その人をMさんと呼んでおく。年上なので、さん付けで呼ぶのである。
Mさんは酒豪である。年齢的に言えば、一升瓶を手にするより、干し柿を食べ茶を啜(すす)るのが似合う年頃であるし、家族はどちらかというとそれを望んでいるようだが、本人はいつでも赤い顔でへべれけに酔いつぶれて一向に平気である。
そのMさんが、ホルモンの煙の立ちこめる店で、焼酎の水割りを口に付けながら私を睨(にら)んできた。若い頃は山登りに明け暮れたという顔の皺(しわ)は、まじめな話になると、きりりと引き締まる。
「馬鹿野郎」
Mさんが唐突に話題を変えるときは、だいたいがこの接頭語から始まる。叱りつけるときもあれば、単なる世相批判のときもある。褒(ほ)め言葉で使うこともある。つまりほとんど意味のない言葉なのだが、それでも私は形だけ居住まいを正した。
「はい」
「馬鹿野郎。お前は、文を綴(つづ)れ」
しばらく前から箸のつかない網の上のホルモンは、一様に焦げついて、もうもうと煙を立ち上げている。私は煙たさに目を擦った。
「ありがとうございます」
「あきらめるな」
「はい」
私は諦めていたのだ。文筆の道を歩むことを。才が無いことなどとっくの昔に気づいている。それでも持病のようにときたま書き散らす駄文を、Mさんは片端から丁寧に読む。読むだけでなく、辛辣(しんらつ)な批評を浴びせる。多くは酒の席で。そんな関係がもう何年も続いていた。ところが最近は私に商売っ気が出て、他分野でいろいろと奔走するようになり、そうなると夢から醒(さ)めたように創作意欲が消え失せてしまっていた。それならそれでいいと思っていた。Mさんはそんな私を叱責したのだ。何も、私に大成しろと言っているわけではない。何とか賞を取れと言っているわけでもない(たまに言うこともあるが、酔っ払いの戯言(ざれごと)である)。ただ、書き続けろと言っているのだ。お前はお前らしく、書き続けろ、と言っているのだ。
私は嬉しかった。簡単に顔に表せないほどに嬉しかった。
「おい、食え」
「はい」
「みんな食ってしまえ」
「はい」
店内に残る客はそろそろ我々だけになろうとしていた。炭火は最後の任務を終え、後はもう消壺に入ることだけを待ち望んでいた。Mさんは黙って焼酎の水割りを傾けた。私は何となく正座をしたまま箸を動かした。焦げたホルモンはたっぷり味噌ダレに浸しても、口に入れて噛み締めるとツンと、ほろ苦い味がした。
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