peaの植物図鑑

草や木の花や木の実(果実)、特に山野草が好きで、デジカメを持ち歩いて撮っています。2024年3月、85歳になります。

芦東山記念館館長講座「盛岡藩家老席日記『雑書』にみる旅、その2」 2016年2月17日(水)

2016年02月17日 | 講演会

 2016(平成28)年2月17日(水)芦東山記念館(館長:細井 計(ほそい かずゆ)、一関市大東町渋民字伊勢堂71-17)の館長講座第5回盛岡藩家老席日記『雑書』にみる旅、その2(13:00~14:30時)が開催されました。今回は、「参勤交代」が主な内容でした。 

 

 参勤交代制:(1)制度化されたのは、寛永12年(1635)武家諸法度(ぶけしょはっと)

 大名小名在江戸交替相定むるところ也、毎歳夏(注:旧暦4~6月)四月中参勤致すべし従者の員数近来甚だ多し、且つは国郡の費(つい)え、且つは人民の労れ也、向後それ相応を以って、これを減少すべし、

これに違反した大名には罰則が科せられた…寛永13年(1636)、3代藩主南部重直は参勤遅滞と無届けによる新丸石垣築城により逼塞を命じられている。

 今度出府の儀遅滞、並びに盛岡新丸石垣築城数か条を咎めて重直公逼塞仰せ付けらる(『奥南旧指録』)。

(2)参勤交代が一時的に緩和された時期があった…幕府の財政立て直しのため、享保(きょうほう)7年(1722)~享保15年(1730)。[1716年4月、将軍家継死去(8歳)。8月、紀州藩主徳川吉宗、将軍となる。「享保元年」となる。]上米の制を定め、参勤期限を在府半年に緩和。

 御代々御沙汰もこれ無き事に候えども、万石以上の面々より米指し上げ候よう、仰せ付らるべしとお思し召し候、左候はねば、御家人のうち、数百人も御扶持方召し放さるべきよりほかこれ無く候ゆえ、御恥辱をも顧みられず仰せ出され候、高壱万石に付き百石の積り指上げらるべく候、…これにより在江戸半年宛御免成され候間、緩々(ゆるゆる)休息致し候ようにと仰せ出され候、(『雑書』享保7年7月12条)[盛岡藩の場合は、10万石だから1000石を上米。(この年に限り半分だけ上納)。

1730年(享保15年)4月、上米の制を止め、参勤期限を旧に復す。

 水野和泉守(忠之)様仰せ渡され候は、御勝手向き御不調に付き、近年上げ米仰せ付けられ、御用も弁ぜられ、御機嫌に思し召され候、右上げ米、今年にも御用捨遊ばされたく思し召し候えども、いまだ御勝手向き相調えがたき旨に付き、来年より上げ米御用捨遊ばされ候、これに依り、来年より参勤交代の儀、前々のとおりたるべく候(『雑書』享保15年4月23日)

(3)参勤交代の大幅緩和…文久2年(1862)の幕政改革:3年ごとに大幅緩和された。

[1月、坂下門外の変(老中安藤信正、水戸浪士らに襲われ負傷。2月、家茂と和宮の婚儀挙行。4月、島津久光、藩兵を率いて入京し、朝廷に公武融和策を建議。8月、生麦事件。閏8月、会津藩主松平容保を京都守護職に任命など](以下省略)

http://blog.goo.ne.jp/tom33aa/e/f04b1fd92e8a0615e7d53bec3a243fb5 [盛岡藩の参勤交代]

http://iwate-isn.sakura.ne.jp/bunkasalon/50kai.htm [盛岡藩雑書の世界]