最近腰回りが気になり始めた。食べても食べても太らないことがひそかな自慢だっただけに、四十を過ぎると、やはり人間食べたら太る、という当たり前の現実に直面し、動揺を覚えている。
そもそも運動の苦手な性分である。ダイエットのために何をするかと言われても、まあ、歩くしかない。あと一つ、木刀も振り始めた。この木刀は数年前、高山の土産物屋で買い求めたもので、土産物屋にはなぜ必ずと言っていいほど木刀があるんだろうという素朴な疑問から、思わず購入したのはよいが、何年も埃を被らせていた代物である。木刀にとってもようやくのことで日の目を見て嬉しいだろうし、運動としては腕立て伏せより簡単な作業なので、気に入って毎晩振っていたら、家人にひどく馬鹿にされた。馬鹿にされても振り続けている。
先日、テレビのニュースで「犯人は普段から自宅の庭で木刀を振っていた」というくだりを耳にし、それからは近所の目が怖くてなるべく誰にも見つからないように振っている。体重に関して成果はあまり出ていない。家人は相変わらず馬鹿にしている。それでも何かの気休めになるんじゃないかと振り続けている。
食事制限も、制限と言うほど立派ではないが試みている。仕事上夜が遅いので、夕飯はなるべく簡素にしている。もともと食欲旺盛な方ではないから、一品、二品減らされても気にならない。しかし食欲とは不思議なもので、あるとき不意に顔を出し、猛烈な勢いでスナック菓子に手を伸ばしめることがある。飲酒するとその傾向がはなはだしい。晩酌するからと白米を抜いても、煎餅をバリバリやってたんでは、これもなかなか成果につながらない。
食欲と言えば、我が家の飼い犬は確実に貪欲の部類に入る犬である。小さい頃は道端に落ちているものを清掃車よろしく何でも口に入れた。首輪も二度ほど食べた。牛皮製だから美味しいのだろう。一度目は金具だけちゃんと揃えて残していた。二度目は、金具ごと食べたのではないかと家中で騒いだが、二三日経つうちに、一個、また一個と金具が出てきた。それらが小屋のどこかに隠されてあったのか、それとも順次排泄されたものなのか、その辺がよくわからなくてミステリーである。
犬を眺めていると、生き物とは、食べて、食べて、食べて死んでいくものなのだなあと妙に実感してしまう。涎を垂らしながら合図を待ち、「よし」と言われた途端に一心不乱に餌に食らいつく姿などは、ほとんど至福のあり様を示しているとさえ思えてくる。
とすれば、腰回りに少々、綿入れを巻いたような手触りがあろうと、何を気にすることがあろうか。人間もまた、食べて食べて、飲んで、太って、幸せを感じて死んでいく生き物なのではないか。
そう考えると、必然、木刀の振りも鈍くなる。まあもともとから、トンボを捕まえるような振りではあったのだが。
※『火炎少女ヒロコ』の原稿が進まないので、今週はエッセイで誤魔化しました。
そもそも運動の苦手な性分である。ダイエットのために何をするかと言われても、まあ、歩くしかない。あと一つ、木刀も振り始めた。この木刀は数年前、高山の土産物屋で買い求めたもので、土産物屋にはなぜ必ずと言っていいほど木刀があるんだろうという素朴な疑問から、思わず購入したのはよいが、何年も埃を被らせていた代物である。木刀にとってもようやくのことで日の目を見て嬉しいだろうし、運動としては腕立て伏せより簡単な作業なので、気に入って毎晩振っていたら、家人にひどく馬鹿にされた。馬鹿にされても振り続けている。
先日、テレビのニュースで「犯人は普段から自宅の庭で木刀を振っていた」というくだりを耳にし、それからは近所の目が怖くてなるべく誰にも見つからないように振っている。体重に関して成果はあまり出ていない。家人は相変わらず馬鹿にしている。それでも何かの気休めになるんじゃないかと振り続けている。
食事制限も、制限と言うほど立派ではないが試みている。仕事上夜が遅いので、夕飯はなるべく簡素にしている。もともと食欲旺盛な方ではないから、一品、二品減らされても気にならない。しかし食欲とは不思議なもので、あるとき不意に顔を出し、猛烈な勢いでスナック菓子に手を伸ばしめることがある。飲酒するとその傾向がはなはだしい。晩酌するからと白米を抜いても、煎餅をバリバリやってたんでは、これもなかなか成果につながらない。
食欲と言えば、我が家の飼い犬は確実に貪欲の部類に入る犬である。小さい頃は道端に落ちているものを清掃車よろしく何でも口に入れた。首輪も二度ほど食べた。牛皮製だから美味しいのだろう。一度目は金具だけちゃんと揃えて残していた。二度目は、金具ごと食べたのではないかと家中で騒いだが、二三日経つうちに、一個、また一個と金具が出てきた。それらが小屋のどこかに隠されてあったのか、それとも順次排泄されたものなのか、その辺がよくわからなくてミステリーである。
犬を眺めていると、生き物とは、食べて、食べて、食べて死んでいくものなのだなあと妙に実感してしまう。涎を垂らしながら合図を待ち、「よし」と言われた途端に一心不乱に餌に食らいつく姿などは、ほとんど至福のあり様を示しているとさえ思えてくる。
とすれば、腰回りに少々、綿入れを巻いたような手触りがあろうと、何を気にすることがあろうか。人間もまた、食べて食べて、飲んで、太って、幸せを感じて死んでいく生き物なのではないか。
そう考えると、必然、木刀の振りも鈍くなる。まあもともとから、トンボを捕まえるような振りではあったのだが。
※『火炎少女ヒロコ』の原稿が進まないので、今週はエッセイで誤魔化しました。
木刀はいよいよ、難しくなりました。自転車の音やバイクの音が近づいてくるたびに、慌ててこそこそと物陰に隠れるのです。これは健康法としてはあまり健康的でないなあとようやく思い至った次第です。
木刀に替わる物を思案している今日この頃です。
http://notes.superwild.net/