奴の声である。私の手を強く引っ張る。最早自分の手の平も見えないほどの闇の中だが、確かに綺麗な女性の手の感触ではある。私はしばらくされるがままにした。美人に手を引っ張られるのも全然悪くない。
だがその手は私をさらに闇の奥底へと引きずり込んだ。
「おい、こちらですって、これじゃ何も見えない」
返事はない。
気泡が一つ、私の頬を掠めて去った。いかなる生物が出したか、それとも地殻の嘆息か。気泡に気づけたのは、わずかな光の残滓による。それも二度目は無かった。こうなるとどれだけの気泡が立ち昇ろうが、触覚を持たず視覚を塞がれた私にはわかりようがない。
ついにどこを見渡しても一点の光もない完全なる漆黒に覆われたとき、女は不意に手を離した。私は掴まるものさえ失った。
「こら、待ちなさい、手を出さんか。おい、こんなところで手を離すやつがあるか」
「ここです」
「何がここだ?」
「あなたをお連れしたかった場所です」
「ここ? なるほど、珍しい。他にない場所だ。ただの真っ暗闇じゃないか。ふん、何か我々の間で秘め事でも行うならうってつけかもしれないが。それにしても暗すぎる。お前さんがどこにいるかわからない。私の指さえ見えない」
「どちらが海面の方角かわかりますか」
「海面。海面とは、つまり上の方向ということか。ちょっと待ちなさい、ふむ。わからないぞ。おい、これは不味い。上下がわからない。待ってくれ、我々は重力の影響を受けているのではないのか。浮力と打ち消しあっているわけでもあるまいに? 太陽はどちらを昇っているのだ?」
「身体がないので浮力はありません。重力を身体で受けてないから、上下がわからないのも当然です」
「私はgraveのみならずgravityにも見放されたか」
私の必死の冗談を、馬鹿女は黙殺で受け流した。
(つづく)
だがその手は私をさらに闇の奥底へと引きずり込んだ。
「おい、こちらですって、これじゃ何も見えない」
返事はない。
気泡が一つ、私の頬を掠めて去った。いかなる生物が出したか、それとも地殻の嘆息か。気泡に気づけたのは、わずかな光の残滓による。それも二度目は無かった。こうなるとどれだけの気泡が立ち昇ろうが、触覚を持たず視覚を塞がれた私にはわかりようがない。
ついにどこを見渡しても一点の光もない完全なる漆黒に覆われたとき、女は不意に手を離した。私は掴まるものさえ失った。
「こら、待ちなさい、手を出さんか。おい、こんなところで手を離すやつがあるか」
「ここです」
「何がここだ?」
「あなたをお連れしたかった場所です」
「ここ? なるほど、珍しい。他にない場所だ。ただの真っ暗闇じゃないか。ふん、何か我々の間で秘め事でも行うならうってつけかもしれないが。それにしても暗すぎる。お前さんがどこにいるかわからない。私の指さえ見えない」
「どちらが海面の方角かわかりますか」
「海面。海面とは、つまり上の方向ということか。ちょっと待ちなさい、ふむ。わからないぞ。おい、これは不味い。上下がわからない。待ってくれ、我々は重力の影響を受けているのではないのか。浮力と打ち消しあっているわけでもあるまいに? 太陽はどちらを昇っているのだ?」
「身体がないので浮力はありません。重力を身体で受けてないから、上下がわからないのも当然です」
「私はgraveのみならずgravityにも見放されたか」
私の必死の冗談を、馬鹿女は黙殺で受け流した。
(つづく)
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