た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

スキーツアー再び

2010年03月15日 | essay
 二匹目のどじょうを狙う、ということわざがある。人間誰しも、一匹目が捕れれば二匹目を狙いたくなるのは人情である。

 去る一月下旬、近所の男連中三人でスキーに出かけたら記念碑的な好条件の天候・雪質で滑れることができた。この調子なら三月も狙える、うんうん、十分狙える狙える、と再び三人で意気込んで出かけたら、記念碑的なみぞれ混じりの大雪になった。雪質は悪いわ視界も悪いわ、ゴーグルは曇るし尻は濡れるしで大変であった。二匹目のどじょうはそういないのである。

 それでも人生を半分近く(約一名は八割近く)生きてきた男たちは、せっかくの限られた休暇を、チュッパチャプスの残り汁を吸い取るようにとことん満喫するすべを知っている。三人中最年少であり運転手である私は実のところそんなに知ってはいないが、残りの二名は知り尽くしている。彼らは全行程を通じて、風呂おけのようにビールを飲み続けた。行きの車の中でロング缶を六缶、10時の休憩に大瓶を四本、昼食にさらに三本、帰りの車の中でショート缶を半ダースくらいまでは数えることができたと思う。前回よりもハイペースになっているのは、彼らに言わせれば雪が降るせいらしい。

 酔っ払いの話は大体において首と尾っぽがばらばらなものであるが、ハンドルを握りながらいい加減に相槌を打っていると、たまにまともなことをしゃべってくる。

 帰りの車内での話題はいつの間にか、教育論になった。

 ──子供に投資するのは、期待じゃない。期待してはいけない。ピアノを買ってやったからと言って、ピアノのプロにならなきゃいけない、なんて子供に思わせてはいけない。子供に与えるのは、可能性である。可能性を選ぶのは、子供自身である。

 なるほど、と思いながらハンドルを切る。期待はしない。ただ与える。そんなことに慣れていくのが、大人なのかも知れない。それでも、雪解け水のようにひっそりとストレスは溜まっていく。それでたまに酒を浴びるほど飲みたくなる。

 松本に帰り着くころには、みぞれは上がり、これからスキーに出かければ最高だというくらいに晴れ渡った。天候にも期待してはいけない。二人の酔っ払いたちは、あとで私を飲みに連れてってやるから夜に電話するぞと約束したが、電話は結局かかってこなかった。酔っ払いにも当然期待してはいけない。すべてを受け入れたとき、ビールの泡は純白の粉雪のように滑らかに喉に入っていく。

 その日の夜は一人で飲んだ。
コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« しずかなる疎遠 | トップ | 4月19日 »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

essay」カテゴリの最新記事