温泉逍遥

思いつきで巡った各地の温泉(主に日帰り温泉)を写真と共に紹介します。取り上げるのは原則的に源泉掛け流しの温泉です。

昭和町 ホテル昭和

2015年06月29日 | 山梨県
 
多摩丘陵にある我が家からですと、山梨県はたっぷり遊んでも余裕で日帰りできてしまう近距離にあり、当地へ出かけてもその日のうちに帰ってしまうことがほとんどなのですが、昨年12月の某日、別段仕事や所用があるわけでもないのに、わざわざ甲府近郊へと出かけて1泊宿泊してまいりました。その目的とは宿泊客しか利用できない温泉に入ること。往来の激しい国道20号甲府バイパス沿いに建つ、ちょっと古びたビジネスホテル「ホテル昭和」がその宿泊先であります。温泉ファンの間では夙におなじみのホテルであり、ネット上にも多くのレポートが上がっていますが、入浴のみの利用が不可であるため、いままで私は訪れる機会が無かったのでした。
正直なところ、時代遅れな外観からはホテルとしてあまり期待できそうにないのですが、中央道の甲府昭和インター至近にある上、料金設定が低く、しかも後述する素晴らしい温泉に入れるため、車で移動する出張族や工事関係者から篤い支持を受けており、この日も駐車場には東北から関西に及ぶ広範囲のナンバープレートがたくさん並んでいました。口コミによる評判が広がっているのか、これと言ったイベント等の無い平日なのに、満室となる日も多く、この時も空室がある日に合わせて行動予定を立てたのでした。


 
フロントでは程よく力の抜けた石川さゆり似の方が朗らかに対応してくださいました。今回案内されたお部屋は3階のシングルルーム。建物は3階建てなのですが、エレベーターはありません。安いホテルですからその点は割り切って考えないといけませんね。客室が並ぶ廊下には、自由に使える電子レンジが用意されていますので、コンビニでお弁当を買ってくるのも良いのですが、バイパス沿いには飲食店がたくさんありますから、食事に困ることはないかと思います。
なお宿泊料金には軽い朝食が付いており、1階の小部屋にてパンとドリンクの無料サービスをいただけます。朝食用の部屋が狭いため、パンなどは部屋に持ち帰ってもOK。別途料金で定食も用意してくれるようです。


 
シングルルームの様子。建物自体はかなり草臥れているのですが、清掃も行き届いていますし、ひと通りのアメニティ、ポットやお茶関係、テレビや冷蔵庫、そして空調(ファンコイル)も完備、有線LANもWifiも使えますから、ビジネスホテルとして十分に合格点。料金を考えればむしろコストパフォーマンスに優れたホテルと言えるでしょう。後述するように男性客がメインであるためか、テレビではエッチなチャンネルが無料で視聴できるサービスもありますから、出張族のお父さんにはささやかなご褒美となるに違いありません。


 
室内にはユニットバスも備え付けられているのですが、私は晩も朝も大浴場を利用したので、部屋のシャワーは使いませんでした。内線電話は今どき珍しいダイヤル式。


 
さて本題の温泉へと話題を移しましょう。ホテル玄関の左手に浴場入口があるのですが、そこには「カアナパリ」という謎の文字が記されていました。どうやら浴場名のようですが、この5文字にはどんな意味があるのでしょうか。

ところで、ホテルご自慢の大浴場はひとつしかなく、多くの時間帯は男湯として設定されているため、女性は午後11時以降(土日は午後10時以降)という限られた時間帯しか利用できないのが残念なところです。バイパス沿いのビジネスホテルという性質上、かつて男性客がほぼ全てだったのでしょうし、私が宿泊した日も男性客しか見かけませんでしたが、営業のメインであるホテル棟を古い建物を修繕しながら使い続けているわけですから、いまさら浴場を改造したり増設するような可能性は低いかと思われ、今後もこのスタイルは続いていくのでしょう。深夜0時以降は貸切利用できるので(フロントにて要予約)、ちょっと夜更かししないといけませんが、ご夫婦やカップルなどで宿泊の際は、思いっきり貸し切っちゃうのも一つの手ですね。


 
数年前にアップされたネット上のレポートを拝見すると、館内はまさに「男のためのサウナ」といった地味で実用的な佇まいだったようですが、時代の流れを意識するようになったのか、脱衣室まわりの内装はリニューアルされており、「あれ?ここってエステ?」と勘違いしてしまうようなエスニック調の飾り付けなどが施されて、全体的に小奇麗になっていました。普段からオシャレとは無縁な生活を送る野暮な野郎であっても、綺麗に装飾を目にすれば自ずと気分も高揚するものです。


 
温泉施設ならどこにでもありそうな洗面台であっても、このように手前にストリングカーテンを垂らすことによって、趣きが全く変わってしまうのですね。大規模な工事ではなく、ちょっとした創意工夫でもイメージを変える大きな効果をもたらすようです。脱衣用の棚&籠は2ヶ所に分かれて設置されているのですが、混んでいなければ最奥の浴場入口直前にある棚の方が便利かと思います。なおロッカーが無いため、ルームキーはフロントに預けることになります。


 
お風呂は内湯のみ。真ん中の小浴槽や奥の主浴槽へ勢いよく注がれるお湯の音が室内に木霊していました。右手にはシャワーが並び、左手にはサウナなどが配置されています。床にはベージュ色の小さな丸タイルが敷き詰められているのですが、浴槽のオーバーフローが流れる箇所は赤茶色に染まっていました。


 
洗い場のシャワーは9基設置されており、カランから出てくるお湯は温泉です。ボディーソープ・シャンプー・コンディショナーも完備。客室からタオル1枚持参するだけで利用できますね。


 
 
このお風呂で大変ユニークなのが、室内に設けられた冷凍室です。はじめこの札を目にした時には「ウソだろ」と呟いてしまったのですが、総ステンレスの躯体はまさに業務用冷凍庫そのものであり、戸を開けて中に入ってみますと、サンデン製の冷凍ユニットが稼働してキンキンに冷えており、本当に冷凍室なのでした。室内にはベンチが2脚置かれているので、人間様のために設置されていることに相違ないのですが、戸を閉めて強い冷気に当たっていると、肥えた自分が食肉加工場で冷蔵保存されている豚肉と同等に思え、図らずも風呂場で家畜達の気持ちが少しだけ理解できたような気がしました。温度計は-38℃を差していましたが、さすがにこれはウソだろ…。
お風呂に設置されている冷凍室なんて生まれて初めてお目にかかったわけですが、湯船に浸かり火照った状態で入室すると、意外にも気持ち良いんです。水風呂の冷たさは慣れないとかなり身に堪えますが、この冷凍室でしたら水風呂の緊張感とは無縁で気軽にクールダウンができ、実際に私も何度かこのステンレスの小部屋に出入りしてクールダウンと温泉の温浴を繰り返しました。


 
屋外の駐車場からホテルを眺めますと、バイパス側に向かって平屋の建物が大きく出っ張っているのですが、この出っ張りこそ浴場部分であり、その出っ張っている一番先っちょ(浴室内から見れば最奥)に2つの浴槽が並んでいます。左側の小さな方は水風呂です。浴槽の側面を見ますと、後述する大きな主浴槽はタイルが赤茶色に染まっているのに対し、水風呂はその気配が全く無く、その違いは一目瞭然です。


 
一方、その右側にある主浴槽には、配管から大音響を轟かせながら温泉がドバドバ吐出されており、並行して設けられている塩ビ管から温度調整のための加水も行われていました。お湯と水の双方を合計すると、果たしてどのくらいの量になるんだろう…。とにかくもの凄い量に圧倒されます。浴槽の大きさは目測で7m×3mほどで、10人かそれ以上は同時に入れそうな容量がありますが、投入量があまりに多いものですから、槽内のあちこちで対流が発生しており、また窓下の排水口だけでは排水が間に合わず、洗い場側へもドバドバと溢れ出ていました。温泉成分の付着に寄って浴槽のタイルは全体的にドス黒い感じの赤茶色に染まり、上述の水風呂と同じ色のタイルを使っているとは信じられず、実際にはレンガではないかと勘違いしてしまうほどです。
底面には泡風呂と思しき装置が埋め込まれており、また側面にはジェットバスの噴出口らしきものも設置されていたのですが、いずれも稼働していませんでした。加水により長湯したくなるような、ややぬるめの湯加減に設定されており、湯船に浸かった途端、微睡みそうになりました。


 
凄いのは投入量だけではありません。湯口付近では気泡が大量発生しており、そのあまりの多さゆえ、広範囲にわたって湯船が白濁して見えるのです。実際に目にした時には驚きました。


 
もちろんこのすさまじい気泡は入浴中の体にも付着します。湯船に入って肩まで浸かると、あっという間に全身が泡だらけになりました。泡付きの量も多ければスピードも凄まじく、アワアワな温泉が大好きな私は、湯船に浸かった瞬間の微睡みを忘れ、その様子に大興奮して湯中で腕を何度も擦り、泡が繰り返し付着する様子を楽しんでしまいました。甲府盆地に湧く温泉ではしばしば気泡の付着が見られますが、この激しい泡付きは韮崎旭温泉や山口温泉などといった当地の名湯に匹敵するほどであり、個人的にはこの2湯とともに「甲州の泡湯三羽烏」という称号を差し上げたい!


 

洗い場の前にセッティングされた2人サイズの小浴槽には、加水の無い100%源泉そのままのお湯が注がれています。湯船にお湯を吐出しているカランには、ベージュや茶色の成分付着が見られ、そのまわりの浴槽も黒く染まっています。主浴槽ほどではありませんが、こちらでも槽内に勢いの良い流れを生み出すほどの量が投入されており、湯口と反対側の槽内では、壁に当たった流れが対流を起こして部分的に白濁していました。加水が無いので主浴槽よりもやや熱めの43℃前後の湯加減。惜しげも無くドバドバと溢れ出ており、槽の側面はそのお湯によって赤茶色に染まっています。

お湯は薄い琥珀色を帯びており、両浴槽においても底がはっきり目視できる透明度を有しています。明瞭な金気味とほろ苦い重曹味、そして金気臭を伴うモール泉の匂いがしっかりと伝わってきます。端的に表現すれば、金気の主張が強いモール泉といった感じでしょうか。ヌルヌルやトロミを伴うはっきりとしたツルスベ浴感が大変気持ち良く、しかも夥しい泡付きによるエアリーな感触も加わって、実に滑らかで軽やかな、夢心地の湯浴みが堪能できました。お湯から上がった後の肌はいつまでもサッパリ&サラサラで爽快感が持続。なかなかの名湯です。一晩で3回もこの大浴場を利用してしまいました。



残念なことに館内には温泉分析表の掲示が無く、フロントの方にも伺ったのですが、その手のものはわからないとのことでした(ま、実際にはどこかにあるのでしょうけどね)。主浴槽の上に掲示されている上画像のプレートが、泉質を知る唯一の手掛り。昭和60年に単純温泉として分析されたらしく、私の体感では確かに現在でも単純泉かと思われるのですが、おそらくナトリウムイオンと炭酸水素イオンの含有量が大きい、すなわち重曹を多く含む温泉ではないかと推測されます。
正直なところ、地味な外観と怪しげなネオンサインを目にしたときには、期待よりも不安感の方が優っていたのですが、実際に入浴してみて、あまりの浴感の良さ、そして泡付きの激しさにすっかり感動し、昨年末の拙ブログにおける「2014年の温泉十傑」で、そのひとつに選ばせていただきました。長閑な田園地域でも、人里離れた山間部でもなく、車やトラックがひっきりなしに行き交う国道のバイパス沿いで、まさかこんな素晴らしいお湯に出会えるとは! さすが甲府盆地の温泉は素晴らしいですね。


分析表掲示なし(単純温泉)

山梨県中巨摩郡昭和町西条3682-1  地図
055-226-1521
ホームページ

日帰り入浴不可

私の好み:★★★
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石和温泉 文寿荘

2015年06月27日 | 山梨県
 
 
前回記事では石和温泉でも稀有な自家源泉を有する宿を取り上げましたが、今回は集中管理・配湯されているお湯を放流式にしている「文寿荘」へ立ち寄り、入浴利用してまいりました。2階建ての質素で渋い建物なのですが、温泉街の真ん中を貫く近津用水に沿って位置しており、看板も立っていますので、迷うこと無くたどり着けました。水の潤いと並木の景色が美しい、閑静な環境です。
壁に張られたプレートには「立寄り入浴出来ます(天然温泉)」の文字があるように、日帰り入浴の利用もウェルカム。駐車場も確保されていますので、車でのアクセスも問題ありません。


 
玄関へお邪魔しますと、ちょうどお風呂から上がったばかりの地元のお婆さんがいらっしゃり、タオルで汗を拭いながら「ここのお風呂はよく温まるよ」とにこやかに教えてくださいました。なんともほのぼのとした空気感に、こちらの頬も思わず緩みます。石和温泉って大規模な旅館が多いイメージがありますが、こんな庶民的な佇まいのお宿もあるんですね。女将さんに湯銭を支払い、玄関左側にある暖簾を潜って浴場へ。


 
年季の入った建物ですが、館内はきちんと清掃されており、私が利用した範囲内で特に古さが気になることはありません。脱衣室にはユニットタイプの洗面台が1台置かれ、扇風機も設置されています。私が訪れたのは冬季でしたが、石油ファンヒーターが焚かれ、寒さを気にせず着替えられました。洗面台脇に据え付けられている古い髭剃りの手動販売機は、昭和の温泉に欠かせないグッズであります(現在は使用中止のようです)。


 
お風呂は男女別の内湯のみ。冬の浴室なので湯気が篭っており、しかも私のデジカメが安物ゆえホワイトバランスが上手くいかず、見辛い画像になってしまって恐縮です。中央の楕円形浴槽が印象的な浴室は、天井の低い造りに建築された時代を感じさせますが、壁や床にはオフホワイト系のタイルが貼られており、しかも男湯は駐車場に面して2方向がガラス窓になっているため、訪問した日中にはとっても明るい室内環境が生み出されていました。



洗い場には4基のシャワー付きカランがL字型に配置されています。カランから出てくるお湯を口にしてみますと、水道水とはちょっと毛色の違う、後述する湯口と同じ感触が得られたのですが、源泉使用なのか、ボイラーで沸かした井戸水なのか、はたまた単なる水道水で私の知覚が出鱈目なだけなのか…。


 
楕円形の浴槽は7~8人サイズで、最大幅タテ5m×ヨコ3mといったところ。縁は黒御影石で、槽内はタイル貼りです。縁の御影石表面には白い析出が薄っすらとこびりついているのですが、お湯がオーバーフローする部分(上画像では槽の左下部分)だけは石材本来の黒い輝きが維持されていました。恒常的にこの部分からお湯が溢れ出ているものと推測されます。槽内に吸引口などは確認できず、また帳場脇に掲示されている「温泉の成分等の掲示届」には「掛け流し」と記載されていますので、放流式の湯使いと断定して間違いないでしょう。


 
浴槽縁と同じ石材と思しき黒い御影石の枠組みからお湯が投入されており、私が湯船に入りますとザバーっと音を立てて一気に溢れ出ていきました。ただ、投入量は決して多くないため、一度溢れさせちゃうと嵩がガクッと減ってしまい、暫くはオーバーフローが見られません。
山梨県の温泉浴場では、全国標準よりもややぬるめに設定されている湯船が多いのですが、ご多分に漏れずこちらもややぬるめであり、私の体感で41℃前後でした。上述の掲示届には「入浴に適した温度に保つため加温しています」と記載がありますので、ボイラーなどで適宜温度調整されているのでしょう。
お湯はほぼ無色透明ですが、槽内タイルの影響なのか、僅かにライムグリーンを帯びているようにも見えます。また湯中をじっくり観察しますと、まるでガラス繊維のような白くて細かい浮遊物がチラホラ舞っていました。味としては微塩味+弱芒硝味+ほろ苦味。湯口や浴室内に漂う湯気からは、ふんわりとした芒硝臭が嗅ぎ取れるほか、ツーンと鼻孔を刺激するハロゲン系の臭いも僅かに確認できました。「掲示届」によれば「衛生管理のため塩素系薬剤を使用しています」とのことですから、その消毒薬の臭いなのでしょう。といっても、そんなに気になるほどではなく、指摘されなければ気づかない方もいらっしゃるかと思います。
湯船の中ではアルカリ性泉らしいツルツル感が優しく肌を包んでくれ、長湯仕様の湯加減で滑らかなフィーリングをじっくり味わえるのですが、玄関で声をかけてくれたお婆ちゃんの言葉の通り、意外にも温浴効果が強く、体の芯までしっかり温まって、湯上がりにはいつまでもポカポカ感が持続しました。泉質名こそアルカリ性単純泉ですが、味や匂いからは硫酸塩泉らしい特徴が得られるように、浴感でもアル単の枠を超えた硫酸塩泉的なパワーを有しているのでした。
湯船から上がって脱衣室で服を着ていると、地元のお爺さんがご自分の風呂道具を小脇に抱えて、続々とやってきてきました。どうやら地元からは銭湯のような感じで愛されているのですね。渋い佇まいのお風呂で、石和の湯の実力を実感できる、粋人向けのお宿でした。


石和温泉管理事務所給湯口(源泉貯湯槽)
アルカリ性単純温泉 45.9℃ pH9.1 溶存物質293.7mg/kg 成分総計348.9mg/kg
Na+:94.5mg(89.93mval%), Ca++:7.6mg(8.32mval%),
Cl-:79.5mg(47.66mval%), Br-:0.3mg, OH-:0.2mg, SO4--:61.1mg(27.02mval%), HCO3-:26.8mg(9.36mval%), CO3--:20.4mg(14.47mval%),
H2SiO3:49.6mg,
「温泉の成分等の掲示届」に「衛生管理のため塩素系薬剤を使用しています」「入浴に適した温度に保つため加温しています」との記載あり

JR中央本線・石和温泉駅より徒歩10分(800m)
山梨県笛吹市石和町山崎132-30  地図
055-262-2915

日帰り入浴14:00~20:00
500円
ボディーソープあり、貴重品帳場預かり、ドライヤーなし

私の好み:★★

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石和温泉 深雪温泉

2015年06月25日 | 山梨県
 
今回からは山梨県の温泉を連続して取り上げます。まずは笛吹市の石和温泉から。
甲府盆地は知る人ぞ知る名泉の宝庫であり、私も甲府盆地の温泉の大ファンなのですが、石和温泉は歓楽的要素が強く、しかも県企業局管理のお湯が各宿へ供給されているため、温泉愛好家からは敬遠されがちです。そんな中にあって、自家源泉のお湯をドバドバ掛け流しているという、当地では稀有な存在である「深雪温泉」で立ち寄り入浴してまいりました。


 
玄関の脇には雌カッパ(推定Bカップ)の石像が佇むモニュメントがあり、源泉のお湯が落とされていました。柄杓が置かれているので、飲泉できるのでしょうね。


   
私が訪れたのは昼過ぎの午後1時半頃。玄関は開いていたのですが、館内には人の気配が感じられず、一旦外に出て、電話で入浴の可否を確認してから、改めて帳場へ伺いました。浴室へ向かう廊下には、来訪したタレントさんのサイン、そして山田洋次監督のサインが書かれた「男はつらいよ 知床慕情」のポスターが飾られていました。
館内には趣きの異なる3つの浴室(柿・桃・ぶどう)があるのですが、この日は「柿の湯」へ通されました。


 
 
ウッディーな脱衣室はよく手入れされており、ひと通りの備品も用意されているので、とっても綺麗で気持ち良く使えました。ポットに入った冷水サービスもうれしいですね。なおロッカーは脱衣室ではなく帳場前に設置されています。室内には、山梨県の温泉ではおなじみT教授による解説文も掲示されていました。教授の定型文を目にすると、甲州の温泉にいることを実感します。


 
浴室の戸を開けると、室内に充満するモール臭やタマゴ臭がふんわりと香ってきました。私の大好きなその芳香を嗅ぐと、お湯への期待に胸が高鳴ります。オフホワイトの壁に臙脂色の浴槽がよく映えており、窓から降り注ぐ陽光も相俟って、室内は柔らかなぬくもりに満ちていました。湯船には2つの湯口から投入されているようですが、詳しくは後ほど。


 
洗い場にはシャワー付きカランが7基並んでおり、カランから吐出されるお湯は温泉です。備え付けの桶や腰掛けは、重厚感のある木工品。


 
目測で9m×3mというサイズを有するゆとりのある浴槽は、縁に赤御影石、槽内に鉄平石のような石板が用いられており、お湯の投入量が多いので、縁の全辺からザブザブと波を立たせながら大量に溢れ出ていました。この溢れ出しを見ているだけでも豪快な気分に浸れ、温泉風情をより高揚させてくれます。館内表示によれば完全放流式の湯使いであり、加水加温循環などは一切行われていないとのこと。この贅沢なオーバーフローを見れば、誰の目にも掛け流しであることは一目瞭然です。
湯船に張られているお湯はほぼ無色透明ですが、槽内で自分の肌を確認しますと、やや琥珀色を帯びているように見えました。


 
こちらのお宿が有する自家源泉は2つあり、それを浴槽でブレンドさせているんですね。単にブレンドさせるのではなく、湯口をきちんと別箇に分けているという点も素晴らしい。それだけお湯に自信があるのでしょう。2つの源泉はそれぞれ「完の湯」「熟の湯」と称し、ミックスされることによって完熟が完成するわけです。
上画像は「完の湯」の湯口。50℃前後の熱いお湯で、湯口周りは成分付着によって白く着色されており、お湯が落とされる湯面やその周辺では細かな泡立ちによってシルキーホワイトな弱い濁りを呈しています。お湯を口にしてみますと、金気を伴うモール泉的な風味と香り、ほろ苦み、そしてタマゴ味&匂いが感じられました。


 
一方「熟の湯」は35℃前後というぬるめのお湯ですが、「完の湯」に比べてモール感(特に金気)が弱い代わりにタマゴ感が強く、吐出口直下の湯面においては、気泡による微白濁が見られないかわりに、大小の泡が湯面(表面)を漂い、やがて消滅してゆきました。


 
湯中では泡付きが見られ、特に湯口付近で顕著でした。


 
屋外へ出ると、立派な露天風呂が待っていました。周囲を塀で囲まれているため、景色を眺めることはできませんが、庭園風の落ち着いた造りですし、空間自体も広いので、温泉気分を楽しみながら十分に寛げます。
「柿の湯」の露天風呂は、菱型を縦に2つ重ね合わせたような形状をしており、手前側はガッチリとした屋根が掛けられていますが、奥側は梁や桁等の骨組みの上に簾をかけることによって、通風性を高めているようでした。個人的には、奥側の槽の縁に設置された丸太の枕が気に入りました。ここに頭を載せて湯浴みすると、とっても気持ちよかったですよ。外気の影響を受けるためか、露天の湯加減はややぬるめの長湯仕様でしたので、私は丸太の枕に身を委ねて仰向けになりながら、時間を忘れてのんびり過ごさせていただきました。


 
露天風呂でも2つの源泉をそれぞれ別の湯口から投入して、槽内でブレンドさせています。露天のおける投入量も大変多く、縁の切り欠けから溢れ出ているお湯は、恰も川のような勢いをなしていました。
壁から直に出ている内湯と異なり、露天の場合はまず筧から蹲居に落とされ、そこから溢れたお湯が浴槽に注がれるという流れになっていました。お湯に含まれる硫黄の影響か、お湯が流れてゆく蹲居の表面(側面)は、湯の華で薄っすらと白く染まっていました。

湯中では薄く細かな白いタイプや、溶き卵のようなもの、そして黒い羽根状など、いくつかのタイプの湯の華がチラホラと舞っていました。なお内湯に比べて露天での泡付きは若干弱めだったような気がします。浴感としては薄めのモール泉といった感じで、甲府盆地で温泉ファンから支持される名泉に多い強いツルスベを有している訳ではないのですが、きちんとスベスベする滑らかな肌触りは飽きが来ず、優しく全身を包み込んでくれ、長湯するにはもってこい。大量掛け流しですから、鮮度感も抜群。露天は長湯向きの湯加減ですし、内湯も決して熱いわけではないのですが、不思議なことに温まりが結構強く、湯上がりは体の芯から温まって、ポカポカが長時間持続しました。
集中管理された石和のお湯は掴みどころが無くて個性に乏しいとお嘆きの方も、こちらのお湯に入れば、石和に対する固定概念を根底から覆されるでしょう。大変素晴らしいお湯でした。


1号源泉(完の湯)
単純温泉 50.8℃ pH8.2 573L/min

2号源泉(熟の湯)
アルカリ性単純温泉 pH8.50 36.0℃ 842L/min

JR中央本線・石和温泉駅より徒歩7分(600m)
山梨県笛吹市石和町市部822  地図
055-262-4126
ホームページ

日帰り入浴10:00~15:00(受付14:00まで)
1000円
ロッカー・シャンプー類・ドライヤーあり

私の好み:★★★



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フェリーと列車で北海道から三陸へ縦断 2014年夏 その3(完・普代の中華丼と盛岡の冷麺)

2015年06月23日 | 旅行記
前回記事「フェリーと列車で北海道から三陸へ縦断 2014年夏 その2(北山崎断崖クルーズ)」の続編です。今回記事にも温泉は登場しません。あしからず。

<<旅程>>
・1日目
帯広7:15→【十勝バス】→9:37広尾10:00→【JR北海道バス】→10:57襟裳岬(観光・昼食)13:27→【JR北海道バス】→14:20様似14:34→【JR日高本線】(※)→17:53苫小牧18:28→【室蘭本線】→18:35糸井駅(「しらかば温泉湯」で銭湯・夕食)19:51→【室蘭本線】→19:58苫小牧(タクシー移動)苫小牧港21:15→【川崎近海汽船「シルバープリンセス」】
(※)日高本線は現在鵡川~様似間が不通で、代行バスによる運行となっている。

・2日目
(船中泊)→4:45八戸港(タクシー移動)本八戸5:43→【JR八戸線】→5:49陸奥湊(朝市で朝食)7:28→【JR八戸線】→9:02久慈10:35→【三陸鉄道北リアス線】→11:30島越(北山崎断崖クルーズ・12:15発)13:58→【三陸鉄道北リアス線】→14:11普代(昼食)14:50→【三陸鉄道北リアス線】→15:47宮古15:53→【JR山田線】→18:08盛岡(夕食)19:50→【新幹線「はやぶさ36号」】→22:04東京
●今回の記事では下線部の旅程に関して述べている。



 
【13:58 島越駅・発】
観光船の港から駅へ戻ってきたのは13:15頃。1ヶ月前に再開したばかりの島越駅周辺は、まちづくりに向けての工事の真っ最中であり、誇張でも何でもなく、本当にお店が一軒も無いから昼食がとれない。かと言って、宮古方面へ先に進もうにも、次の列車は15:04まで無いから、空腹様態で2時間も待つのはかなりツラい。そこで、旅程をちょっと戻る形になるが、久慈行の列車で駅を2つ北上し、普代駅へ向かうことにした。
午前中に久慈から乗った宮古行の列車はツアー客で占拠されていたが、この久慈行の車内も胸にワッペンを付けた爺さん婆さんが元気にはしゃいでいた。河北新報2015年6月17日の「<三鉄>決算2期ぶり黒字 14年度」という記事でも伝えられているように、いまの三陸鉄道にとって復興支援をテーマにしたツアーは、本当に大きな支援となっているのだろう。実際に乗車してそのことを認識した。ただ、熱しやすく冷めやすい日本人のことだから、今年度以降はその熱がどうなることやら。


 
 
【14:11 普代駅・着】
普代駅で降りたのは私を含め3名。あの団体さんはどこで下車するのだろうか。
駅からすぐのところに村役場があるこの普代駅なら、徒歩圏に何かしらの飲食店があるだろう。



この駅は国鉄久慈線時代の昭和50年に開業。それゆえファサードの随所に国鉄風情が残っている。駅前ロータリーは妙にガランとしており、商店街があるわけでもない。私のアテは外れたのかと落胆しかけたのだが…


 
駅から歩いて2分もしないうち、村役場の前に食堂を見つけた。田舎の役場のまわりには、えてして飲食店があるものだが、ここでもその法則が見事に当てはまった。いわゆる大衆食堂である。お昼の時間を過ぎていたので、お休み時間に入っているのではないかと不安だったが、まったく問題なく営業していてホッとした。
数あるメニューの中から中華丼を注文したところ、目の前に出されたものは、一般的な中華料理店で見られるような中華丼とはやや趣を異にしており、あんかけの量が多く、胡椒が効いてとってもスパイシーな、オリジナリティ溢れる不思議な味覚であった。でも空腹こそ最高の調味料というように、あっという間に平らげてしまった。


 
【14:49 普代駅・発】
この日の最大目的である「北山崎断崖クルーズ」を終え、無事に昼食も済ませたので、あとは単純に南下して盛岡へ向かうのみ。入線してきた列車は、オデコの豚鼻ライトがキハ20を彷彿とさせる平成生まれのレトロ車両。2~3分遅れて運転されていたのだが、車内に入ってその理由が判明。案の定、この列車にもツアー客が数組乗っていたのだが、足腰の弱い年寄りばかりなので、駅での乗降に時間を要し、どうしても遅延が発生してしまうのだ。しかも面倒なことに、どのグループにも大抵数名のお喋り好きな爺さん婆さんがいるもので、出発を急いでいるのに、アテンダントを捕まえては「なに、おねえちゃんはまだ結婚してないのか。それなら知り合いの社長さんの息子を紹介してやるぞ、連絡先教えろ、ガハハハ」なんて一幕が繰り返されるもんだから、どうにも始末に負えない。傍から見ている分には昭和のコメディ映画みたいで面白いのだが、自分が当事者だったらストレスを爆発させているかもしれない。アテンダントの皆様、大切なお客様の対応、お疲れ様です。


 
ボックス席はツアー客で埋まっていたので、列車最後尾に立って、貫通扉の窓にかじりつき、後方へ去りゆく景色を眺め続けた。三陸鉄道北リアス線は旧鉄建公団のAB線として建設が進められた経緯があるためか、線路の規格が妙に高く、起伏に富む険しい地形を、高架やトンネルで直線状にクリアしてゆく。最後部から眺める限り、特急列車が数多く走っているような幹線級の線路であり、その良好な線形を活かして、山間部では約90km/hで快走するのだが、昭和の高規格は未曾有の大津波に歯が立たなかったらしく、海岸部では震災後に築かれた真新しいコンクリ防潮堤兼築堤の上を走行した。


 
沿線の各地域では復興の槌音が響く。


 
空き地が目立つ田老駅では、久慈行の列車と交換。


 
 
【15:47/15:53 宮古駅】
宮古到着時には遅延が回復しており、定刻通りに到着した。三陸鉄道からJRへ連絡通路を歩き、6分間の接続でJR山田線の盛岡行に乗車した。できるならば宮古以南も公共交通機関で三陸海岸を南下したかったが、山田線の宮古以南はまだ復旧しておらず、代替バスを乗り継ぐと宮古から釜石まで2時間もかかってしまう上、私は翌日から出勤しなくてはならなかったので、残念だが今回は宮古から内陸に入って盛岡に出て、そこから新幹線で東京へ帰ることにした。
盛岡行のキハ110は単行(1両のみ)。既にほとんどの座席は埋まっていたが、辛うじてロングシート一人分が空いていたので、そこへ着席することができた。現在盛岡・宮古間の旅客輸送は閉伊街道を走る「106急行バス」が主役であり、すっかり脇役に堕ちてしまった山田線は、いつもならそれほど混雑していないのだろうけど、観光シーズンだからか、車内には大きな荷物を抱えた客が多く、需要の掘り起こし方によっては、まだまだ山田線にも対向の余地が残っているのかもしれない、なんて両隣の客に挟まれながら素人臭い考えを思い浮かべて、車内での時間を過ごした。


 
列車はエンジンを唸らせながら急カーブが連続する上り勾配を走ってゆくのだが、峠越えの険しい線形ゆえ、スピードはちっとも上がらず、並行する国道106号線(閉伊街道)を走行するトラックや自動車、そして自転車で峠を越えてゆこうとするサイクリストにまで追い抜かされる体たらくであった。


 
 
【17:20/17:26 区界駅】
宮古から延々続いた上り勾配はこの区界駅でおしまい。ここから盛岡までは、一転して下り一辺倒となる。この駅では行き違い列車との交換待ちのため、約5分間停車。その間に車内の客は一斉に外へ出て、深呼吸をしながら体をストレッチさせていた。


 
【18:08 盛岡駅・着】
下り勾配ではエンジンのエグゾーストもおとなしくなり、車窓は徐々に薄暗くなってゆく。そうした変化につられて車内には眠たくなるような空気が満ち始め、あちこちの座席から寝息が聞こえ始めたと気づいたころに、いつの間にか私も微睡んでいた。上盛岡駅からドッと乗り込んできた大量の乗客の気配で目を覚まし、列車はやがて盛岡駅に到着。



盛岡ではご当地グルメの冷麺を食べることに決めていた。今回訪れたのは、いまでは東京や近郊にも出店するようになった盛岡冷麺の有名店「ぴょんぴょん舎」盛岡駅前店。駅付近には他にも冷麺の店があるので、ご当地にしか無いお店に入れば良いものを、あえてこのベタなチェーン店に入った理由は…


 
一人でも焼肉できちゃう小さなロースター付きのカウンターがあるからだ。新幹線の駅前という場所柄、出張客も多いわけで、一人でも冷麺や焼き肉を気軽に楽しんでもらうべく、そのような座席が用意されているのだろう。この日は女性の一人客もおり、店の目論見は見事に中っているようであった。
全ての旅程を計画通り済ませたことに大満足しながら、生ビールを飲み干し、「冷麺焼肉セット」に舌鼓を打って旅の最後の味覚を楽しんだ。これだけ充実した旅を実践できたのに、当日中に東京へ戻れるのだから、新幹線はなんと有り難いことか。
【盛岡19:50発・新幹線「はやぶさ36号」→22:04東京着】

(完)

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フェリーと列車で北海道から三陸へ縦断 2014年夏 その2(北山崎断崖クルーズ)

2015年06月22日 | 旅行記
前回記事「フェリーと列車で北海道から三陸へ縦断 2014年夏 その1」の続編です。
今回記事に温泉は登場しません。あしからず。

<<旅程>>
・1日目
帯広7:15→【十勝バス】→9:37広尾10:00→【JR北海道バス】→10:57襟裳岬(観光・昼食)13:27→【JR北海道バス】→14:20様似14:34→【JR日高本線】(※)→17:53苫小牧18:28→【室蘭本線】→18:35糸井駅(「しらかば温泉湯」で銭湯・夕食)19:51→【室蘭本線】→19:58苫小牧(タクシー移動)苫小牧港21:15→【川崎近海汽船「シルバープリンセス」】
(※)日高本線は現在鵡川~様似間が不通で、代行バスによる運行となっている。

・2日目
(船中泊)→4:45八戸港(タクシー移動)本八戸5:43→【JR八戸線】→5:49陸奥湊(朝市で朝食)7:28→【JR八戸線】→9:02久慈10:35→【三陸鉄道北リアス線】→11:30島越(北山崎断崖クルーズ・12:15発)13:58→【三陸鉄道北リアス線】→14:11普代(昼食)14:50→【三陸鉄道北リアス線】→15:47宮古15:53→【JR山田線】→18:08盛岡(夕食)19:50→【新幹線「はやぶさ36号」】→22:04東京
●今回の記事では下線部の旅程に関して述べている。


 
【9:02 久慈駅・着】
昨晩のフェリー船内でほとんど眠れなかった上、ついさっき朝市でお腹を満たしたため、種差海岸を過ぎた辺りで睡魔に急襲され、久慈に到着する直前まで熟睡してすっかり意識を失っていた。
久慈駅構内の跨線橋には「ようこそ不思議の国の北リアスへ」という横断幕が掲げられている。まだ睡眠から醒めていなかった私の脳みそは、はじめその意味を理解できなかったのだが、やがて「アリス」のアとリを入れ替えて、リアス式海岸のリアスにしたことに気づき、そこでようやく脳みそも目が覚める。


 

JRの久慈駅舎は国鉄時代からの古いRC造であるが、前年(2013年)に全面的なリニューアルが施されており、当地特産の琥珀をイメージしたシックなファサードとなった他、そしてウニをモチーフにした顔出しパネルが設置されている。トイレも綺麗で快適だった。2013年上半期のNHK朝ドラで脚光を浴びた「駅前デパート」には、ドラマの世界そのままの大きなイラストが残されており、毎日欠かさず観ていた前年のフィーバーを思い出さずにはいられなかった。とはいえ、流行りというものは、一旦過ぎ去ってしまうと、今度は逆にしばらく振り返りたくなくなるものであり、いまこうしてブログの文章を書き綴りながら当時の熱狂を思い出すと、猛烈に恥ずかしい。


 

「道の駅」など街中を散策してから三陸鉄道の駅舎へ移り、窓口で島越駅までの乗車券を購入して、列車の時間まで待合室で腰を下ろす。まだお昼前だというに、駅舎内にある立ち食いそば屋「三陸リアス亭」では、この日のウニ弁当が売り切れたと告知する札がさがっていた。朝ドラの熱狂は果たして何年もつのだろうか。ちなみにお店の裏口に置かれていた発泡スチロールの箱には"FROZEN SEA URCHIN PRODUCT OF ・・・" いや、なんでもない。世の中には知らない方が幸せなことがゴマンとある。魚介には漁期があって、それ以外のシーズンで観光客の要望に応えようとすれば、どうしても専門業者の力と知恵を借りなければならない。コストや安定供給という問題だってある。だから仕方のない苦肉の策なんだ…。


 
【10:35 久慈駅・発】
三陸鉄道北リアス線の宮古行に乗車。36-100形と36-200形の2両編成。胸にワッペンを付けた爺さん婆さんのツアー客で、車内はほぼ占拠されていた。


 
平成生まれの鉄道車両は一段降下窓かハメ殺し窓が多いが、昭和生まれの36-100形(及びほぼ同じ設計の36-200形)は昔ながらの二段窓であり、窓を開ければ顔で潮風を受けられる。海沿いを走る列車に乗ったならば、どんなに暑い日でも冷房ではなく、外の潮風を浴びながら旅を楽しみたい。


 
 
堀内駅での停車は実質的なフォトストップ。この駅も2013年のNHK朝ドラで一躍注目されたわけで、当時のセットが残されていた。他のお客さんにつられて私もついその光景を撮ってしまう。


 
【11:30 島越駅・着】
島越駅で下車したのは私一人だけ。この駅は2014年4月に営業を再開し、同年7月27日に新駅舎の使用が開始されたばかりであり、私が降り立ったのは新駅舎使用開始からまだ1ヶ月しか経っていない頃であった。


 
駅再開にはクウェートの援助によるところも大きく、駅構内には同国への感謝メッセージが数箇所に掲示されていた。


 
記念スタンプを自分の手帳にペッタン。窓口で硬券の入場券も購入。


 
駅舎中央の出入口を挟んで、一方には模型や写真パネルなどが並んでいる展示室や待合室、他方にはお土産が販売されている売店と出札窓口、そして休憩室が設けられている。また中央には螺旋階段があり、そこを昇った2階(八角形ドームの下)は展望室となっている。駅構内の久慈寄りには大手旅行会社のツアーが再建を支援しましたよという旨の碑も建てられており、それを目にしてちょっぴり複雑な想いがしたが、誰であろうと出資してくれる人は有り難いものであり、ボンヤリ構内を見学していると、実際にそのツアー会社の団体客が嵐のようにやってきて、参加者の爺さん婆さん達はわずか10分間で次々に土産物を買って、やってきた列車に乗って去って行った。


 
2014年夏の時点で駅前はまだ工事中。商店はおろか人家すらない。


 
新たに築かれたコンクリの築堤は防潮堤を兼ねているらしい。その海側にはかつての駅構内にあった階段の跡、そして宮沢賢治の詩碑が、津波に流されること無く残されていた。「雨ニモマケズ風ニモマケズ雪ニモ夏ノ暑サニモマケヌ丈夫ナ」碑は、未曾有の津波にも負けずに踏ん張りきったのだ。


 
壊れたままの水門を横目にしながら、海沿いの道を南へ歩く。沿道に建ち並んでいるのは漁業用の仮設小屋だろう。


 
 
【11:45 北山崎断崖クルーズ乗船場】
島越駅から徒歩10分ほどで、島越漁港にある「北山崎断崖クルーズ」の乗船場に到着。今回わざわざ北リアス線に乗ったのは、この「北山崎断崖クルーズ」が最大の目的である。北リアス屈指の名勝である北山崎を巡る観光船は、あの震災以降運休が続いていたが、この年の7月下旬に再開されたとの報を受け、船好きの私としては、是非とも体験してみたかったのだ。再開に際しては乗船場も新築され、しかもまだ1ヶ月ほどしか経っていないので、受付棟の館内はどこもかしこもピッカピカ。乗船券購入の際、一緒にウミネコのパンも購入した。
ギョギョ!? 壁に飾られたイラストは、この年の春にさかなくんが描いたものでギョざいますね。


 
【12:15 北山崎断崖クルーズ・出航】
観光船の再開に当たっては、船も新造された。畳と●●は新しいほうが良いと言うが、船でもなんでも新しいと気分が高揚する。船の名前は"SAN RIKU GO"と言うのかな。"SUN"と太陽、「号」と"GO"をかけている、なんてここで説明するのは野暮もいいところ。ダジャレを説明する奴ほど苛立たしい人はいない。この観光船は1日4便運行されるが、私が乗ったのは12:15出航の便である。久慈10:35発の宮古行列車に乗れば島越へ11:30に着き、駅からのんびり歩けば、丁度良いタイミングでこの船に乗り継げることを、予め調べておいたのだ。4便しかないから、きちんと調べておかないと無駄足になっちゃう…。
1周50分のクルーズで、再びこの島越港へと戻ってくる。


 
オレンジ色のシートが目に鮮やかな船内には、新築住宅のような建材独特の匂いが漂っていた。エアコン完備で快適。
底に窓があり海底の様子が見える…のだろうけど、走行中は何が何だかわからないのではないのかな。


 
私を含め10人ほどの乗客を乗せて定刻に出航。津波で破壊された防波堤の間をすり抜けて沖合へ出る。この日は突き抜けるような真っ青な青空が広がっていたが、風がかなり強く、沖合に出た途端、船は強いうねりに揉まれて、前後左右に激しく揺れ続けた。漁網のブイをギリギリのところでかわしてゆく。


 
海岸に人家がちっとも無いなと思ったが、それもそのはず、スピーカーから流れるガイドによれば、津波で流されちゃったらしい。



北山崎へ続く田野畑の海岸段丘は、海底の隆起によって出来上がったものらしい。海の底だったところが100メートル以上も上昇してしまうのだから、そのパワーには驚く他ない。海岸を眺めていると、ミルフィーユのように幾重にも層をなしている岩盤が斜めに海へと落ち込んでいる箇所が何箇所も見られたが、これは地殻変動による褶曲を示す好例なのだろう。


 
出航してから船の後をひたすらウミネコ達が追いかけてくる。彼らのお目当ては客が与えるパンなので、その期待に応えるべく、私も乗船受付で購入したパンを放り投げたところ、優れた動体視力と俊敏な反射神経を活かし、嘴でしっかりキャッチしてくれた。断崖絶壁の景色を眺めるのも良いが、こうして餌付けしているのもかなり楽しい。



岸から大して離れていないのだが、それでも立派な外洋なので、この小さな観光船は太平洋のうねりをモロに受けてメチャクチャ揺れる。私はこの手の船に強い方なので大丈夫だったが、中にはリバースしちゃうお客さんもいた。無理もない。




海食崖の一部は侵食によってトンネル状の穴が開いている(海食洞)。小型の船ではここを潜ることもあるようだが、今回の船は遠くから眺めるだけで、潜ることはなかった。これ以外にも奇岩が延々と続き、景色に飽きることはない。


 

弁天崎と称する岬をまわってその北側に出ると、これまで以上に断崖の高低差が大きくなり、景色がより荒々しくなった。このあたりがいわゆる北山崎らしい。なるほど、聞きしに勝る壮観には圧倒される。200メートルにも及ぶこの辺りの海食崖は、他と違って妙に赤茶けているのだが、約1億2千万年前の前期白亜紀に起きた火成活動にともなって生み出された火山岩や溶岩などがメインなんだとか。画像でその景観の迫力が伝わらないのはとても残念だ。
出航から25分進んだところで観光船はグルっと回り、往路と同じ航路を南下して島越港へと引き返した。



【13:58 島越駅】
想像を上回る壮観の連続、そしてうみねこの餌付けに十分満足し、観光船は13:05に島越港へ戻ってきた。ちょうどお昼の時間帯である。乗船場の建物内ではパンや牛乳が売られていたが、これだけではランチに物足りない。かといって、島越駅周辺は本当に何もない。店がないから飯が食えない。駅構内の売店ではおみやげが売られているが、お菓子等では食事にならない。同じ町内にあるお隣りの田野畑駅も、集落からは離れており、食事は期待できない。更には、次の宮古行までかなり時間が空いており、相当退屈である。
そこで、ちょっと戻る形になるが、久慈行に乗って一旦普代駅まで北上し、普代駅周辺で食事をとることにした。


その3(完)へつづく
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