内の限られたスペースにお風呂お構成する要素がギュッと詰め込まれており、山側には2人サイズの浴槽がひとつ据えられ、残された空間に真湯が出てくるシャワーが1基のみ取り付けられています。この洗い場スペースはかなり狭く、一人でも洗い場を使うと他の入浴客は湯船に逃げざるを得ません。
一見すれば無機的で飾り気が無さそうに思われる浴室ですが、お風呂の主役である湯船は檜造りであり、縁には白木が用いられていたり、山側の縁には竹竿が横にわたされていたりと、品の良さや温もりがさりげなく施されています。
湯の峰温泉では何本かの源泉があり、宿によって引かれている源泉は異なりますが、こちらのお宿で使われているのは「龍ノ湯源泉」です。浴室内には少々の刺激を伴う硫黄臭が充満しており、表にある湯溜まりから供給されていると思しき耐熱塩ビのバルブ付き配管からお湯がチョロチョロと湯船へ落とされています。湯口の上には「源泉掛け流し 温泉を止めないで下さい」と記されたテプラの他、「高温注意」の札が2枚も貼られており、その注意喚起の通り、配管の先から吐出されるお湯は激熱ですので、直に触れると火傷必至なのですが、極力加水を避けるためか、投入量を絞ることによって湯加減の調整を図っていました。とはいえ、先客がしばらくいないと入浴できないほど熱くなってしまうので、適宜加水用の蛇口や湯もみ棒でお湯を冷ますことになります。
お湯の見た目は基本的に無色透明で、消しゴムのカスみたいな形状の白や黒の湯の華が沈殿もしくは浮遊しているのですが、状況に応じてお湯の色は変化するらしく、私は宿泊中に3度入浴したところ、ある時は底まで霞無くクッキリ見えるほど透明であったり、別の時には灰白色に弱く濁っていたりと、コンディションによって見え方が異なっていました。
湯口のお湯をテイスティングしてみますと、匂い・味ともに卵黄と卵白を混ぜたような硫黄的な知覚が明瞭であり、ほろ苦さや微かな塩味も伴っています。入浴中の肌をさするとサラスベとキシキシが混在して得られますが、どちらかと言えばキシキシの方が優っていたようでした。ノスタルジー溢れる質素な浴室で、歴史ある熱いお湯に浸かっている時間は、なんとも言えない極上のひと時でした。
同じ晩に泊まったお客さんの中には、熊野古道のハイキングに向かうべく早朝に出発していった一人の男性客もいましたので、こちらのお宿ではそのようなイレギュラーなチェックアウトをするお客さんも受け入れているようです。風情は良いし、リーズナブルだし、それでいてお湯も素晴らしいという、非の打ち所がない素敵なお宿でした。
龍ノ湯
含硫黄-ナトリウム-炭酸水素塩・塩化物温泉 pH7.3 溶存物質1.763g/kg 成分総計1.781g/kg
Na+:448.4mg(91.63mval%), Ca++:20.3mg(4.75mval%),
F-:11.0mg, Cl-:251.0mg(31.62mval%), HS-:2.8mg, S2O3--:2.0mg, HCO3-:774.9mg(56.72mval%), CO3--:54.0mg(8.04mval%),
H2SiO3:162.8mg, H2S:0.5mg,
熊野交通(川丈線(川湯・湯の峰温泉経由))・
龍神バス(熊野本宮線)・
奈良交通(八木新宮線)、いずれかのバスで「湯の峰温泉」停留所下車
和歌山県田辺市本宮町湯の峰温泉99
地図
0735-42-0148
ホームページ
日帰り入浴の可不可は不明
シャンプー類・ドライヤーあり
私の好み:★★★