た・たむ!

言の葉探しに野に出かけたら
         空のあお葉を牛が食む食む

親友

2005年04月12日 | essay
 品川は雨であった。街は涙に濡れた頬のように薄汚く熱を帯びて見えた。熱っぽく見えたのは、夏が近かったからかも知れない。

 ショッピングモールに隣接した照明の足りないだだっ広いレストランで、私は独りで休日の不味い食事を摂っていた。ナポリタンは魚を焼いた臭いがした。
 「だからさ、だから、あいつは大学時代から最低だったのよ」
 「うん、ほんと近づかない方がいいよ、レナ。彼、すごいやさしい顔して嘘つくからね」
 先ほどから、私は斜め向かいの席の女性二人の会話が気になって仕方がない。どうやら共通の知人である男性に対する非難、誹謗(ひぼう)の会らしい。
 「ほんとにほんと、最低よ。シホに土下座して謝るべきよ」
 「今さら謝られても・・・。もう謝りに会いに来るって言っても嫌。レナ、ねえ、彼には近づかない方が身のためよ」
 非難、誹謗の会にしては、話は同じようなところを循環している。
 最低だと繰り返すのは、一見して大金を動かすキャリアウーマンである。豊かな髪をさらに豊かに見せるために肩の上で広げている。猛禽類のような目が情熱的に煌めいている。
 近寄るなとばかり彼女に助言している女性は、長い髪をぺたりと頭に貼り付け、細面に小さな目をしばたたいている。喫茶店のウエイトレスでもしていそうである。
 二人とも休日に着る服の趣味は一致しているらしく、緩やかな更紗のついたワンピースである。
 「大丈夫よ、シホ。私があいつに会うのは、ぎゃふんと言わしてやるためよ。あの鷲鼻をトンカチで叩いて平べったくしてやるのよ」
 二人とも笑った。吐き捨てるような笑いであった。
 「まあレナ、それはさすがに止めてあげて。彼、自分の鼻が高いのをひそかに自慢に思ってるんだから」
 「だから傲慢なのよ。シホ、あんたがそんなに優しいから、あいつもつけ上がって、別れてすぐに、私に電話寄越したり平気でするんじゃない」

 沈黙が彼女たちのテーブルに落ちた。

 私はナポリタンを丸めているのも忘れて、彼女たちの様子を伺った。レナと呼ばれるキャリアウーマンは明らかに失言したらしい。
 しかし彼女には失言を失言としない力がある。顔を紅潮させながらも、彼女は友人の視線が自分から外れたのをしっかりと観察していた。
 「あんたほんとに別れるの」強い口調である。
 「うん。別れる。もうこりごりよ」
 「鷲鼻にゲンコツをヒットさせずに別れるの」
 笑顔がシホに戻った。「だってもうどうでもいいもん」
 「そうね。でも、私わかるけど、あいつ、私と会って、シホへの取り成しをお願いするつもりよ。私わかるの。電話でも、すっごく暗い声で、後悔している風なことを言ってたわ。でもね」
 レナは紅茶をせっかちに啜って言葉を続けた。
 「でも、私は取り成してあげないの。あんたのためだから。あいつみたいなエロ男は、許されると思ったらすぐまたつけ上がるのよ。あんたがすぐ別れ話を切り出したのは正解。かっこいいわ。あいつすっごく動揺してたから、電話で。私会ってあげても、彼の相談に乗ってあげるためじゃないのよ。土下座して頼まれても取り成してあげないわ。あんたのためだし、あいつのためよ。あんなやつ、一回ぺしゃんこにしてやらなきゃ駄目よ」
 「鷲鼻をね」
 「そう、鷲鼻を」
 二人はまたけらけら笑い合った。

 「ちょっとごめんね」
 レナは笑顔のままそう言って席を立った。
 彼女が友人に背を向け、私の前を通ってトイレに向かうときである。弱い照明と窓の外の雨模様で翳ってはいたが、彼女の顔が恐ろしく強張っているのに、私は驚かされた。大きな目だけがやたら光を帯びていた。
 彼女の去った後、私は気になってテーブルに残るシホの表情をちらりと伺った。
 私はそこに認めた。眉間に皺を寄せてペーパータオルを千切れるまで捻(ねじ)る、髪の長い彼女の姿を。固く捻れた白紙をじっと見つめる彼女の暗い視線には、妖気さえ感じられた。
 私は思わずフォークを皿に置いた。

 やがてレナがトイレから戻ってきて、二人はまた親友の笑顔を交わした。
 「私、トイレに行ってる間に、もっと効果的な方法を思いついたの」
 「なにそれ」
 「あいつ絶対げんなりしているはずだからさ、それに花粉症じゃない、あいつ。あいつと会ったら、あの鷲鼻を指差して、『あなた、鼻をかみ過ぎたの?』って言ってやるの」
 二人は仲良く爆笑した。 
 私はナポリタンを半分残したまま立ち上がった。傘の持ってきていないことに気づきながらも、私は店を出ると、コートのポケットに両手を突っ込み、肩をすぼめて、雨の降る交差点へと歩を向けた。


~・~・~・~・~・~・~・~・~

 これは、漱石の言葉についてのぱんださんの記事を読んで、触発されて書いたものである。ぱんださん、心に抱える爆弾というものを、私はざっとこんな風なものとして解釈します。
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2 コメント

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本当に有難うございます。 (感激のぱんだ)
2005-04-12 20:42:49
overthejigenさんこんばんは!

な、なんと、Hpに紹介させていただいた漱石の

言葉をもとに短編小説を書かれるとは!

しかも、朝投稿したのに、昼には完成している・・

恐れ入りました。

「心に抱える爆弾」って妙に気になる言葉ですよね。

時間をかけて色々考えてみたいと思いますが、

私としては「常に自分のこととしてとらえる」を

モットーとしております。

ではまた寄せて頂きますね。

今日は本当に有難うございました!!!



(追伸:ところで「た・たむ!」ってどういう意味

 なのでしょうか?この言葉も妙に気になるのですが・・)

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ぱんださんへ (overthejigen)
2005-04-12 23:10:52
午前中だけで書き上げたので、いい加減なもんです。



「た・たむ!」とは、特に意味はありません。小太鼓のリズミカルな音を連想してつけました。そう言えば、むかし「ら・た・たむ」とか何とかいう絵本があって、大層気に入ってましたから、その潜在的な影響かも知れません。「たむ」と口に出して言うときの、口の開き方、閉じ方が好きです。
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